かき氷少女


 川に来ていた。


 隣のベンチに座った少女が、ブルーハワイのかき氷を零した。

 ばらばらと落ちていった氷の破片は、夢のように青く、煌めいていた。

 わたしは夏だな、と思った。


 この川は、「公園」と名付けられているだけあって、川の他に、遊具や、テーブル、ベンチ、屋台まである。

 せっかく遠出してまで川に来たというのに、息子はあまり乗り気ではなかった。川に入って一周した後、「オウチカエル」と言い出し始めたのだ。

 だから一度、遊びを切り上げて、屋台でアイスとアイスコーヒーを買うことにした。小休憩である。


 そのようなわけで、隣にはかき氷少女、道を挟んだ正面には微笑みの老夫婦、一方わたしたち親子は、ちょっとした「アイスの食べ方」講座を開いている最中だった。

 教師はわたしで、受講者は息子しかいない。

 なぜこんなことをしているのかというと、わけがる。

 彼は、アイスを食べると宣いながらも、わたしがいざ包みを開けて中身を差し出すと、ちょっとしか口を開かないのだ。

 開かれた口は紙一枚入るかな、くらいの薄さである。

 ほんとうにアイスを食べる気があるのだろうか?

 明らかに拒絶の姿勢が見て取れる。

 

「大きく口を開けて〜かぶりと噛みつく」


 アイスはクレープの生地に包まれていた。息子の心中を察するに「おれは騙されている」と思ったことだろう。

 確かに、それは一見アイスには見えなかった。

 なんか黄色い棒、って感じ。

 口うるさく母親に諭された息子は、「しゃあなし」といった感じで、口を大きく開いた。そして、わたしは、その隙間にアイスを押し込んだ。

 やがて息子の口からアイスを引き離すとベロン、と歯形のついた生地が垂れ下がる。彼は、中身のバニラアイスだけ、吸い取っているのである。

 失敗だ!

 私はアイスの無残な姿を見るなり、叫びたい衝動に駆られた。

 わたしたちの左隣に座っていた少年が、明らかにこちらを凝視していた。



 アイスを食べ、自販機で買った桃ジュースを飲み、英気を養った息子は、青い虫取り網を手に携えて、川に繰り出していった。

 川といっても、子どもが遊べるように整備された、半分人工的な川である。水深は、くるぶしくらいで、流れは緩やか。下流になるにつれて、流れが速くなり、やがて自然の川に合流するようになっている。そこは水深も深く、流れも早い。

 息子は2歳なので、本格的な川よりも、こういうお遊びの川の方が向いている。

 

 水に入るなり、息子はアンパンマンのサンダルを脱ぎ始めた。川は素足で入るな、これは義父の教えである。わたしも、危ないからとめようかと考えて、結局見守ることにした。ここで癇癪を起こされたら、手に負えないからだ。

 彼は赤い一束のサンダルを虫取り網に入れた。そうして気の向くままに陸へと上がり、裸足のままで斜面を登っていく。わたしは、周囲にガラスの破片や鋭利なものが落ちていないか注意しながら、その横を歩く。息子は水車の前まで来ると、「コレナニ?」と尋ねた。


「水車だよ」

「スイシャ」


 答えを得て満足した彼は、水車の真ん前に設置された石のベンチの両端に、アンパンマンのサンダルを一束ずつ置いて、満面の笑みを浮かべた。わたしは困惑しながらも、愛おしく思った。

 サンダルを置き去りにしたまま、息子が斜面を下り始めたので、わたしはさっとサンダルを回収すると、やはり足元に注意しながら彼のそばについた。さながら、お付きの人である。しもべである。


 小さな珍妙な生き物は、川に入るなり、色んな人に話しかけ始めた。

「あ! オトモダチがイル! コンニチハ!」

 彼らにかかれば、同じような年頃の子どもはみな、お友達なのである。

 勢いよく「コンニチハ!」と叫べば、向こうも「コンニチハ!」と返してくる。

 傍に控えているその子の母親も、嬉しそうである。

 子どもの世界はまこと尊い。

 

 その周辺にいる大体の人に話しかけたあと、息子はようやく一人で遊び始めた。この時になってようやく、わたしの出番がくる。息子との茶番劇を繰り広げるわけだ。わたしはこれを繰り返していると、頭がおかしくなりそうになる。


 わたしは濡れていない岩に腰掛けて、空を見上げた。

 青さに暖かみが差している。

 川面を見ると、反射した景色がオレンジ色がかっていた。

 もうそんな時間なのだろうか、と思って、スマホで時間を確認すると、四時前だった。

 瀬音に耳を澄ませていると、山間に響き渡る蝉の鳴き声の中に、ひぐらしの声を聞く。

 やっぱ山にはいるんだなあと思って、しばらくその音に耳を傾けた。

 川面の景色が、波紋でかき消えた。

 息子が虫取り網で、ペットボトルを捕らえていた。

 やがて、思い通りにならないと癇癪を起こし始めたので、わたしは彼をひょいと抱えて、車に戻った。


 縁石の後ろのスペースに息子をおろし、全てを脱がせ、タオルで小さな体をざっと拭き、服を着せていく。

 息子は新しい服の感触が気持ち良かったのか、ご機嫌になって、ママ大好き〜と言っていた。

 着せ替えが完了した息子をチャイルドシートに乗せると、虫取り網を寄越せと喚き始めたので、わたしはそれを与えた。

 運転席に座って窓を閉め、車を発進させる。

 途中、信号待ちの間に後ろを振り向くと、半眼の息子が虫取り網を大事そうに抱き抱えていた。

 その網で捕らえたものは、なんだろう。

 わたしはそんなことを考えながら、帰り道を運転した。

 そのうちに、息子は寝た。

 わたしは、好きな歌を歌った。


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