中学英語の勉強


 月がきれいですねをI love youと訳すなら、同文をI kill youと訳してもいいはずだ。


「want toが足りないよ」


 と、先輩が言った。わたしも確かに、と思って、白紙の紙に英文を綴った。


「I want to kill you」

「なんかおまえに殺したいって言われてる気分だ」

「ちがいます」


 わたしは間髪入れず否定した。わたしに殺人願望はない。


「空がきれいですね、は? なんて訳します?」

「あー」


 先輩がつらつら紙に字を書く。金色に染められた毛先が目を隠していた。

 からん、と鉛筆が転がった音を合図に、わたしは紙に目を落とす。


「I want to die with you」

「なるほど! たしかに! わかる!」

「わかります、だろ」

「でも、わたしはI want to dieだけかな。with youはいらない」

「それなら空が綺麗ですね、じゃなくて空が綺麗だ、だろ。語りかけてるのに独り言として訳すのはおかしい。」

「そうですかね?」


 まあ、と先輩が前置きして言った。


「おまえは人と話しているようで、だれとも話してないからな」

「さすがですね! 先輩。人が避けて通りそうな話題にベタベタと触れる果敢な性格、わたしは大好きですよ」

「月がきれいですね?」

「いいえ。空がきれいですね?」

「おまえとは死なない」


 ふたりでスナック菓子を食べて、冷たい麦茶を飲んで、笑い合った中学生の夏休み。わたしは先輩の、女なのに男みたいにさっぱりしたところが好きだった。


「まだ死にたいっておもうかな」


 県庁の最上階で、ネオンの光を見ていた。光が揺らめいて、瞬いて、移動する。きれいだな、と思った。そうしてやっぱり、わたしはこれをI want to dieだと訳すだろう。

 先輩は、まだ生きてるかな。死んだなら、with youの人と死ねたかな。

 生きることは大変だけど、どうせいつか死ぬんだな。思っているより、ずっと早く。

 夜景に飛び込む自分を想像しながら、そんなことを考えた。記憶の中の先輩の笑顔を思い出して。彼女は、男性だった。これは、あとから知ったこと。

 

「元気でね」


 海がきれい、空がきれい、葉っぱがきれい、そう言い続けながら。あれが好き、これが好き、あれは嫌い、そう言い続けながら。あっという間の人生を生きる。みんな同じゴールに向かって歩いていると思うと、少しだけ勇気づけられる。錯覚かもしれないけれど、そんな気がした。

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