歳月と切符



「お母さんもお婆ちゃんも、お兄ちゃん爺ちゃんも、みんな死んだら二人でここに来ようね」


 団地に併設されたちいさな砂場で、従兄弟のお兄ちゃんと泥団子の墓石をつくり、葉陰に隠した。二人だけしか知らない秘密の墓地。子どもというのは、いたずらに死に触れたがるものなのだろうか。それともわたしたちが、死を夢見るほど現実に太刀打ちできない弱い心を抱えていたのだろうか。それは今になってもわからないけれど、確実に言えることといえば、わたしとお兄ちゃんはつねに揺れていた。突然いなくなった家族を想い、不安げな瞳を瞬きで隠していた。膜一つを隔てた死の世界を透かし見ていた。そうして似たような境遇の子が集まったマンションの子どもたちで、ずっとずっと遊んでいた。大人のいない世界は自由だった。


「ビー玉を上から落とすとこんなふうに割れるんだよ」


 違うマンションのお姉ちゃんが、そう言って欠けたビー玉を見せてくれた。斜めに割れた断面から、いく筋もの美しい光が見えた。ほしい、と思った。だからわたしは、マンションの5階からビー玉を落とした。けれど何度試しても、あのように綺麗に割れてくれない。わたしはあれが、欲しかった。


「六月は雨がたくさん降る梅雨っていうんだよ。お外で遊べないから本を読もう。たまにはゲームもいいけどね」


 記憶のなかで最も穏やかな母は、わたしにギリシャ神話と旧約聖書を渡した。わたしはゲームに夢中で。嫌々読んだ。母は少し、悲しそうだった。


 手元にある手作りの栞を眺める。水色の厚紙でできている。表に墨で紫陽花の絵が描かれてあって、裏には小筆で書かれたメッセージ。2004年6月8日。


 あの頃、今よりさらに無知だった子どものころ、色んな人の世界が重なり合って、わたしたちの生活は保たれていた。お店を畳んだ母と、家族になる予定だった男の人。そしてわたし。家に友達を呼んで、クレープを作って食べた。生卵をそのまま食べる子がいて、文化の違いに驚いた。



 あの頃たしかに現実であったそれらはもう現実ではなくて、記憶を再生することでしか事実にならない。過ぎ去った記憶は夏の日差しを受けた水のおもてのように煌めいている。何度掬っても溢れおちる。だから眺めるだけだ。確かにあったと眺めて、確かにあったと認めてあげて、蔑ろにして欠けてしまった母体を満たしていく。


 文章を書くことによって出会う世界がある。記憶もその一つだ。思い返して、あれがわたしの全てだったのではないかと思う。ビー玉の断面、雨の日にマンションの外廊下に設置した色とりどりの傘で作ったテント、マンションの子どもたち、お兄ちゃんと作った泥団子。母がくれた栞。もう会えない、お父さんになるはずだった人。母とわたしを支えてくれた恩人。



 生まれてから何年経ったかを数える。


 この歳月というだだっ広い荒野に立っている。ときに蹲っている。進んでいるのだろうか、かえっているのだろうか。進むと身は千切れる。かえると満ちていく。わたしは満たされたまま進むことができずに、過去と現在と未来がごちゃまぜになったこの荒野で、子どものまま、大人のまま、あの頃のように揺らいでいる。けれどどれだけ進んでも、かえっていきたい。あの頃に。記憶でもない、時間でもない、感情でもない、人の了解を超えたあの世界に。わたしの人生はきっと丸い。一人じゃない、今はこころが一人でも。未来を経て夢見る。きっとそこには、今まで出会ったすべての人がいるはずだから。



 栞をそっと引き出しに戻した。無くしたものが免許証でよかったとしみじみ思った。


 

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