第4話 「いいわ。けど」

 ぼくは動揺していない。

 気分が沈んでもいない。

 そう、自分に言い聞かせる。

 しかし、もう、ゆきの細すぎる腰や、それにしてはしっかりしている肩や、頼もしい太さの太ももや、ウェブデザインの仕事をしながらふーらふーらと体を揺らしているゆっくりしたリズムや、そういうものが浮かんでも、ぼくの気分はぜんぜん浮かんでいかない。

 いや。

 それが気分を重くさせる。

 ということは、けっきょく、気分が沈んでいるのか。

 そんなことを自分につっこんでみても、気分が明るくなるわけではない。

 原因はいまの親からの電話だった。

 「あ、今度帰ってきたら見合いだからな。ちゃんとスーツを持って帰ること。それと、何か手土産にお菓子でも買ってきてくれ。もちろん、チープじゃないやつをな」

 「えっ? そんなの勝手に決めるなよ」

 「何をのんびり構えてるんだ。おまえももう社会人だろう。それとももう心に決めた人がいるのか? うん?」

 そこで

「うん、いるんだ」

と答えなかった。それがよけいに心を重くしている。

 「どうせおまえのことだからと思って、釣書つりしょはこっちで作っておいてやった。まあ、気軽に帰って来い」

 気軽に帰れるわけがない。ついでに、「釣書」なんてことばは、このとき親にきいて、インターネット辞書を引いて、初めて知った。

 「うまく行かなかったら断ってもいいんだな」

と確認し、

「それはそうだよ。見合いなんだから」

という答えを引き出したことで満足しなければならなかった。

 しかも。

 お土産にお菓子を買って帰ると言って、何を買って帰ればいいのだろう?

 時間が限られていたこともあって、それを聞く相手は倖しかいない。会社で同僚にきいて、どうしてこんどに限って帰省するのにお土産を買うのか、なんて勘ぐられたら、よけいに始末が悪い。

 あとで考えればネットで調べればよかったのだけど、そのときはなぜか思いつかなかった。

 しかも、それをきかれた倖は

「わざわざお土産持って帰るなんて、お見合い?」

と、とても鋭くきいたのだ。

 なんで、ぼんやりさんの倖が、こんなときだけ真相を言い当てるのだろう?

 そう考えて答えが遅れた。もうごまかすことはできない。

 「いや。親父が勝手に決めちゃってさ」

 それで、わざと斜めに向いて、なまいきに言った。

 「ちょっと行って来るわ」

 倖は、軽く口をとがらせて、ぼくを見た。

 しばらくそのまま動かない。

 これは……。

 何か決定的なことを言われるかな?

 生唾をのみこみかけたところで、倖は、はっ、と息をついた。

 「ま、いいわ。けど」

 いつものかわいい声でなかったのは確かだけど、かといってとげとげしい声でもなかった。

 ……と思う。

 「けど」のあとに何が続くのだろう?

 二度と家に入れてあげないから、とかも、覚悟した。

 「そのかわり、わたしにもお土産ちゃんと買ってきてね」

 ……はい?

 「それと、そういうだいじな本番で、シャツの襟が斜めになってるとか、ネクタイが湾曲してるとか、そういうのはNGだから」

 何だろう?

 この母親っぽいアプローチは。

 ぼくは、おどけ気味に

「はい」

と答えたけれども。

 もちろん、おどけを装っている余裕があったわけでもなんでもなかった。

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