第16話

 古野澪に続いて、ケイトはまだまだ廊下を進む。屋敷は二人以外は静かなものだった。

「人がいないのが気になるか?」

 控えめに周囲を見回していたケイトを古野澪が見ていた。

「一週間前、父が他界したからな。今は私しか住んでいないよ。だが不思議なものでな、私には他にも兄弟がいたような気がするのだ、それもこの広すぎる家がちょうどよく感じるくらいの。記憶にも記録にもないが。」

「私は悪魔が絡んでいると思っている。何者かが悪魔を用いて私の記憶や古野の記録を改ざんしたのだ。我らを謀った一団を壊滅させ正しい記憶を取り戻すこと、それが私の目標だ」

「妄想じゃないの」

ケイトが手厳しいことを言うと、古野澪は苦笑した。

「なかなか酷いことを言ってくれる。五日前に見つけた悪魔はいい線行っていたんだがな」

 五日前に見つけた悪魔……梢のことか。

「強力な力を持っているように見えたが……期待外れだった。ほとんどの力を別のことに使っている」

「梢は悪魔じゃない」

「梢? ただの道具アクマに名前を付けているのか。奇特なやつだな。いや、友達ごっこでもしていたのか?」

「ごっこなんかじゃない! 梢は本当に生きた人間で、僕の親友だ! 一緒に学校に通ってたし、姉だっているんだ」

「確かに、それは妙だな」

 ケイトの叫びに、古野澪は顎に手を当てて考え込んだ。

「そうだ、だから梢は悪魔じゃ――」

「そうか! あの悪魔が過去を改竄していたのか!」

 ケイトの言葉を遮り、古野澪はタガが外れたかのように笑い出す。

「そんなところにいたのか、私の大切なものを奪った犯人は! 弱っていて当たり前だ、過去を歪めるなど莫大な力を使わなければ不可能!」

 落ち着きを取り戻した古野澪が満面の笑みでケイトに言う。

「今日、貴様を家に招くことができて良かった」

「違う、梢は、悪魔なんかじゃ……」

 古野澪は優しい声音で語り掛ける。

「同情するよ、私と同じ哀れな被害者よ。恐らく何を言われてもアレを人間だと思うように操作されているのだろうね」


「さあ、入るといい」

 扉を開け、中に通された部屋は屋敷の端に位置する部屋だった。東に高く上った太陽がよく見える。

 古野澪は窓を見やった。

「ここからは門構えがよく見えるな」

 確かにその通りだった。落ち着かない様子でケイトを待っているハイトがよく見えた。

「そして、一族の秘密を、悪魔を他に知られるわけにはいかない」

 古野澪の指先にどこからか鉄くずが集まる。それらは人差し指の前で硬く結びついて、まるで弾丸のようだ。

 古野澪が軽くその鉄の塊を弾く。

 弾かれた鉄の塊は撃ちだされた銃弾のように窓ガラスを割り、ハイト目掛けて一直線に進んだ。


 そこから先はスローモーションのようだった。

 鉄の塊はそのままあっさりとハイトの胸を貫いて、そこに血の花を咲かせた。驚いた顔のハイトはそのまま力なく地面に倒れる。

 身体に空いた穴から血がとめどなく流れていた。

「ハイトーーー!!」

 激情に身を任せ、ポケットからナイフを取り出し古野澪に襲い掛かる。

 だが、感情だけで力の差を補う事はできない。

 ケイトはナイフを簡単に取り上げられ、床に転ばされていた。動かないように背を踏みつけられて固定される。

 再び指先に鉄くずが集まる。発砲音が聞こえて、それはケイトの眉間目掛けて飛んで

「ケイト!!」

 叫び声が聞こえた。そして柔らかな肌と布に包まれる。待っていた痛みは終ぞ来なかった。

「悪魔……?」

 長い黒髪と角が見えた。ぐにゃりと背景が歪む。室内に倒れていたケイトは、気づけば建物の外に出されていた。隣にはケイトの代わりに銃弾を撃たれた悪魔がいた。

「どうして……」

 どうしてついてきたのか、どうして僕を助けたのか。

「思うようにはいかないようね、どれもこれも。使いずらい悪魔になれば、ケイトが復讐を諦めてくれると思ったけれど、結局止められはしなかった」

 口調ががらりと変わった悪魔は、どろどろと自身の身体を溶かした。まるで身体が泥だったかのようだ。

 生えていた角も濃いメイクも落ちたその姿は、

「姉さん……?」

 ケイトの姉の姿にそっくりだった。あの男の言葉が蘇る。

『陣を用い、周辺に散らばる魂を凝集させる。』

 つまりこの悪魔には、あの時死んだ姉さんの魂も混ざっていると言いうことではないか。

「早く逃げて、澪が来る前に」

 悪魔は弱々しい力でケイトを押し飛ばした。

「ごめんね、望みを叶えてしまった悪魔は消滅する。だからもう隣にいることはできないけれど……」

 姉は笑った、記憶にある笑顔にそっくりだった。

「生きて!」

 風に乗って砂が舞う。姉の身体も砂へと変わり空へ飛んで行ってしまった。


 なんなんだ、悪魔とは。

 ますますわからなくなった。

 懸命に考えなくてはならないのに、考える気力がわかない。

 とぼとぼと庭を進む。門構えが見えてきた。赤く染まったコンクリートが見える。

 そこに、ハイトが。

 地面に倒れ伏している彼は小さく胸を上下させていた。

 生きている……!

「ハイト、ごめん。僕のせいだ。僕が高を括っていたから。古野澪はただの人間じゃなかった。もっと様々な想定をしておくべきだった。そのせいで悪魔も……」

 しゃがんでハイトを抱き起す。

 ケイトの瞳からは涙が滲んでいた。

「でも、生きていてくれてよかった。すぐに救急車を呼ぶよ」

 片手でスマートフォンを取り出そうとするケイトを、痙攣している手で止めたのはハイトだった。

「いいんだ。多分、もう生きられない」

「どうしてそういうことを言うんだよ! ハイトは死なない! 死なないでよ!! もう僕を置いて行かないで……」

 最後の言葉は嗚咽に紛れて消えた。

 遠くから乾いた銃声の音が聞こえた気がした。

「悪い」

「ハイトは何も悪くない」

「なんでかは分からねぇんだけどよ、急に思い出したことがあるんだ。俺はお前に謝らないといけない」

「夜遅くまでポスターを手伝わせたこと? そんなことどうだっていいよ、ハイトが生きててくれればいいんだ」

「いやそれは悪いと思ってねぇけど。もっと昔の話だ。俺たちが小学の頃」

「小学生の頃……?」

 おかしい。ハイトと出会ったのは高校からのはずだ。しかも交流があったのなら、ハイトのことを覚えてもいるはずだ。

「古野市に初めてできた百貨店で爆発事故が起きただろ? でもケイトはそれが起こる前に俺に教えた。だから俺は、ケイトがあの百貨店に爆弾を仕掛けたんだって思い込んだ。小学生らしい馬鹿な考えだよなぁ。ケイトもそれで兄弟が死んだのに」

「え?」

「それなのにお前を詰った」

「何を言っているのか、まるで分からないよ」

 そんな記憶は、どこにもなかった。

「ずっと悪いと思ってたんだ。俺よりもずっとケイトの方が辛いはずだった。俺も一週間前に姉貴が死んでようやく苦しみが分かったよ」

「許すよ! もうそんなこと気にしないでいいから! 僕だって覚えてないんだし」

 泣き顔のケイトの早口に、ハイトは掠れ声で笑った。

「ハ、ハハ。それじゃあ最後に、別の話題でも、するかぁ。再会した時から、気になってたんだけどよ、お前いつ苗字変えたの?」

「変わってなんか無いよ、僕はずっと宇良川だったでしょ」

「いや、小学の時は確か……」

 西江ハイトの最後に吐き出された言葉にケイトは絶句した。


古野慧斗フルノケイト




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