Day 2.

第5話

 目を覚ますと一面に白の世界が広がった。

 身体は寝転んでいて、首から下に柔らかい何かが乗っている。そこでケイトは自分が病院にいる可能性に思い至った。

 首だけを動かしてナースコールを確認する。それを見つけたケイトは迷わず押した。

 しばらくするとパタパタと足音が聞こえ、看護師が駆け込んできた。彼女は慣れた手つきでケイトが寝ているベッドを起こすと、顔色を窺った。

「お加減は大丈夫そうですか?」

「はい」

「それは良かったです。右手、右腕を押したり、強い衝撃を与えないで下さいね。深いⅡ度の火傷で、特にひどい部分はデブリードマンしています。でもその程度のけがで済んだのは奇跡ですよ。あの施設の子たちは目も当てられない状態だったから……。これに懲りたら、もう燃えてる建物には入らないこと!」

「あの、皆は火事で死んだんですか?」

 そう聞くと看護師は目を伏せて答えた。

「そうよ……生き残ったのはあなただけ。でもどんなに苦しくっても命を投げ捨てちゃ駄目よ。今あなたが生きているのは様々な幸運が重なった結果なんだから――」

「いえ、そういうことではなくて、皆の死因は焼死ですか?」

 看護師の言葉をさえぎって聞くと、看護師はこの子は何を言っているんだろう、という困惑した視線をケイトに向けた。

「きっとそうなんじゃないかしら? 警察の方もおかしなことは言っていなかったし」

「それなら、放火をした犯人は? まだ見つかっていませんか?」

「自然発火だそうよ。誰かを憎みたくなる気持ちは分からなくはないけどね」

「そうですか……ありがとうございます」

 看護師はケイトが家族同然の人物を喪った直後でまだ混乱していると思ったのだろう。

「しっかり休んでくださいねー」

 そう言って気休めにテレビの電源をつけてケイトの病室から退出した。


 死体があったあの部屋に火の手が回る前に、皆は死んでいた。つまり死因は焼死などではないし、犯人は必ずいるはずだ。こんなことをしておいて、逮捕も指名手配もされずにどこかでのうのうと生きているんだと思うとひどく憎らしいが、これはチャンスだ。刑務所に収監されていないなら思う存分私刑を下せる。

 いや、僕には悪魔がいるんだ。どこにいようと問題ない。看護師は奇跡だと言っていたけど、僕が生きて外に出られたのは多分あの悪魔のおかげだ。復讐を成し遂げるための大きな助けになるに違いない。

 そういえば悪魔だ。どこに行ったんだろう。病室にいたらいたでどうしているんだろうと思わなくもないが、いないとどこに行けば会えるのか全く分からない。

 もしかしたら僕の動向が分かる場所で待機しているのかもしれない。

 なんとなく病室の窓を覗いてみる。緑豊かな中庭が見えた。それだけだった。

 他にも部屋にある戸棚やら引き出しやらを開けてみた。部屋の中央に向かって話しかけてもみた。

 何もないところに話しかけるなんて、あの悪魔を喜ばす電波なことをしてしまったとその後で反省した。


 だがそれでも悪魔はいなかった。ケイトは諦めて看護師がつけていったテレビをぼうっと眺めた。

 軽快な音楽が流れだし、5時のニュースが始まる。早朝の方ではない、夕方の方だ。ニュースキャスターが次々と今日、昨日起こった出来事を語っていく。

 貴重な花が開花したとか、今夜の月がいつもより大きいとか、珍しい動物が外国からもたらされたとか。平和なことだ。

 キャスターたちの和やかな顔が一変して、真面目な顔つきになった。

「最後のニュースです。昨日6時ごろ、古野市にある児童養護施設が全焼しました。死傷者は職員、児童含めて44名が死亡、児童1名が軽傷。こちらはその様子です」

 映像が切り替わって、スタジオから燃え盛る施設が映る。左上には視聴者提供の文字があった。あの場にいる誰かが撮影していたのだろう。

 動画は進み、制止を振り切り建物に飛び込むケイトの姿が映っていた。その後、施設目掛けて空からバケツの水をひっくり返したという言葉が比喩ではなくなるほどの大雨が降った。

 雨が降り出した途端、野次馬が奇跡だと囃し立てていた。

 そこで最後に感じた熱さの正体に得心が行った。

 熱湯だ。

 燃えた家屋に溜まった雨水が温まって熱湯になっていた。ケイトのいた部屋の上階に溜まっていた湯は、降り続く雨に体積を増し、重さに耐えきられなかった天井が壊れてケイトに降り注いだのだろう。


 ニュース番組が終わって、刑事ドラマが流れ出す。特にすることもなかったので、ただじっとテレビを見詰めていた。傍から見れば、ケイトはテレビを真剣に見ている人だ。

 ドラマの内容は、大分ドロドロした話だった。間接的に人を何人も殺しているような裏の世界に生きる一族で、兄が両親を殺して、それを恨んで弟が兄を殺してしまうのだ。最後は何故か感動的な雰囲気を漂わせるラストだったが、ケイトは納得できなかった。

 きっとああいうやつらが皆を殺したんだ。家族内で殺しあっていても何一つ同情できない。あのいい感じに逮捕された弟も死ぬべきだったんだ。でも一家の犯罪を暴こうとした兄は少し見どころがあったと思う。あんな家に生まれたら僕もそうする。

 僕も……?

 気分が悪い。


 ガラガラと病室の扉が開く。顔を出したのは西江だった。

「ケイトー。お見舞いに来たぞー。って大丈夫か? すっげぇ顔色がわりぃけど」

「来てくれてありがとう。そんなに? 刑事ドラマ見てたからかな」

「病み上がりでそんなん見んなよ。人を殺したような顔してるぜ」

 西江は乱暴な手つきでテレビの電源を消した。

 西江と今日の学校はどうだったとか、雑談をした後、西江はふと思い出したようにケイトに聞いた。

「そういえば、お前梢と仲いいんだろ?」

「うん、まあそうだとは思うよ」

「あいつ今日学校来てないけど、何かきいてねぇ?」

 一日中病院にいた僕に梢から病欠の連絡など来るはずがない。これはつまり、暗に火事に巻き込まれたんじゃないか、と聞きたいのだろう。

 西江は人の心に土足で踏み込みんで来そうな見た目と性格をしているように見えるが、実際はむしろ気遣いが激しいきらいがある。

「別にもう火事のことで苦しんではないから心配しないで。梢のことは僕も何も知らない。火事とは全く関係がないよ」

 西江はそう言ってやらないとこれからも過剰に僕を気遣うだろう。

「本当に?」

「本当本当。今はむしろ前向きなぐらいなんだ。ある人が言ってたんだけど、一番の望みが叶えられないなら二番目の望みを叶えるべきだって。だからすぐにでも二番目の望みのために行動したい、そんな気分なんだ」

 西江はまだ不安げな顔をしていたが、

「そうか、心配して損したぜ!」

 と笑った。

「じゃ、俺は帰るわ」

 西江はスクールバックを持ち上げて病室の扉を開けた。そこでまたケイトを振り返る。

「お前が燃えてる家に突っ込んでた動画、拡散されてクラス全員どころか学校中に広まってるぜ。一応、覚悟しとけよ」

 そう言い残して、西江は帰っていった。




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