真の男はいいわけしない。ただ行動するのみである。

@2321umoyukaku_2319

第1話

 昭和十六年(1941年)十二月八日の真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争は、開戦当初は日本軍が優勢だったが、次第に連合国側が優位に戦いを進めるようになっていった。

 昭和十七年(1942年)六月、日本軍はミッドウェー海戦で航空母艦四隻を失う惨敗を喫する。

 昭和十八年(1943年)二月、日本軍は数多くの餓死者や病死者を出したガダルカナル島の防衛を断念し、同島を撤退した。

 同年五月、アッツ島守備隊が玉砕する。

 同年十一月、マキン島とタラワ島の守備隊が全滅する。

 かくも悲惨な戦況に心を痛める軍人がいた。

 その男の名は牟田口廉也むたぐちれんや、日本陸軍の中将である。

 彼は、日本が苦境に陥っている一因は自分にある、と強く思い込み、その責任を深く感じていた。

 話は昭和十二年(1937年)に遡る。当時、牟田口は支那駐屯歩兵第一連隊長として北京(当時は北平ぺいぴんと呼ばれていた)郊外で中国軍の動きを警戒する任務に就いていた。そこで発生したのが日中両軍の軍事衝突、いわゆる蘆溝橋ろこうきょう事件である。この戦いが端緒となって、日中両国は全面戦闘に突入した。日中戦争(支那事変)は日本軍が優勢に戦争を進めたが中国軍は頑強に抵抗し、戦局は泥沼化した。難局を打開するため、日本軍は南方への進出を目論み、英米との戦争を決意する。そして始まったのが太平洋戦争(当時の日本側の呼称は大東亜戦争)で……本稿の最初に戻るのである。

 牟田口廉也は思う。支那駐屯歩兵第一連隊長である自分が別な対応をしていれば蘆溝橋事件は小規模な武力衝突で終わっていたかもしれない。そうすれば泥沼の支那事変は起きなかっただろうし、膠着した中国戦線を好転させるべく始まった大東亜戦争も当然、起きなかった。

 責任感の強い彼は、何もかも自分が悪いのでは……とまで思い詰めてしまった。

 自身の罪を償う唯一の方法は戦争に勝利すること以外にありえない。

 日本軍が占領したビルマ(今日のミャンマー)を防衛する第十五軍の総司令官となった牟田口はインド進攻を決断した。日本の奇跡的な逆転勝利のために、イギリスが支配するインドを占領しようと考えた彼は、多くの反対意見を押し切り出撃した。

 牟田口廉也が考え出したインド攻略計画つまりインパール作戦は五万人の兵力を失う大惨敗で終わった。それが昭和十九年(1944年)七月で、日本の降伏は昭和二十年(1945年)八月だ。

 責任という言葉の意味を我々に教えてくれる反面教師、牟田口廉也は昭和四十一年(1966年)八月に亡くなった。その墓は多磨霊園にある――と、彼のWikipediaに書いている。

 最後に。もしも本稿を読んで、何か感じることがあったとしたら、私の代わりにウィキペディアに募金をお願いする。本作品を書くにあたってWikipediaを読んでいたら、募金の表示が出て来たのだ。そう、ジミー・ウェールズから皆様へのメッセージが、また表示される季節が訪れたのだ――私には、募金する金がないと、ずっとジミーに電波を送っているのだけれど、彼は私のいいわけに耳を傾けてはくれず、しつこく表示が出て本当に困っている。誰か何とかしてくれないだろうか(募金するかどうかは言うまでもありませんが個人の判断にお任せします。それと侍JAPAN、イタリアに勝ちましたね。試合を見ていたら執筆が遅れましたよ。果たして明朝、私は寝坊せずに起きられるのでしょうか。それではおやすみなさい)。

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