第15話 大天使ネレマの『変な話』⑦
「痒いところはありませんか〜?」
「はい……大丈夫です」
いま私が居るこの空間は、三人で入るのには十分過ぎるくらい大きなお風呂場で、湯船には先に洗ってもらった真帆が入っていて憂梨那さんに洗われてる私の方を見ている。
「せっかくお姉様と二人きりで入れると思ったのに……」
真帆はそうボソッと言って「はぁ……」とため息をつくと湯船のお湯に顔を沈める。
私……一緒に入っても良かったのかな。
真帆には、ごめんね、と心の中で謝っておく。いまお風呂に入っているこれが真帆が憂梨那さんからのご褒美なのは知っていたのに、私は憂梨那さんに言われるがままに一緒に入ることになってしまった。
こんなことを考えている間も、憂梨那さんは私の髪の毛をゴシゴシと泡を立てて洗ってくれている。
「乃瀬さんの髪の毛は、指が引っかからないので洗いやすいですね」
「そう、なんですか」
そんなこと言われてもなんて返せばいいのかわからない。
「そうなんですよ。真帆さんの髪の毛は、なかなかお風呂に入らないので、かなり指に引っかかちゃうんですよ」
クスクス笑ながら言ってる憂梨那さんの声を鏡を見ながら聞いていたら、真帆がいる左の方から突然水飛沫が飛び散って、私の足元に届いた。
私は飛沫が飛んできた方を向くと、憂梨那さんに向けて「侵害です」と言いたそうに立つ真帆の顔を見た。
「お、お姉様! そんな嘘、乃瀬に教えないでください!」
真帆の方から飛んできた足元のお湯は、目の前にある鏡の下の排水管に私の頭から落ちた泡を、一緒に行こう、と言うように誘って排水管の中に流れていった。
「事実を教えてあげてるだけですよ?」
憂梨那さんは、そのまま私の頭を泡立てながら、顔だけを真帆に向けてそう言った。
「うっ、た、確かに事実ではあるんですけど、それは生きていたときの話で、もう事実じゃなくなりました〜」
口をいーってして、手を湯船の淵に置いている真帆は、身長も相まって実に子供っぽく、そして可愛らしく見えた。
「それもそうですね。――それより真帆さん、後でその姿を絵に描きたいので、ずっとそのままで居てくれませんか?」
視界の端にいる憂梨那さんが、本気の顔で真帆にそんなことを言った。
それに対して真帆は、
「いいですよ!」
と瞬時にそう返して、その体制のまま固まった。
それを私は本当にずっとそのままでいるのかなって思いながら、見つめていると真帆がこう言ってきた。
「あたしの髪の毛は元々、見た目はお姉様と同じでサラサラしてるように見えるけど、本当は櫛でも溶かしにくい髪質だから洗ってるときに引っ掛かっちゃうのは仕方ないの! それに言っとくけど、ここでは別に身体が汚れることなんて無いんだから、汗もかかないの、だからお風呂に入る必要は特にないの! わかった?」
真帆が必死に捲し立てて言ってくるから、私は何を言うでもなく、コクンと頷いた。
正直に言うと少し怖かった。けど、真帆の体制を見てると、可愛さが勝って怖いって思ったのは一瞬だった。
「――乃瀬さん、目を瞑ってくださーい」
憂梨那さんの声が聞こえた数秒後には、シャワーから出るお湯が頭からかけられていた。
なぜ私がシャワーとかを知っているかっていうのは単純で、浴室に入ってから色々と聞いてみたら、憂梨那さんがこの空間にある物全てを教えてくれた。
目を瞑って下を向きながら、泡を連れて下に流れていくお湯を感じながら、流し終わるのを待っていた。
「目を開けていいですよ〜」
後ろから声が聞こえて目を開けて鏡を見る。
「……えっ、どうしたの?」
私はそんな反応しかできなかった。だってシャンプーを流し終わって目を開けたら、真帆が憂梨那さんの隣で一緒に並んでるんだから。
「お姉様に、手招きされたから来ただけ」
真帆はさっきの体制をやめていた。
「そう、なの……?」
憂梨那さんは何で、真帆を手招きしたんだろう?
「そうなの。まあ呼ばれた理由は、予想できるけど」
「それじゃあ、やりますよ〜」
「はーい!」
「え、あ、は、はい……」
何が始まるんだろう?
そう言った瞬間、憂梨那さんが私の前に来て、脇に手を入れられた。
「な、何するんですか⁉︎」
突然のことで、理解が追いつかず勢いよく立ち上がり、自分の脇に手を入れる。
「羽を出すの」
後ろから冷たいと感じるくらいの声で真帆がそんなことを言った。
人間ってここまで人によって、態度を変えられるものなの?
そんなことを思ってから、いま真帆が言っていた言葉を反芻した。
「はねを、だす……?」
……………………え? 聞き間違いかな。
「あたしも説明するの得意じゃないから、感覚で話すから」
「乃瀬さん、ごめんなさい。これから話すことを信じてもらうには、実際に見た方がいいと思ったので、部屋として一番大きいお風呂場で羽を出すために、お風呂に誘ったんです」
そんなことを考えていたなんて、全然わからなかった。だからお風呂場は、こんなに広いんだ。
でも羽を出すなんてそんなこと……できるの…………?
だって私は人間だよ。人間に羽が出せるなんて聞いたことがない。いや、もしかしたら村の人が誰も教えてくれなかっただけで、みんな羽を持っていたのかな?
あり得る話だった。腫れ物だった私なんかに、教える道理はあるわけがないから。
…………でも待って、だとしても知里なら教えてくれてたはず、「わたし羽が生やせるようになったよ」って言って実際に見せてくれてたと思う……。
でも実際は羽なんて生やしてるところを見たことがない。ならやっぱり羽なんて持っているわけがない。
「それのせいでせっかくのあたしのご褒美が……」
「今のこれは、真帆さんへのご褒美ではありませんよ」
「えっ……! そんなぁ、あたしちゃんとお姉様の言っていたことをできていなかったんですか……?」
真帆が今にも消え入りそうな声で、落ち込んでしまった。
「ごめんさない言葉足らずでした。お風呂に一緒に入るご褒美は、明日にしましょう」
憂梨那さんがそう言った瞬間、真帆の顔が、ぱぁ、と明るくなった。
「はい! やったーー! お姉様と二人きりのお風呂……! やったやった〜」
「それでは、真帆さん。乃瀬さんに羽の出し方を教えてもらってもいいですか?」
「はい、わかりましたお姉様。――じゃあ乃瀬、最初にあたしが羽を出すから、少し離れてて」
「うん、わかった」
真帆の方を振り向いてからそう言って私は、どこに行くか迷ってたら憂梨那さんに肩を軽く叩かれて、「湯船に浸かりましょう」と言われてそれに従って、そこまで行く。
「いくよ」
真帆はそう言ってから目を瞑って意識を集中させた。
「後ろをよく見ててください」
目を瞑ってから十秒ちょっとが経過した。
どうやって羽が生えてくるのか、目を凝らして見ていると真帆の後ろから白い何かが顔を覗かせた。
「あれが羽ですよ」
憂梨那さんが白い何かを指さして教えてくれる。
「あれが……」
気づいたら私は湯船から出ていた。歩いて真帆の背中まで回っていた。
その羽はまだ生えてる途中で、目を瞑っている真帆は私の存在に気づきすらしない。
背中の中心辺りから、ゆっくりとゆっくりと羽は横に広がっていく。
「すごい……」
自分で言ったその言葉すらも、今の私の耳には入らなかった。
真帆の背中から生えたその羽は、言葉では表せないほど神秘的だった。
「どお! この羽綺麗でしょ!」
羽が完全に生え終わった真帆は、真っ先に私に羽を少し動かして同意を求めてきた。
「うん……きれい」
たぶんこれは無意識で言っていたと思う。
見たこともない神秘的と感じるほどの真っ白さ、そしてお風呂場にギリギリ入る大きな羽、完全に見入っていた。
「ふふんっ! そうでしょそうでしょ!」
バサバサと羽が動いた。その羽は私の顔や身体に当たる。だけど不思議なことに、風が全く起きていない。
「かぜ……なんで起きないの……?」
思ったことが勝手に口から飛び出していた。
「気になりますか?」
いつの間にか私の隣に立って真帆の頭を撫でていた憂梨那さんに驚きつつも、
「では、羽を出してから説明しましょうか」
「でもどうやって出せば……?」
そう、一回羽が生えるところを見たところで出来るわけがない。
「お姉様〜、もっと撫でてください〜」
「あとでいっぱい撫でてあげるので、乃瀬さんに羽の出し方を教えてあげてもらってもいいですか?」
「はい! わかりました!」
真帆は、憂梨那さんにそう言われると次の瞬間には背中にあった羽がぱっと消えてしまった。そして真帆は、私と憂梨那さんの方に向き直った。
「あ、あの……変なことを聞くんですけど、なんで憂梨那さんが教えてくれないんですか……?」
「あたしじゃ、不満なわけ?」
真帆が私のことを睨む。
「真帆さん、怒りませんよ」
憂梨那さんが
「は〜い!」
「それで、わたしが乃瀬さんに教えられない理由なんですけど、……わたしは致命的なほどに説明が下手で真帆さんの方がわたしより教えるのが上手だからです」
「何言ってるんですか! お姉様の教え方は、とてもわかりやすいです!」
「ありがとうございます。でもそれは真帆さんとわたしがずっと一緒にいたから理解できるだけらしいんです。めいさんの反応を見た時に理解しました」
「――それはあの方の頭がおかしいだけです」
「そんなことを言ってはいけませんよ」
「で、でも……お姉様の説明を聞いて理解できない人なんて、やっぱりおかしいです」
「真帆さんは本当に優しいですね。その優しさが本当に羨ましいです」
「――あ、あの」
二人の会話を遮るように大きく声を出すと、お風呂場全体に反響した。
「なに?」
私の声が消えると、次に冷ややかな真帆の声が反響した。
「え、えっと……憂梨那さんが説明苦手なのはわかったから、真帆が教えてくれるんだよね」
というか私にあんな綺麗な羽があるのかな?
実際に真帆からは羽が生えてくる瞬間を見たから、羽が存在することの疑いはないけど、私からその羽が生えてくるのかってことに関してはまだ半信半疑だった。
「話聞いてたの……? お姉様は説明が苦手なんじゃなくて、聞いた人が理解できてないだけ」
「――はーい、ということで、わたしの口頭の説明だとわからないかもしれないので、真帆さんにお願いしていたんです」
憂梨那さんが会話に割り込んできて、無理やり話を終わらせて真帆に目配せをした。
「お姉様にお願いをされたからには、教えてあげますけど」
そう言うと真帆はコホンと咳払いをしてから、私と向き合った。
「一回しか言わないから。まず、さっきのあたしの羽根を覚えてるでしょ、それを頭の中でイメージしてから、それがどこから生えているのかを想像して」
目を瞑ってさっきの真帆をイメージすると、真っ暗なところに羽の生えている白髪の少女――真帆が姿を現した。その真帆は白くて綺麗な羽を動かしている。
そうして真帆の羽を見ていると、突然横に私が出てきた。羽は生えていない。
「私が入る前に、そこまでできたんですね。それでは次は、二人とも後ろを向いてもらいましょうか」
目を瞑っている私の横で、憂梨那さんがそう言ってくる。
私は疑問に思うこともあったけど、今は気にしないで憂梨那さんの言葉通りに、二人に後ろを向いてもらう。
「上手です上手です。そしたら真帆さんに近づいてみましょう。羽の生えている場所を見るんです」
真帆に近づくイメージをすると、私の視界が動き始めて暗闇に立っている真帆の間近まできた。
「真帆さんの羽が生えている位置を覚えてください。覚えられたら次は、横にいる乃瀬さんに同じ羽が生えていることを想像してください」
羽が生えている位置は、背中の中心から少し上。二枚の羽が左右にそれぞれ向かっている。
今、見たことを頭の中だけで反芻して、私自身にもあることを想像した。
そうしたら、真帆の隣にいたはずの私がいなくなって、羽が生えている私が現れた。想像した通りの私だった。
「完璧です。次で最後になります。その人形と同じように、自分自身に羽が生えてくるイメージをしてください」
想像で生やすのと、実際に生やすのは難易度が違いすぎる気がするんですけど……。そんなことを思いながらも言われた通りにする。
背中から羽が生えてきた真帆を思い出していた。あんな風に私の背中にも羽が……。
――背中がむずむずしてくる。まるで本当に羽が生えてきているような感覚がする。
真帆みたいな大きな羽。それだけを想像していた。
「乃瀬さん、もういいですよ」
肩に手を置かれて私は目を開けた。
「わぁあ! 本当に生えた……」
開けた瞬間に驚いた。鏡に映る私が羽を生やしていた。
鏡に映ってる私の羽は、想像通りに生えていて真帆と同じ神秘的な白さだった。
「お姉様の説明の仕方すごいでしょ!」
「うん! すごかった! 私の見ているのを憂梨那さんも私の隣で一緒に見ているのかなって思ったくらい正確にどうすればいいのか教えてくれて想像しやすかった」
「そうでしょ! お姉様の説明はすごいよね」
こんなに上手く説明できるなら憂梨那さんが直接教えてくれても良かったような……?
「二人ともありがとうございます。ですが真帆さんが最初に伝えたことだけで、想像世界に行けた乃瀬さんもすごいですよ。わたしはその人が見ている想像世界を見ることができて助言するくらいのことしかできないので。口頭で伝えるのは苦手なので……」
憂梨那さんは最後に何かをボソッと言ったけど、羽を動かそうと力を入れることに夢中になっていた私には聞こえていなかった。
「動いた! 動いた!」
初めて羽を動かせた嬉しさで少し大きな声が出てしまった。
「ちょっとうるさいよ乃瀬」
「見てみて真帆! 私羽を動かせてる!」
あれ……? でも風がこない。羽をいくら動かしても全くと言っていいくらい風が起こらない。
「わかったから、そんなに動かさないで。危ないでしょ」
言いながら真帆は、湯船に浸かりに行ってしまった。
「はーい。ところで憂梨那さん、いくら羽を動かしても風が起きないのは何で何ですか?」
「いいことを聞きますね。それはですね、ここの世界は空気がないんです。空気がなければ風は起こせませんよね。つまりそういうことです。――ところで空気がないのに会話ができるのはなぜだと思いますか?」
空気って、無意識で吸ったり吐いたりするもの……だよね。そういえば、今の私は……呼吸をしていなかった。
「わからないです」
素直に知らないと言う。まず、空気がないと会話ができないということ自体初めて知ったのに、空気がないのに会話ができる理由を聞かれても……って感じだった。
「そうですよね。ごめんなさい、変なことを聞いてしまって。さて、そろそろ上がりましょうか」
「わーい。お姉様、あたしの身体を拭いてください!」
「いいですよ。乃瀬さんも上がりますよ」
「はーい。今行きます」
結局このお風呂は、羽の存在を教えて私がこれから聞くことを信じやすくするためだったのかな?
そういえば憂梨那さんがそういうことを言っていた気がすると思い出しながら、二人の後ろに並んでお風呂場から出た。
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