第14話 大天使ネレマの『変な話』⑥

「――わたしを置いていかないで……乃瀬ちゃん」



 ――ポタッと一滴の雫が頬に落ち、それによって目が覚めた。

 外は朝日が昇り、小屋の外に立つ木の枝と枝の隙間からキラキラと輝く太陽の光が差し込み、壁の朽ちた場所から光が届く。

「ん……もうあさ……?」

 私は知里の膝からゆっくりと上半身を起こし、背を小屋の壁に預ける。そして、目を擦りながら辺りを見回し、知里に話しかける。

「知里……おはよ〜」

 あくびをしながら、呼びかけた。

「…………んん〜……どうした……の〜?」

 知里は、私の一回の呼びかけで目を覚ました。

「あさ……だよ〜」

 と、私はまた大きなあくびをしながら教えてあげる。

「……あれ?」

 そう言うと知里は、首を動かして、ちょっとしか開いていない目で何かを探し始めた。

「何で……乃瀬がわたしの膝からいなくなってるの……?」

 どうやら、探していたのは私のようで、膝から私がいなくなって心配? してたのかな。知里を起こしたのは私なのに。

「何言っているの、私はここにいるよ」

 私は、知里の膝にまた頭を乗せて、そう言ってあげる。

「あ、ほんとだ〜。良かった〜」

 そう言う知里はまた昨日みたく、私の顔を覆うように体を前に倒して、覆えないところは腕を使って、私の左側を覆った。顔を知里で覆われた私は、暖かさを感じた。ただ、私とは逆に知里の体は小刻みに震えているようだった。

「知里……もしかして寒い?」

 今日の体感で感じる気温は、昨日よりは暖かく、震えるような寒さではない。

「……えっ! ど、どうして?」

 私の言葉に、知里は体を起き上がらせて、震えた声で聞き返してくる。

「どうしてって……」

 もしかして知里は、震えていること自体に気づいていない……?

「体が震えてたから寒いのかなって」

 私も起き上がって、知里の隣に座って言う。

「あっ……う、うん。そうなの、ちょっと寒よね」

 その言い方には、何か違和感を感じる。どんな違和感なの? と聞かれても答えられない、小さな違和感。

「……なら次は、私が温めてあげる」

 知里が見せた小さな違和感を考えることを辞めて、今は知里との時間を一秒も無駄にしないようにしよう。そう思って、

「やった〜! どうやって温めてくれるの?」

「こうやって――」

 私は、両手を知里の首の後ろに回し、左のほっぺを知里のほっぺにくっ付けて一緒に右に倒れる。

「――きゃっ」

 突然倒された知里は驚いて、短い悲鳴を漏らした。

 でも、私は知里の悲鳴を聞こえなかったかのように無視して、横に倒れた知里のお腹に、足を巻きつけるように抱きついてギュッと力を入れた。

 そうすると、私と知里の身体は完全に密着して、次第に暖かくなり始めてきた。

「あったかい?」

 抱きつきながら、知里の耳元で囁く。

「うん。あったかいよ」

 知里もそう言うと、私の脇の下に腕を通してギュッと抱きついてきた。

「私もあったかい」

 お互いもう離さないと言わんばかりの力で抱きしめ合っていると、次第に知里の身体の震えが無くなっていった。

「ずっとこのままでいたいよ」

 私の耳元で弱々しく囁く知里に、私もそう思ってることを囁く。

「うん。私もずっとこのままでいたいな」

 ――永遠に。

「じゃあ……じゃあ、このままずっとここにいようよ」

 そんな訳にはいかないよ。怪しまれたら私も知里もおしまいなんだよ……。私と同じ目に遭う知里は見たくないよ。

「ううん。だめ。そろそろ帰らないと……」

 ほっぺをくっ付けたまま、首を横に振って知里の提案を断る。夜以外は、私とはいちゃダメ。

 私たちが会えるのは、みんなが寝静まる夜だけだから。

「…………う、ん。そうだよね。ごめんね、わがまま言って……」

 その声色はとてもかなしそうで、苦しそうだった。

「私の方こそ……ごめんね」

 お互いしんみりとした気持ちになってしまう。知里のことを朝からこんな気持ちにしてしまった、自分のことが憎く思える。

 なんで私はいつも、知里の気持ちを優先してあげられないんだろう。知里のしたいことを否定して、自分の考えを押し付ける。これじゃあまるで、『知里を守りたい』を盾にして、自分を守ってるいるだけだ。

 ――ハッとした。

そうだ、私は知里の気持ちを後回しにして、知里が私と同じ目に遭わないようにって、夜にしか会わないようにして、守っている気になっていた。でも、私が知里の立場だったら一緒に居られることが幸せで、仮に同じ目に遭うとしても誰の目も気にせず会いたい、って思う。

 ――そう……思うのに、知里が同じ目に遭っている姿が鮮明に浮かんできて怖い。

 それでも、怖いで知里の気持ちを後回しにするのはもうおしまいにしないといけない。

「……知里、私決めた。半年後に知里のわがまま何でも聞いてあげる」

 なぜ半年後と言ったのかは、勝手に口から出て行ったせいで、自分でもわからない。

さっき知里の気持ちを後回しにするのは、おしまいにするって決めたのに、結局、私は覚悟ができていないから、『半年後に』という、時間稼ぎのズルいことをしてしまう。

「なんでも……?」

 それでも知里からは、嬉しいとでも言うような明るい声が私の耳に入ってくる。

「うん。何でも知里の言うこと聞くよ。だから、あと半年だけ待ってくれる?」

 ――その間に覚悟を決めるから。今まで見たくないからと逃げてきた、知里を不幸にする覚悟を。



「さん……大丈夫で……すか?」

 意識の遠くの方から声が聞こえる。

「……あっ、えっと」

 顔を上げると、さっきまで真帆が座っていた椅子に髪の短い白髪の女性が座っていて少し戸惑う。

「突然涙を流していたので心配になって声を掛けたんですけど迷惑でしたか?」

「いえ……ありがとうございます」

 私の思考を中断してもらって助かった。そこからの半年間は、思い出したくない程に嫌な思い出しかないから。結局、私は約束すら守れず知里のお願いに甘えた。本当は一緒に死んで欲しかったのは私の方なのに、言い出せなかった私の代わりに言ってくれた知里のお願いに救われた。

だから、死ぬ前に知里が言っていた、『乃瀬はわたしに合わせているだけで本当はわたしのことを好きじゃなくて迷惑しているんじゃないかって考えると怖くて……』という言葉を聞いたとき、私は頭が真っ白になってしまった。

 何でそう思わせてしまったのか、考えに考えた。

 迷惑なんて全くしていなかった。むしろ私の方が迷惑じゃないかと考えていたくらいに――。

 机の上を見つめながらそう考えていると、向かい側の椅子の方から、急に手が伸びてきて驚いた。

「思い詰めるのはそこまでですよ」

 机の上で、手を振られたせいで、意識がそっちに持って行かれて顔を上げた。

 そうして、疑問に思ったことを聞く。

「あの……ごめんなさい。貴女はだれなんですか?」

 扉の前に立っていたときは、その透き通るような綺麗な白髪の髪が地面につく程に長かったのに、いま目の前に座っているこの女性は、肩に少しかかるくらいに短くなっていた。

「真帆さんのお姉ちゃんですよ?」

「そう、なんですか……?」

 目の前にいる女性の言葉にまた少し戸惑う。確かに綺麗な顔立ちや、特徴的な白髪の髪は扉の前にいた時と何も変わっていないけど、少しの時間で変わってしまった髪の長さが私に戸惑いの気持ちを生ませる。

「信じれていないという様子ですね」

 私の反応を見てなのか、すぐに私の心を言い当てられてしまった。

「その……扉の前にいた時と、髪の毛の長さが変わっていて、なぜそんなに短くなっているのか気になって……」

 そう言うと、目の前に座ってる女性は、嬉しそうに顔をほころばせた。

「やっと髪のことを言ってくれる子を見つけました」

 そう言うと女性は立ち上がり、私の前まで来て手を握ってきた。

 え……もしかして、試されていたってこと……? でも、何で……?

「ありがとうございます。もうかれこれ十人に同じことをしてみたんですけど、誰一人として反応してくれなくて。なので嬉しくて、本当にありがとうございます」

 握った私の手を上下に振りながら、女性は嬉しそうに語っている。

――そうやって、語る女性の話を黙って聞いていると、声が大きかったのか、赤い毛のクマのぬいぐるみを、着ている空色のワンピースの首元から顔を覗かせる様にして、寝ていた真帆が起きてしまった。

憂梨那うりなお姉様ー!」

 真帆は起きるとすぐに、ベッドの上に立って私の目の前にいる――真帆が憂梨那と言った女性に後ろから背中に飛びついた。

「――うわぁ」

 突然後ろから衝撃を受けた憂梨那さんは驚いて後ろを見た。

「お姉様ー。お姉様ー」

 真帆は、憂梨那さんの腰に腕を回して、無邪気な子供の様になっていた。

 飛びついた真帆は、憂梨那さんの腰に抱きついたまま、また寝息を立てて寝てしまった。

「わたしの真帆さん、可愛いですよね」

「可愛いですね。――でも、私は知里の方が可愛いと思います」

 なぜか私は、可愛いの言葉に反応してしまって、そんなことを言ってしまった。

 確かに、――憂梨那さんと一緒に居る時の真帆が可愛いのもわかる。だけど、知里が一番可愛いことは事実なんだから、言ってもいいと思う。

「乃瀬さん、言いますね。……って乃瀬さん、大丈夫ですか?」

 憂梨那さんの見ている視線が私の頬を見ている気がして、自分の頬を触る。

 すると、何か温かい物に触れた。

「えっ……あっ、ごめんなさい」

 涙が溢れていることに気づいた私は咄嗟に目元を抑える。目の下を力強く押して涙が出てこれないように必死に抑えた。なのにそれでも止まることはなかった。

「大丈夫ですよ。今は泣きたいだけ泣いてください。ここには誰も乃瀬さんを責める人はいませんよ」

 そう優しく声を掛けられて、私は今までの事を全て思い出してしまい、何十分もむせび泣いた。

 私が泣いている間、憂梨那さんは安心させる様に私のことを包み込んでくれていた。

「ありがとう……ございます。もう大丈夫です」

 憂梨那さんの胸から離れて、顔を上げた。

「本当に大丈夫ですか?」

「はい。泣いたらスッキリしました」

 本当はまだ、完全にスッキリした訳ではない……けど、これ以上迷惑を掛けられないと思ったから、泣くのをやめた。

「なら、良かったです。――ところで乃瀬さんは、ここがどこなのか知りたいですか? もしかしたら、話の内容は、乃瀬さんに取ってショックな内容かもしれませんけど、知りたいと言うなら私の知っていることはお教えできますよ」

 私の目を真剣に見つめて言う憂梨那さん。

 それに私は、

「知りたいです。もしそれを聞いて、知里がどこに居るのかわかるなら、どんなことでも教えてください」

 私がそう言うと、憂梨那さんは腰に抱きついてる真帆を起こして、部屋から出て行こうとする。

「あの……どこいくんですか?」

 何も言わずに、突然部屋から出て行こうとする憂梨那さんに聞くと、

「話をする前にみんなでお風呂に入りましょ」

 と言われた。

「お風呂ですか……?」

 真帆は、憂梨那さんの言葉を聞いて、少しずつ意識が覚醒してきたようだった。

「真帆さんは、一緒にお風呂入りませんか?」

「いいえ! お姉様と一緒に入ります!」

『お風呂』という言葉に、完全に意識が覚醒した真帆が、元気よくそう言った。

「乃瀬さんも、早く行きますよ」

「えっ……! 私も何ですか」

 私は戸惑いの声を上げたが、言ったときにはもう、真帆も憂梨那さんも部屋から居なくなっていて、慌てて私も二人が出て行った扉を出て追いかけた。

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