第13話 大天使ネレマの『変な話』⑤
季節は夏。私はいつも通り、村が真っ暗な闇に包まれたのを確認して、足音を一切立てないように注意して、家を抜け出す。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
家を抜け出して走ること、約十五分。
辺りは雲一つない空から、月明かりが足元を照らし出してくれている。
私が今、その月明かりを頼りに向かっている先は、一年と半年前に知里が私のことを『好き』と言ってくれた、あの小屋だった。
もう知里は来ているかな?
私はウキウキした気持ちで、走って向かっている。
あの日から、私と知里は、あの小屋で毎日、会う約束をしている。
最初は知里が、昼間も会いたい、と言って聞かなくて説得するのが大変だった。本音を言えば、私だって時間も誰の目も気にせず、知里と会いたい。けど知里が、村の人や知里の両親から、今の私と同じ扱いをされるのは、絶対に見たくなくて、私はこの小屋以外で知里と会うことはしない、と言ってこれを絶対曲げなかった。そうしたら、私の意思が硬いのを感じ取ったのか、知里が渋々といった感じで、承諾してくれた。
そうして、私たちは小屋で秘密に会う関係になった。
山に入り、十分と、走ったところで眼前に小屋が見えてくる。
今日の朝、帰った時は閉めたはずの扉が開いている。
ということは、知里がもうきているということ。
私は朝ぶりに知里に会えるのが嬉しくて、足をもっと速く動かして、全速力で小屋の目の前まで行く。
「知里! お待たせ!」
私は嬉しくて、つい大きな声で言ってしまった。
「乃瀬……おそかった……ね」
真っ暗な小屋の中から、知里の声が聞こえる。私は開いている扉から入って、何も見えない小屋の中を、目を凝らして見てみると、次第に目が慣れてきて、目を擦ってる知里が見えきた。
「あ……ごめんね、大きな声出して」
今は夜中で、こっそり会うためにはかなりの遅い時間にしなければいけない……。でなければ、村の誰かに見られるかもしれない。
だから、私が外に出る時も、お父さんとお母さんが寝てからでなければいけないから、今日はかなり遅れてしまった。
「ううん……平気だよぉ」
ふわぁ、っとあくびをしながらそう言ってくれる。
あくびしてる知里かわいい……!
そういうことを考えながら、知里の横に行って座る。
「乃瀬って、呼ぶの……まだ慣れないね」
横に座った私の肩に、頭を預けて、おっとりとした口調で言われる。
耳に入ってくる、知里の声が心地いい。
「そうだね、私も知里って、呼ぶの慣れないよ」
なぜ私たちはお互いの名前を呼ぶときに“ちゃん”を付けなくなったのかと言えば、見えるような形での特別が欲しかったからだった。
「…………」
すぅすぅ、という寝息が、肩の方から聞こえてくる。
「知里、寝ちゃった?」
「…………」
反応がない。ほんの数十秒前に一緒に話していた知里だけど、完全に寝入ってしまったようだ。
「知里。今日もお疲れ様」
私はそう言って、寝ている知里の頭を撫でる。
知里の綺麗な黒髪は、背中まで伸びていて、手のひらに乗せてもサラサラ〜、と落ちてしまう。
そんなことをしていると、ふわぁ、っとさっきの知里みたいにあくびが出た。
そろそろ私も寝ようかな……。と思って、目を瞑る。
サー、と風が吹いて、山の至る所に生えている木の葉が揺れて、葉と葉が擦れる音を聞きながら、私は肩に知里の温もりを感じながら、壁に寄りかかった状態で、眠りについた。
季節は移り秋になった。今日は昼間から少し寒かった。
夜、私はいつもと同じように、お父さん、お母さんが寝たのを確認して、知里に会いに、小屋に来ていた。
「う〜……乃瀬〜、今日さむいよ〜」
「う〜ん、そうだね〜。寒いから知里のお腹にあっためて貰おうかな〜?」
もうこの時には、お互いを“ちゃん”を付けずに呼ぶことに慣れ始め、自然に呼べるようになってきていた。
「い、いいよ。乃瀬のためなら――」
そう言うと、知里は寒いにもかかわらず、お腹を曝け出した。
「…………!」
冗談で言ったつもりが、まさか本当に脱ぎ出すと思わなくて、少し驚く。
「乃瀬……、寒いからはやく……!」
その声に、体温が少し上がった気がする。
「う、うん……じゃあ」
ゆっくりと体を倒しながら、隣に座っている知里のお腹に、そっと頭を預ける。
「……あったかい?」
「あったかいよ」
ほっぺたが、直接知里のお腹に当たり、ほんのりと温かさが伝わってきて心地よい。
無言で知里の体温を堪能していると、うとうと、と眠気が襲ってきた。
このまま眠っちゃおうかな、と思い始めたとき、突然、知里が私の髪の毛を撫でながら、こう聞いてきた。
「乃瀬はさ、この村から出て行こうって思わないの?」
その言葉を聞いて、なんでそんなこと聞くの? と言いたくなる。
……正直に言うなら、出て行きたいって思ってた。けど、それはできなかった。知里と離れ離れになって、この先また会える保証がないなら、今の現状の方が村を出ていくより、何百倍も幸せと思ったから。
「……思ったことなんてないよ。知里がいるのに、出て行くなんて絶対にできないよ」
でも、もし私がこの村を出ていくことになる時は、どん時なんだろう。それは考える必要もなく、きっとお父さんとお母さんが話してた、私を山に捨てるときだと思う。
あの話を聞いて、約二年が経とうとしてるけど、まだお父さんもお母さんも私を捨てていない。最近は、もしかしたらあれは、冗談で言っていたのかもと思い始めてるけど、捨てられる可能性がゼロな訳じゃないから、お父さんとお母さんが近づいてくるだけで、毎日ビクビクしながら、夜を待っている。
「もしかして……わたしが重りになってたり……してない……?」
今にも消え入りそうな声で、知里が声を出す。
「知里が私の重りになんてなるわけないよ。――だって知里は私の光で希望で、愛すべき人なんだから」
「本当に……? わたしが一緒にいても大丈夫?」
「うん! むしろいてくれないと私はもう、どうにかなっちゃうかも」
意識して、知里の心配を吹き飛ばすくらい元気よく、そう言う。
「それならわたし、乃瀬がいなくならないようにずっと一緒にいなきゃ!」
そう言って知里は、私の顔を包み込むようにしてギュッと抱きついてくる。
ありがとう……知里。約束だよ……、私がどこか行ったとしても、一緒にいてね……。着いてきてね……。
私は心の中で言う。聞こえてなくてもいい、だけど、どうか伝わって欲しいと願った。
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