第11話 大天使ネレマの『変な話』③
扉が開いて、
「真帆さん、帰りましたよ〜」
「あっ! お姉様! お帰りなさいませ!」
その声はさっきまで私と話していた声とは違い、私の体が動かない時に、真っ暗な世界で聞いた声だった。
真帆は、走って扉の前に立っている女性の元まで行く。
扉の前に立っていた女性は、真帆と同じ、透き通るように綺麗な白髪が地面につく程長くて、着ているものは真帆と同じ、わんぴーす? を着ていて、色だけが違った。黒いワンピースを着ていた。
そして近くに、真帆が来たのを確認して、女性が凄い嬉しそうな声をあげる。
「真帆さん、今日はすごいんです! 見てくださいこれを!」
そう言って、右手に持っていた大きめの四角い袋を、上に持ち上げる。
「お姉様! それってもしかして」
「そうなんですよ! やっと完成らしいんです!」
そう言うと、女性は袋の中に手を入れて何かを取り出す。
その取り出した物は、真帆の身長が小さいおかげでよく見えた。
「じゃーん、クマのぬいぐるみです!」
それは全身に血を浴びたような真っ赤なクマだった。
「お姉、様っ! 見せて、くださいっ!」
そう言って真帆は、その女性の持つクマに、ぴょんぴょん飛び跳ねる。
やっぱりその声は、自分の目で見て耳で聞くと、より子供の無邪気な姿に映る。
私と二人きりの時と、お姉様と呼ぶ女性といる時とでは、全く違う女の子に真帆は変わってしまうらしかった。
どっちかの真帆が本物の真帆で、もう一方の真帆が偽物なのかなぁ。そんなことを椅子に座ったまま考えていた。
まあ、どっちが本物かなんて、見ればすぐにわかるけど、今だけはわからないふりをしようかな、なんて思った。そう思った理由は特になかった、強いて言うなら偽物なんて存在しない可能性の方が高いし、存在して欲しくないから。
そして、そういうことを考え始めると、やっぱりと言うべきか、村でのことを思い出してしまう。
『お前なんか、俺の娘じゃない!』
そう言ったのは、私のお父さんだった。
逃げられないように私の体を紐で結んで、山の中へ無理やり連れ出され、裸足で半日も休むことも水を飲むことも許さず歩かせたあと、突然足を止めさせて、言われた。
何がダメなのかよくわからない。その時、私は十五歳だった。物事の良し悪しはわかってるつもりでいた。ただ、どれだけ理解しようとしてもどうしても理解できないことがあった。
それは、同性を好きになってはいけないことだった。
なぜダメなのか、村の大人は誰一人として答えてくれる人はいない。もちろんお父さんもお母さんも答えてくれることはなかった。なのに、同性を好きになることはダメと言われ怒られる。口に出すことも許されない。
私の好きってなんなんだろう。あの日以来、私は毎日そんなことを考えていた。
十二歳の時から私には好きな人がいた。女の子。名前は
私の家と同じ、農業をしている家の子で、それぞれの家が近いこともあり小さい頃からよく一緒に遊んでいた。
「知里ちゃんあそぼー」と私が知里の家の前で言うと「ま、まってー」と声がして二十秒くらいしてから、知里が出てくるのが毎日の日課だった。
「今日は何して遊ぶの?」と知里が聞いて、それに私が色々な遊びを提案する。その中で知里がどの遊びをしたいか決めて、その日の遊びが決まる。
そんなごく普通な日常が、私の大切な日々だった。
お父さんの座っている方向に膝を向けて、私も座り言う。
「お父さん……。私、知里ちゃんが好きなの!」
でも、そんな私の大切な日々は、十三歳のある日――崩壊した。
理由は単純、私が知里のことを好きだと、お父さんに言ってしまったことだった。
「な、何言ってんだ、乃瀬……何の冗談なんだ……それは」
最初は何かの嘘、冗談だと思っていたお父さんも、私の真剣な顔を見ると、徐々に顔色が悪くなっていった。
そして、お父さんは劣化の如く怒り始めた。
その怒ってるお父さんの顔には、鬼が宿っていた。ように見えたとかではなく、本当にその場には鬼がいた。顔が真っ赤な赤鬼。
何時間も何時間もお父さんは鬼の顔で私を怒鳴り続けた。
そんなお父さんと対峙している時、私は泣きそうになりながらも、我慢してずっと耐えた。
どうしてお父さんに言っちゃったんだろう、と何回も考えた。考えて考えて考えた。けど知里が好きなことは事実で、それを認めてくれなくてもいいから、ただ知った上で、黙認してほしかったのかもしれない。
「お前は我が家の汚点、恥じだ!」
そう言ってお父さんは立ち上がり、私の二の腕を痛いくらいに強く掴み、無理やり立ち上がらせた。
どこに連れていくの。この言葉だけが私の頭の中を支配していた。
腕を掴まれた状態で玄関にきた。
まさか、そう思った。行き先は庭。
そこにあるものは、木でできた牢屋だった。
なぜ牢屋が庭にあるのか、それは簡単、犯罪を犯した者を見世物にするためだった。
「い、いや! やめて、やめてよお父さん――やめてよー」
震えた声で懇願する。でも涙だけは、絶対に流さなかった。流してはいけなかった。そう思った。
私の懇願など無意味だった。呆気なく私は庭にある、四方全てから見える二畳程の大きさの牢屋に入れられて、声を出せないように口の中にものを詰め込まれて、声を出せないように布で口をきつく縛られた。
手を使ってその布を取ろうとしてもそれはできない。なぜなら、両腕を後ろに回されて縄を使って後ろで固定されてしまったせいで腕を前に戻せない。
そして、次の日から、私の地獄の日々が始まった。
この村の住人が、物珍しさで私を見に来る。遠くから眺める人。近くに来て罵詈雑言を浴びせる人。近くに来て私を、近場で拾ったであろう木の棒で突っついてくる人、石を投げてくる人。様々いた。
こんな事をされるほど私は悪い事をしたの!? 女の子を好きになることはいけないの!? 声には出さず、ずっと頭の中だけで何回も反芻して、私は狭い牢屋の中で、一日中うずくまって過ごした。
朝ご飯も昼ご飯もなく、ご飯は一日一回の夜だけだった。これが三日間続いた。
この三日間は地獄の日々だった。でも、知里に見られなかったことだけは良かった、そう思っていた。
けど、その考えは、数日後に潰えた。
あの日以降、私はどこにいても口数が少なくなっていた。そして知里に会えないでいた。こんな姿を見せたくなくて、無意識に避けていたのかもしれない。
家にいても、村を歩いていても、口を開くことはなかった。いや、口を開いても意味がなかったと言う方が正しいかもしれない。あの日から、お父さんとお母さんはもちろん、村の人も誰一人として私に話しかけては来なくなった。以前は、村のどこを歩いていても話しかけられていたのに、今となっては、腫れ物だった。
そんなに同性を好きになることはいけないことなの?
女性は男性を好きになって、男性は女性を好きになる、これが普通だとでも言うの? ふざけないでよ! 私はっ、知里が大好きなのに、それを否定しないでよ!
私の心の叫び。それはどれだけ大きく言っても今の村の人たちには、全く響かないと思う。
でも、私のこの心の中にある叫びを口に出して言いたい。叫びたい。そう思った。
辺りには、村の人がチラホラといる。私を見張っているのかもと感じてしまう。
怖い……。次に女の子が好きなんて言ったのを、聞かれたら何をされるかわからない。今度は牢屋に入れられるだけでは済まないかもしれない。
心臓がバクバクと強く鼓動を打つ。
やめて……。私を見ないで!
気づいたら心臓を抑えて走り出していた。
目的地もないまま、ずっと走る。
……どこを走っているのかわからない。ただひたすら、人目のないところを目指していた。
――気づいた時には、はぁはぁと肩で息をして足を止めていた。
もうそこには、完全に村の人の目はなく、私一人が木々に囲まれた空間にいるだけだった。
そこは山だった。私は近くの太い木に背を預け、呼吸を整えてから、近くを見回すと、木と木の間にある、小屋らしき建物が視界に入ってきた。
呼吸が整った私は、恐る恐る小屋に近寄る。誰かいたらどうしようという気持ちだった。
「乃瀬ちゃんは、悪くないのにぃ、なんで乃瀬ちゃんだけが、あんな目に遭わなきゃいけないのよ、私は被害者みたいに扱われて……」
聞き慣れた涙声が聞こえる。知里の声だ。
やっぱり知里にも見られてしまっていた……。
小屋の中に入ろうか迷った。
だけど村でのことが脳裏をチラつく。
私が一緒にいると、知里に迷惑がかかるかもしれない。私と同じように村の人から無視されるかもしれない。あんな気持ち知里には味わってほしくなかった。このまま知里は村の人から勘違いされたままで、私が一方的に知里のことを好きだと思われていた方が知里のためたんじゃないかな。
そんな事を思ってしまい、私は知里のいる小屋から逃げるように走って山から出て行った。
――その日から私は完全に外に出なくなった。誰にも会いたくない、知里にもこんな姿見せたくなかった。
誰もいない閉め切った部屋で一人、ずっと膝を折り曲げて座っていた。幸いお父さんもお母さんも何も言ってこなかった。むしろ私がこうしていた方がお父さんとお母さんからしたら好都合なのかもしれない。
――そんな生活が半年続いたある日の夜、私は気まぐれで部屋を出ると、お父さんとお母さんが蝋燭を立てて、話している場面に出会した。私はいつもはしないけど、今日はなぜか聞きたくなって、二人のいる部屋からは見えない死角に隠れて聞き耳を立てる。
「あんな親不孝もの、早く死んでくれていいのにな」
お父さんが、一人つぶやく。それをお母さんが拾い会話が生まれる。
「孫の顔を見てみたかったですよね」
「なぜ俺たちはこんな出来損ないの娘なんかを育てていたんだろうな、いっそ山にでも捨ててくるか!」
楽しそうにお父さんがお母さんに提案する。
「それ、いいですね。そうしましょうか、何もしない娘は要りませんからね」
お母さんもまた、楽しそうだった。
私は怖くなった。それと同時にまた、この村には誰一人として、私の気持ちをわかってくれる人はいないんだよね……。という気持ちが湧き上がってくる。
私は家を飛び出していた。夜の真っ暗な道を月明かりを頼りに、ただひたすらに走った。
季節が冬ということもあり、足音がよく聞こえる。
ザッザッザッ。私が足を早く動かせば動かすほどこの音も早くなって聞こえる。
幸い私は土地勘があるお陰で、ここがどこなのかわかる。
だから、少し遠くに行こう、と思った。
でも、遠くってどこ? 走りながら考える。
この村から出ていく? それは……この村しか知らない私には到底出来そうにない。
なら、と考える。そこで思いつく。
山……。今は夜、そんな時間に誰かが山にいることはあり得ない。なら私はそこで完全に一人になれる、そう思い私の目的地は山になった。
走って、疲れて歩いて、また走る。それを三回くらい繰り返すと、山の入り口にたどり着いた。
私は走って山を登る。
山の中は不気味さを漂わせていた。けど私は走ることに夢中になって、そんな不気味さは気にならなかった。
目指している場所は、特になかったけど、気がついたらそこは、半年前に逃げてしまった小屋があった。
さすがに知里はいないよね。と思い、一瞬の躊躇があったけど、扉を開けた。
その小屋の中は、真っ暗で何も見えない。
私は一歩踏み出して、小屋の中に入る。
「乃……瀬……ちゃん?」
突然私の名前を言う声がした。
!!
真っ暗な小屋の中から声がして心臓が飛び跳ねた。
そして、声を理解すると、途端にここから逃げ出したくなった。
その声の主は私が好きな人で、一番会いたくない人だったから。
半年前、勝手に私が、知里を好きなことをお父さんに言ってしまったから、今のこんな形になってしまっていた。
知里に最初に好きだって言うべきだったのに、関係ないお父さんに認めてほしい、そうすれば堂々と知里を好きって言える、なんて考えてしまったせいであんなことになった。
もし最初に知里に好きって言えてれば、今こんなことにはなっていなかったはず、と毎日考えていた。もう取り返しのつかないことなのに……。
私は、体を百八十度回転して、その小屋から逃げ出そうとする。
「待って! 乃瀬ちゃん!」
手を掴まれた。その手は冷たくなっていた。
ここにずっといたのかな? でもなんで?
知里の方に振り向かずそんなことを考えていた。
「わたし、毎日待っていたの……乃瀬ちゃんのこと」
なんで? どうして? いつから? 頭の中がそんな単語で埋まる。
「ごめんなさい……わたし乃瀬ちゃんが辛い時に会うこともしなくて」
「それは違うの!」
声を出すつもりはなかった……なのに勝手に私の口から出てしまっていた。
私は、知里から手を解き、知里がいる小屋の中を見る。
枝の隙間を縫って月明かりが知里を照らす。
久しぶりに見る知里は、半年前とそんなに変わってなかった。
強いて言うなら髪が長くなっていたくらい。
「それは……違くて、私なんかと一緒にいたら知里まで村の人から今の私みたいな扱いを受けるかもしれないって思って、知里には迷惑を掛けないようにって会わないようにしていたの」
「……そうなんだ」
納得して……くれたのかな? なら、私はもう行きたい。知里にはもう会わないようにしないと。
「……なら、わた、しから……言う、ね」
知里の声が、少しつかえた。
言い出しづらそうだった。
何を言われるんだろう。そう思いながら知里が言葉を発するのを待つ。
「わたしも、わたしも乃瀬ちゃんが好きなのっ!」
その声は今まで聞いたことないくらい大きい声だった。
「え……」
一瞬の時間が――知里の言葉を理解するまでの時間が永遠に感じられた。
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