第9話 大天使ネレマの『変な話』①
一歩でも前に足を踏み出せば海に落ちる崖の上に二人の少女が立っていた。
下では波が勢いよく崖にザバァーンと体当たりをしていて崖の上まで塩の匂いが届く。
「
右にいる少女が手を後ろに回して自分の腰まで流れる髪の毛の先を右手の親指と人差し指で摘んで下を見ながら左の少女に向かって声を絞り出して言う。
「いいよ」
乃瀬と言われた少女はなんの迷いもなく即答した。
「え……い、いいの? 今からここから落ちて死ぬってことだよ?」
もう一人の少女は断られると思っていたのか乃瀬からの「いいよ」の言葉に驚いた顔をして聞き返した。
「いいよ、
「本当にいいの? 死ぬんだよ? 怖くないの?」
知里が乃瀬の眼を見て同じことを再三聞き返す。
「そんなの怖いに決まってるじゃん。けど知里がいなくなる方がもっと怖い。だって好きな人が死んじゃうなんて耐えられないよ。今でも村から酷い扱いをされてるのに耐えられてるのは知里のおかげなんだよ。その知里を失ったら私……もうこの世で生きていく自信ないから」
乃瀬は知里から眼を外し海の上に続く地平線を眺めながら言う。
「それなら『じゃあ死なないで』って言って止めるところじゃないの?」
「止めないよ。だって止めたって意味がないことくらいわかるから。半年くらい前から知里はずっと思い詰めた顔をしていたけど私に言えないでいたんだよね。それはもう死にたいって思っていたんだけど私に言い出せなかったんでしょ? 私が一緒に着いてきてくれるからわからなくて断られたらどうしようって、不安になっちゃって。だからこんな死ぬ直前まで言えなかったんだよね。辛かったんだよね」
乃瀬は知里の眼をしっかりと見て言った。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「責めてるわけじゃないんだから謝る必要なんてないよ」
乃瀬は優しく言う。
「そうじゃ……なくて……わたしは、わたしはっ、乃瀬とずっと一緒にいたいと思っているの。けど乃瀬は本当はわたしに合わせているだけで本当はわたしのことを好きじゃなくて迷惑してるんじゃないかって考えると怖くて……怖くてずっと言い出せなかったの。ある日突然乃瀬がわたしの目の前からいなくなっちゃう夢を見てそれが本当になっちゃうのが怖くてずっと言えなかったの」
知里はそこまで言うと大粒の涙をポタポタと流して乃瀬の胸に額を着けて大きな声を出して泣いた。
「うん、うん、怖かったよね。でも私はちゃんと知里が好きだよ。不安になることなんてないよ。私はもし知里に嫌われたとしても知里が好きだしそれ以外の人は好きにならないよ」
乃瀬はまだ自分の胸で泣いている知里の頭を優しく撫でながら言い聞かせるように呟いた。
「本当に? 絶対?」
「本当だよ。私は知里が好き」
乃瀬は自分の胸に額をつけている知里を剥がして眼を見つめる。知里はまだ完全には信じきれないという顔で乃瀬のことを見ている。
「これがその証拠だよ」
そういうと乃瀬は目を瞑って自分の唇を知里の唇に重ねた。
「っん……」
知里は一瞬驚いたが、すぐに今の状況を理解して目を閉じて意識を唇に集中させた。
「……っん…………」
どれだけ夢中になっていたのかわからないけど、次の瞬間二人は崖の先に足を踏み出してしまっていた。
「「…………あっっっ!!」」
二人で同時に出た声、そして頭が下を向いて宙にいる。それが意味するのは……崖から落ちたということだった。
だけど二人は取り乱すことなくお互いの体を寄せ合ってまたお互いの唇を重ねていた。
これから二人は死ぬ。それなのに満足そうな顔をしていた。
「知里……天国でも一緒にいようね」
「うん、天国に行ってもずっと一緒」
唇を離した二人は口を開いて最後の言葉を紡ぐ。おそらく二人は今世では最後の会話をした。
直後二人は岩に頭を強く打ちつけてこの世を去った。
――何日が過ぎただろう……次に乃瀬が目を覚ますとそこには知里がいなくなっていた。
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