虚ろな言い訳

こうちょうかずみ

虚ろな言い訳

「あの子を、殺したんです、俺」


 青白くやつれた顔をしたその人は、私の前に座っていた。


「何度も何度も殺そうとしたんです、彼女を。最初は手首を切って殺そうとして、次は薬を混入させて殺そうとして、それでも死なないから、今度は海に連れ出して溺死させようとして――でも、彼女は死ななかった」


「本当に、何度も殺そうとしたんです。いろいろと策を練って、騙し騙し――それで、つい半年前、ようやく首を絞めて、彼女を殺すことに成功しました」


「だから、俺が彼女を殺したんです」


 震える手を持ち上げて、男は必死に、私に訴えていた。

 ハァ、ハァ、と息を荒げ、声を上ぶらせて。



 ――でも私は知っている。

 その訴えが無意味だということに。


「いいえ。あなたは彼女を殺していません」


 私は静かに告げた。

 その言葉に、男がふるふると首を振る。


「違う。俺が殺したんだ。俺が――」

「だって彼女は――自殺したのですから」




 ――――――――――


 本田光莉みつりは自殺未遂の常習犯だった。


 彼女の人生の中で、何がそんなに不幸だったかというと、とりわけ突出したことはないのだろう。

 特にいじめに遭っていたというわけでもなく、平凡に学校生活を過ごし、平凡に就職し――。

 しかし、本人も覚えていないような些細な出来事の積み重ね、それにより彼女は徐々に苦しめられていった。


 気が付けば、会社にも行けなくなり、一日中を家で過ごす日々。

 外界との関わりを一切断ち、彼女の精神はどんどん衰弱していった。


 そして彼女は“死”に救済を求めた。


 リストカットに始まりオーバードース、入水自殺を試みたり、飛び降りを狙ってみたり――。

 でも、彼女は死ねなかった。




 しかし、彼女にはただ唯一、まだ関わりのある人物がいた。


「光っちゃん、今日の具合はどう?」


 笠井陽太。本田光莉の恋人。


 本田光莉は大学時代に彼と出会い、彼女が病んでからもずっと、交際を続けていた。

 同棲して身の回りの世話までしてくれる、献身的な彼氏。

 彼女は確かに、彼を愛していた。


 でもその愛は、彼女に“生”を見出ださせることはできなかった。


「ほら、今日はいい天気だよ?たまには外の空気を吸ったりしてさぁ――」

「光っちゃん、今日のご飯は何がいい?食べたいものなんでも作るよ!」

「光っちゃん――手の傷、消えないね」


 彼の想いをわかっていたはずなのに、彼女は死ぬことを諦められなかった。

 半日、目を離しただけで新たな怪我を作ってきて、どうしてかと聞けば、仕方なかった、と言い訳ばかり。

 挙げ句には、また死ねなかったと呟く始末。


 どんなに献身的に支えようと、愛を示そうと、返ってくるものは何もなく、次第に笠井陽太は病んでいった。




「光っちゃん、今日もまた食べてないね。お腹減らない?――昨日もまた、どこかに出掛けてたよね」

「――ねぇ光っちゃん、そんなに死にたい?」

「光っちゃん、そんなに苦しい?」

「光っちゃん、俺は君のことが大好きだから、だから、決めたよ――」



「俺が君を殺してあげるよ」



 その言葉にはっと目が覚めたと、彼女はそう残していた。

 ようやくそのとき、自分は彼の顔を真っ直ぐ見ることができたのだと。

 虚ろな目をしてこちらに微笑む彼に、正気に戻されたのだと。


 このひとを、殺人犯にしてはならない。

 私の愛する人に、自分を殺させてはいけない。



 それから程なくして、本田光莉は首を吊って死んだ。




 ――――――――――


「俺が殺したんだ、俺が――」


 繰り返しそう呟き、涙を流す彼は、一体誰に、何に対して言い訳をしているのだろう。


 きっと、その言葉は誰にも届かない。

 誰にも届かないというのに――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

虚ろな言い訳 こうちょうかずみ @kocho_kazumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ