プロローグ

 ――の国は山河襟帯さんがきんたいし、自然にしろをなす。しようによりて、新号をさだむべし。よろしくやましろのくにを改めて、やましろのくにすべし。またらいの民、おうともがらくちどうに、ごうして平安京とのたまふ。


                ~『日本後紀』より

 

       ◆


 かのみかどは、おうせんに際してこう言った。


 世、平らにして人民、和やかになり――と。


 かくしてその都が築かれたのは隣国・唐は皇都こうと、長安に習ったものだという。

 北東を鬼門――、そこには延暦寺・日吉大社・貴船神社・鞍馬寺を要し、南西の裏鬼門には石清水八幡宮を配して魔の侵入を封じ、中央を南北に走る朱雀大路によって左京・右京に二分し、北部中央にだいだいをおいた。

 さらに都は縦横に大路おおじを通し、南北を九条、東西をかくぼうとし、さらにこれをこうによって碁盤の目のように整然と区画した。これをへいあんおうと称す。

なれど――一見、みやびかつ華やかなこの都の裏に、もう一つの世界が広がっていることを多くの者は知らない。

 そして、人の心の奥底にもまた――。


 そんな王都を、その法師ほつしは高台から見下ろした。

「今に王都は、百鬼夜行ひやつきやこうの地となる。実に楽しみなことよ」

 法師が握るしやくじようが、しゃんっと鳴る。

 そらには一羽のからすが飛んでいて、王都へ向けて飛んでいく。

 法師はそれを見届けて、きびすを返す。

 不敵ふてきわらいながら――。


 

 暮れ六つ――、かの青年はを進めていた。

 このこくげんは異界の門が開き、人にあらざらぬモノが出てくるという。

 人はそれを、逢魔おうまどきという。

 おにあやかし、果てはゆう(※幽霊)まで、都に張り巡らされた結界をものともせずに、我が物顔で都をかつし始める。

 しかし彼もまた、そんな異界の地に半分足を入れているような存在であった。ゆえに、かの青年を知る者は彼のことをこう呼ぶ。


 はんようの陰陽師――と。


 ――またか。

 朱雀大路を左から北へと進み、一条大路に出たところで青年の歩は止まった。

 そこに頭に角、口に牙と鬼の姿はかくあるべきという手本のようなモノがみちの真ん中にいた。

思わずじゆうめんになる青年の前で、鬼は仕掛けてくる風でもなく、立ち尽くしている。

 普通の人間ならば腰を抜かしているだろうが、彼は一目ひとめそれを視界にとらえるなりたんそくし、おのれなげく。それは青年が、こうした異形いぎょうのモノとでくわすのはいつものことだからだ。

 はっきりいえば、異界のモノと出くわす確率は他の人間よりは多いだろう。

「そこを退いてくれるとありがたいんだが……?」

 かりぎぬの袖に隠した手でいんを結び、いざという時に備える青年の前で〝鬼〟は口を開いた。

殺生石さつしようせきを目覚めさせてはならぬ』

「殺生石……?」

 ろんに眉を寄せる青年に、鬼は告げる。

『アレはわざわい、人にとっても我らのような力弱きモノにとっても。アレは目覚めさせるな。おんみようべのせいめい

 鬼はどうやら、青年がどこの誰か知っていた。知った上で警告してきた。

 だが晴明には、殺生石とはどのようなものなのか、かんじんなことがわからない。

 危険なモノであることは間違いなさそうだが、どこにあるのかさえ不明だ。

 占えば少しはわかるだろうが。


 陰陽師――、星を読み、吉凶をせんじ、暦を作る。そして時には、異界のモノとたいして、はらうことをなりわりとする者。

 今さらながら、やつかいな仕事に就いたものと後悔するも、退いたところで〝彼ら〟とまた遭遇することになる。

 それは晴明が陰陽師ゆえというよりも、妖の血を半分引いているからなのか。

 なれど、かく人の世も厄介。

 恨みにしつに欲望――それら負の感情が、しよみんには華やかにみえる貴族世界の裏に漂っている。せいてきつぶすためならば、じゆいとわぬという彼らが頼るのも陰陽師など術師だが、晴明はその依頼はすべて断っている。


 人を生かすも殺すも、能力ちからの使い方次第――。


 晴明を、陰陽師の道に誘った師はそう言った。

 ただでさえ、異界に近い晴明が人を呪う能力を駆使すれば、それは妖と一緒。

 人の負の念を、得て人を狩る彼らと――。

 

 それにしても――。

 晴明はこれからまた、何か起きそうな予感がしてならない。

 彼のこうしたかんは、哀しいかな外れたことがない。

 陰陽師という職を生業なりわいとしている以上は厄介ごとに巻き込まれるのはつねだが、彼に告げているその予感はこれまで以上なものに感じられた。

 ていの前でまゆを寄せる晴明に、門が静かに開いて主を迎え入れる。

 へやの中は、強風が吹き抜けたのではなかと思うほど、ちようびようは倒れ、書や巻物が散乱していた。

 そしてそこには小さな鬼が二匹、晴明と目が合った途端、逃げようとし始めた。

 どうやらやらかしたのは、彼らのようだ。

『同居のよしみで、見逃してくれよぉ』

 つまんで視線の高さまで持ってくると、鬼がこんがんしてきた。

「勝手にみ着いて、なにが見逃せだ。私の仕事を増やすな」

 晴明は鬼をぽいっと、庭にほうった。

『あぁっ、捨てたな!? 捨てただろう!?』

 鬼は不服そうだが、晴明は無視をして室の片付けを始めた。広い邸内に晴明以外の人間はいない。昔から邸に棲み着いている雑鬼ざつきがこうしていたずらをするせいで、余計な仕事が増えるのだ。

 雑鬼はいても命に関わるような害はないが、祓ってもすぐに入り込んでは棲み着くため、今や放置している。それを同意と受けとったのか、雑鬼は陰陽師の邸と知りつつ棲み着き、たまに目の前に現れてはこの有様だ。

 片付け終えると不意に、一羽のさぎすのに降りた。

『晴明さま、ただゆきさまよりきゆうしらせ。陰陽寮おんみようりようぞくが侵入したとのこと』

 鷺はどうやら師が放った〝しき〟のようだ。

 ほらな――と、晴明は思った。

 さっそく、事件勃ぼつぱつである。

 このとき――晴明の新たな戦いが始まろうとしていた。

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