第一話 狙われた陰陽寮

 季節はばんしゆん――、おうに降り注ぐ日差しは若干強さを増し、葉の間からこぼれるまぶしさに、白いうし姿すがたの青年は扇をかざして目をすがめた。

 かんが集まるだいだいなかつかさしよう、そこに属する陰陽寮おんみようりようにかの青年――、べのせいめいしゆつしている。大内裏に出仕するものは黒袍こくほうまとい、垂纓すいえいの冠を被るが、陰陽寮に務める者は白一色の直衣に袴である。

陰陽寮には寮を統括し、天文、暦、風雲などのすべてを監督する陰陽頭おんみようかみを筆頭に、陰陽頭の補佐業務を行う陰陽助おんみようのすけ、陰陽道の主担当者である陰陽博士、天文道の主担当者の天文博士、暦道れきどうの主担当者・暦博士れきはかせ、時間管理の主担当者・ろうこくはか、さらに各博士の下で各道を修める学生と大所帯である。

 さらに毎時ごとに鐘鼓しようこを鳴らして時を知らせるのも、陰陽寮に属する担当者の仕事である。だが晴明が姿を見せるやいなや、反応はどれも一瞬固まって、視線を逸らす。

 安倍晴明はあやかしの血を引いている――、そう言われる事にはもう慣れたが、彼らはそう簡単にはいかないのだろう。

「陰陽寮に賊が侵入したそうですね? しよう

 出会った頃はまだ黒かったの頭髪は、すっかり白い。

 師に寄れば、賊が盗んでいったのはせつしようせきかけだという。

かけゆえ大事ないと陰陽生おんみようせいに管理を任せておったが、よもや、アレを奪いに来るモノが現れようとはのぅ……」

 師――ただゆきは白いあごひげさすりながら、ろんに眉を寄せた。

 彼は高齢ではあるが術師としてもすぐれ、今上帝きんじようてい(※現在の帝)の信頼も高い。陰陽道の歴史において彼の存在は、意義が大きいという。それまで陰陽寮の天文道・暦道・陰陽道の三部門はそれぞれ専門家による分業であったが、忠行によって一つに統合されたという。

 ゆえに星を読み、日々のきつきようと方角をせんじ、暦の作成まで行うこの部署には、それらを担当する陰陽師が詰めている。

 陰陽寮での仕事は多い。だが世を騒がすモノたちは、こちら側の都合などお構いなしにやってくる。賊なら使の担当だが、相手が異界のモノとなると陰陽師など術師の役目となる。さらに帝の命となると、なおさら事に当たらねばならぬ。あやかしはらうのも、陰陽師の任務の一つだからだ。 晴明は、内心やれやれと思っていた。

「そのようなじゆぶつが保管されているとは、聞いておりませんでしたが……?」

 はんがんで忠行をえると、忠行はにがわらいをこぼした。

 忠行曰く――殺生石は、ある人物によって王都に持ち込まれたという。

 その者は今上帝をしいし、王都を恐怖に沈めようとする計画を立てていたらしい。なにせ当時は忠行はまだ少年で、解決に動いたのは当時の陰陽寮の陰陽師だという。

 男は捕らわれ、に流されたという。

その殺生石はあらゆる妖力ようりよくが集まって形成されたもので、きんそくに封印された形でまつられていたものだった。

だがその騒動の際、殺生石にれつが入り、いくつかけたらしい。

 急いで欠片の回収に当たったが、回収できたのは一つ。

 その一つが、今回盗まれたと、忠行は言った。

「欠片だけでは何も起きぬが、本体のほうがやつかいじゃ」

 聞けば欠けた殺生石から封印が解け始めているらしい。欠片を回収し封印しなければならない。

「まさかと思いますが――、お前もその欠片を探せと言われるのではないでしょうね?」

「お前の忙しさはわかっておるのだが……、ここに賊が入ったことを関白さまが知ってのぅ……。いやはや、耳が痛いわぃ」

 晴明には、関白――ふじらよりふさが何を言ったのか、おおよそ見当がつく。

 

 ――あの者は妖のけつえんとの噂。鼻もさぞ利くことでございましょう。


 以前に帝がいるの前で、彼に言われた言葉だ。

 今やだいだいは藤原の天下、深くはだいの奥・なな殿でんしや殿でんに暮らすちゆうぐう(※帝の正妻)は彼のいちひめおとこみやを産みとうぐうと立てば、頼房はみかどの祖父となる。

 鬼や妖をきらうのは当然の反応だが、顔を合わせれば嫌味を言われ、晴明としてはなるべくなら顔を合わせたくはない人物である。


 ――安倍晴明はあやかしの血を引くはんよう


 大内裏では晴明のことをそう噂する者が多い。半妖の陰陽師――、あやしげな術で人を呪う存在よと。

 晴明はおのれが半妖であることは、否定もこうていもしない。母がくずというようだと、子供の頃にうわさで聞いたが、父にそのしんを確かめたことは一度もなかった。

 母にいたいという恋しさもあったが、父はしんそこ愛してくれた。ただ注がれるの目と、くちぎたなののしられることに人間嫌いにはなったが。

 晴明の人間嫌いは、今も続いている。

 拾ってくれた師には感謝しているが、しよう殿でんする立場となるといやおうなくひとさらされる。

 かんむりはおろかもつけぬ晴明は、まげも結わない。

 しゆつの時は軽く束ねているものの、髪をなびかせて歩く姿も頼房やていしんたちは気に食わぬようだ。と言って改めるつもりしないし、権力も望んではいない。

 安倍晴明はがんもの――そんなうわさささやかれて、さすがの晴明もへきえきした。

 出仕以外はやしきもっていたいが、晴明のれいはよく効く――という噂が出ると、今度は霊符が欲しいと言ってくる貴族が出始めた。

 妖の血を引く安倍晴明は怖いが、霊符は欲しい――、いやはや人とは身勝手よと晴明はあきれている。

 晴明はたんそくした。

 どこにいても、晴明はやつかいごとに巻き込まれる。

 それに――。


――殺生石を目覚めさせてはならぬ。


 晴明にそう、警告をしてきた鬼がいる。


――アレはわざわい、人にとっても我らのような力弱きモノにとっても。アレは目覚めさせるな。陰陽師、安倍晴明。

 

 

 確かに殺生石が目覚めることは防がねばならない。

 まさかその殺生石本体が、陰陽寮にあったのも驚きだが。

 何処の誰だか知らないが、よくもそんなしろものを奪っていたものだと呆れつつ、晴明は忠行に「」と返答するしかなかった。


★★★


 平安王都には、都での起きる事件にあたる使の他に、大内裏での警備や帝のぎようこうなどに際してえいにあたるこのかんがいる。

 右近衛府うこんえふ左近衛府さこんえふと分かれてはいるがすることに変わりはなく、このちゆうじようという位に就く近衛府の花形は、計四名。

 その内の一人、左近衛中将さこんえちゆうじようである男が欠伸あくびをした。

「眠そうだな? とう

 見上げると、もう一人の左近衛中将・じようよしいえしようしていた。

「なぁ? これ、いつになったら片付くんだ?」

 欠伸をした彼ははんがんで、義家を見据えた。

 二人の左近衛中将の前や両隣には、山積みにされた書の山がある。主にこれまで起きた事件についての経緯から処理など記されたものだが、これらを記した者は慌てていたのか、それともおつくうだったのか、所々抜け落ちていたらしい。しかもそのまま放置していたというから驚く。

 よくもまぁ溜めたものだと感心するも、それを二人だけでまとめろといわれたときから、冬真の筆はなかなか進まない。右近衛府の二人の右近衛中将はどうしたと聞くと、一人は今日は非番、もう一人はものみだという。

「我々が落ち着いて座っていられるということは、それだけ平和だってことさ。良かったじゃないか」

「良くない。もうすぐまつりだぞ? 早くいい場所を決めておかんとはしっこでの見物となる」

 ぶんだいかたひじをついてほおを乗せた冬真は、じゆうめんくされた。

 賀茂祭とは、つききよこうされるしもがもじんじやかみじんじやれいさいである。

祭りの日に先立って、帝の名代として賀茂神社に奉仕するさいおうけいがわで行われ、その後、斎王の行列はへい走馬そうまたてまつる一行の行列と合流する。

 その行列は圧巻で、貴族たちは一番いい場所で見物しようと場所争いを繰り広げるのである。  

「賀茂祭など、興味はないと以前言っていなかったか?」

「うちの叔母上おばうえからの命令さ。いつもは父上が見物場所を決めていたが、今年は俺におはちが回ってきた。それなのにだ。この書類の山! 関白さまの嫌がらせとしか思えん」

 冬真は山積みされた書類の山をにらむが、睨んだところで減るものではない。

 開けられたつましとみからは清々しい風が吹き込んでくるが、冬真のイライラは収まらない。そもそも、じっとしていることが苦手なのだ。

 冬真も藤原一門に連なる人間で、父は右大臣である。しかし冬真は和歌は苦手で、宴などもっての外、酒は好きだが愛想笑いも苦手なため、他の貴族とだんしようなどできない。

 馬に乗り、好きな弓を射っていたほうが気楽なのである。

 もちろん、出世欲もない。周りは彼を、『藤原のたん』と呼ぶ。

「お前の所も大変だなぁ……」

 義家が再び苦笑する。

 藤原一門とはいえ、まつたんまで含めるとかなりの人数になる。ゆえに、藤原姓を名乗っていても、一門が顔まで知っているとは限らない。

 冬真でさえ、一門の人間とすれ違ってもわからない。あとになり、藤原のなにがしと聞かされ「そうなのか」と知るくらいだ。

「そういえば、陰陽寮に賊が入ったらしい」

 ようやく筆を持った冬真に、義家が告げる。

「陰陽寮? なんでそんな所に……」

「詳しくは知らんが即、侵入者を調べよとの上からの指示だ」

 彼が言う上とは、関白・藤原頼房だろう。

「まったく……、人使いが荒い関白さまだ」

 嘆息した冬真は腰を上げ、義家が驚く。

「おい、冬真。まだ終わっていないぞ」

「即、侵入者を調べろ――なんだろ? あとは任せる。義家」

 これ幸いと立ち上がった冬真に、義家は慌てた。

「待て冬真! これを一人でやれと!?」

 義家は書類の山を押しつけられて不満をあらわにしていたが、冬真は善は急げとばかりきびすを返した。

 ――しかし、陰陽寮とは……。

 冬真は以前、陰陽寮の陰陽師に出会い頭、妙な事を云われた。いきなりだったためぜんとするしかなく、今になって怒りがこみ上げてきた。ただ、その陰陽師の名前を聞いておらず、文句のつけようもないのだが。

 陰陽寮に赴くとりようかんが出てきた。賊の件に関しては、賀茂忠行と安倍晴明しか詳細を知らないという。冬真は賀茂忠行は何度かあったことがあるため名も知っているが、安倍晴明とはいったいどんな男か。

「賀茂どのは、どこにおられる?」

「内裏にさんだいのあと、船岡山ふなおかやまに行かれております」

 船岡山は王都の中心を貫く朱雀大路のきたに位置し、みやこけんぞうに際して南北の測量基準点となったとされている山である。

 寮官曰く、賀茂忠行の帰りは三日後らしい。

 安倍晴明なら自邸にいるという寮官に、冬真は眉を寄せた。

 彼の噂なら、冬真も知っていた。

 妖の血を引く半妖の陰陽師――、じんを操りあやしげな術を使う怖ろしい存在、帝のちようをいいことにぼうじやくじんに振る舞う男。

 安倍晴明に関する噂はにわたる。

 幸いと言うべきか、明日はばんである。

「あの――、行かれるのはおやめになったほうが……」

 呼び止める寮官に、冬真は振り向いた。

「なにかあるのか?」

「かの邸には妖が棲んでいるとのこと……」

 陰陽師の邸に妖が棲む――、恐らくそれも晴明に関する噂の一つなのだろう。

 だが藤原冬真という男は、妖と聞いて畏れる男ではない。

 妖にはまだ出会ったことはないが、そんなものを畏れるのなら内裏を護る近衛府にはいない。

 さて、どんな妖が出てくるのやら――。

 冬真はふっと笑って、陰陽寮を後にした。

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