第二話 安倍晴明と藤原冬真

 おうの北を通るいちじよう大路おおじ――、この大路沿おおじぞいには貴族の邸宅やくりやまちなどがある。

 ついべいの続く大路をさらに進むと堀川に出る。そこには一条戻橋いちじようもどりばしという橋が架かっていた。もともとつちかどばしと呼ばれていたが、死者がこの橋でよみがえったとされ、あの世からこの世へ戻ったという橋として「一条戻橋」という名前に変えられたという。

 べのせいめいは、この一条戻橋近くにやしきかまえている。

 まつりにはにぎわう一条だが、あやかしひんぱんに目撃される地でもある。

 誰が言い始めたのか――、川の向こうではかいが口を開けていると。

 日が沈めばそこから人にあらざるモノがい出て、人をおそらうのだと。

 そんないわくありげな地に居を置いたのは晴明の父だが、かの人は晴明が十四の年に(※現在の大阪府阿倍野区)に移っている。

 晴明は、貴族たちから依頼されていたれいを少しでも片付けようと、ぶんだいの前に座った。

 が――。

『晴明、遊ぼうぜ』

かまふたも混ぜろと言ってるぞ』

 かりぎぬたもとを引っ張る存在に、晴明はけんしわを作った。

「うるさい」

 へいげいする晴明に、ほどの大きさの鬼がびくっとおののいた。

 雑鬼ざつきと呼ばれ、人の家にみ着いてはいたずらをするあやかしである。

 その雑鬼といたのは竈の蓋で、文字通りの竈の蓋だ。ただそれに足が生え、目まである。いわゆるつくがみである。

『顔、怖いぞ……?』

「お前たちに付き合うつもりはないと言った筈だ。はらわれたくなければ、黙っていろ」

『今日はあの怖いモノはいないのか?』

 雑鬼がいう〝怖いモノ〟とは、晴明が使えきする最強のしきがみじゆうてんしようのことである。

「会いたいのなら呼んでやるぞ」

 晴明がそう言うと、雑鬼が再びビクッと飛び上がった。

『冗談じゃない! 俺ら消滅させられる。なぁ? 竈の蓋』

 話を振られた竈の蓋も、ブンブンと頷く。

 雑鬼は妖には違いないが害となる存在ではない。

 邸の中を駆け回ったり、たまに住人にいたずらをするが、それも袖を引っ張ってみたり、物を落としたりとするだけで、人の住む家ならば、貴族の邸だろうとしよみんの家だろうと最低一匹は棲んでいる。ただ、その姿は普通の人間にはえず、今のところ家にいる鬼を祓ってくれという依頼は来ていない。

 王都は異界のモノの侵入を防ぐため結界が張り巡らされているが、何気ない場所で突然異界の門が開くことがある。

そこからいろいろな妖が這い出ては、夜中に列をなして出歩く。いわゆる、ひやつこうである。

 くわえて、人間は人間で憎しみのあまり鬼と化す。

 晴明は依頼された分をようやく作り終えて、腕を組んだ。

『晴明さま――』

 晴明のてんしようの声が触れる。

 実は晴明は十二天将のうち、朱雀すざく玄武げんぶびやつに、せつしようせきかけしよざいを追わせていた。せいりゆうにも呼びかけたが無視され、けんげんしたのはやはり三人だった。

 いちように素肌にかたてなどの武具をまとい、腕には領巾ひれからませている。


 晴明が十二天将を使役しようと思ったのは、もう二年ぐらい前のことだ。陰陽師になろうという前は、十二天将の名など当然知らない。

 今も人と関わるのはあまり得意ではないが子供の頃はそんな人間たちを自分から避けていた。半妖と言われ、気味悪がられ、邸に籠もるようになった。

 そんな晴明を父は責めることもなく、またなぐさめることもなく、かといって無視をしている風でもなく、ただ無言で晴明の頭を撫でている。

 もし父にまでうとんじられていれば、晴明は闇に沈んでいただろう。そしてもう一人、晴明を救い上げたのが師・ただゆきである。

 陰陽師見習いとなり、初めて見せてもらったのは六壬式盤ろくじんしきばんだった。そこに刻まれる十二神の天将たち。

 陰陽師として独り立ちした晴明はもっと強い力を求め、十二天将をうた。神である彼らが人間の元に下る――当然、彼らはすぐには応じなかった。ようやく式神として迎えるも、青龍は未だ扱いづらい。

 しようかんしても来ないし、ようやく出てくれば晴明をげんそうにへいげいする。今回も出てこないということは、彼にとっては騒ぐようなことではないのだろう。


「欠片の所在、わかったのか?」

「それはわかんなかったんだけどさぁ……」

 そう答えたのは少年の成りをした玄武で、土色の髪を掻き上げている。

「なんだ?」

どろいけになにかいるぞ」

 深泥池は、王都北部にある池で、底なし沼だといわれている。北の守護神でもある玄武は、いち早く異変に気づいたらしい。

「何かとは?」

 晴明の問いに、玄武が何か棲んでいるようだがそれ以上はつかめなかったという。

「深泥池に行かれるのですか?」

 赤い髪をした天将・朱雀が問うてくる。

「いや、まずは殺生石を探すのが先決だ。関白どのに嫌みを言われるのはご免だからな」

 三人の天将がいんぎようして、晴明邸は静かになった。

 隠れた雑鬼は天井のはりで、苦手な天将に震えていたことだろう。

 しとみから吹き込んでくる風が、ちようを揺らす。

 父がこの邸を離れて十二年――、人間は晴明一人である。身の回りの世話は他の式神にさせているため不便はないが、一人暮らしにしてはこの邸は広すぎた。

 安部家は地下の身分だったが、邸は他の貴族と同様の寝殿造り。さすがに池は、ゆうに船遊びができるほど大きくはないが。

 すのに出ると、一匹のちようが目の前を舞っていた。

 そんな晴明の耳朶に触れてきたのは、もんを叩く音であった。またどこかの貴族が霊符を書いてくれと、使いを寄越してきたのだろうか。

たまむし

 晴明の声に応えて、蝶が少女の姿に変化する。

「私は忙しい。帰ってもらえ」

 晴明はそう命じ、部屋に戻った。

 

★★★

 

きようふじはらなんふじはらありともてい――。

 ばんの日は、たつ(※午前七時)のこくしらせるしようが鳴っても目を覚まさぬ息子が、珍しくあさの場に現れたためか、藤原有朋はわんを手に目をしばたたかせた。

「どうした? とう

 ひたたれひもを結びつつ腰を下ろした冬真は、汁物に口をつけたあと、口を開いた。

「――安倍晴明の邸をこれから訪ねようかと」

「そなた、この間は陰陽師などクソ野郎とか、云っていなかったか?」

「……関わるになったんですよ……」

 嫌な記憶を思い出した冬真は、はんがんはししきに置いた。

 冬真の父もそうだが、貴族はその日の吉凶を陰陽師に聞くか、こよみで調べる。その日が凶なら邸に籠もり、行く方角が凶なら一日ずらす。

 その陰陽師に冬真は、大内裏内にて唐突にこう言われた。

 じゆなんそうがある――と。

 冬真は占いなど信じないほうで、何故かその日はからすふんに当てられるわ、山積みにされた書の片付けに半日も駆り出されるわとさんざんな目にわされた。

 父・有朋は「素直に陰陽師の云うことを聞けばいいものを……」というが、邸に一日籠もるなど性に合わない。まさか、こちらから接触する羽目になろうとは。

「何か、占うてもらうのか?」

 冬真は「否」と答えて立ち上がった。

 冬真が安倍清明邸を訪ねるのは、陰陽寮に賊が入った件について、尋ねるためだ。

 馬を繰り出し一条へ――。

 門扉を叩くと、中から異国風の衣に包んだ少女が出て来た。

 冬真が聞いた話では、安倍晴明は一人で暮らしているという。

 冬真はこれまで、妖を見たことはない。目の前の少女は確かに変わった出でたちではあるが、冬真が想像したものより可愛らしい姿をしている。

 安倍晴明邸には妖が棲む――そう聞いていた冬真は、胡乱に眉を寄せた。

 人なのか妖なのか――すると、少女の方が先に口を開いた。

「――どちらさまでございましょうか?」

「俺……いや、私はこの左近衛中将さこんえちゆうじようふじわらとうと申す。陰陽師・安倍晴明どのにお目にかかりたく参った」

あるじぼうゆえ、お帰り下さいとのこと」

「それは困る。こちらは遊びで来たわけではないのだ」

「お帰りを」

 取り付く島もない応対に、冬真の怒気が上がった。

「話くらい聞いてもいいだろう!」

 声を上げた途端、少女の姿は蝶になった。そしてヒラヒラと邸に向かって飛んでいく。

 ぜんとする冬真だが、門は開いたのだ。中に向かうことにした。

 邸のつましとみも開いており、庭からしゆ殿でんを目指すと不機嫌そうな声音に足が止まる。

「私は忙しいと言った筈だが――?」

「お前は――あのときの陰陽師……っ!」

 そこにいたのは、冬真に受難の相があるといった陰陽師がいた。

 だが当の陰陽師――安倍晴明は、ろんに眉を寄せた。

「あのときの……?」

 どうやら、覚えていないらしい。

「お前っ、俺に受難の相があると言っただろう!?」

「あぁ……、あれか。で、左近衛中将どのが、かような地下じげの者に何用か?」

 彼の言葉はへりくだっているが、言い方がかんさわる。

 一発、なぐってもいいだろうか?

むくむくと持ち上がる怒気に、握るこぶしにも力が入る。

 地下はしよう殿でんを許されぬ六位以下の者をいうが、晴明は昇殿を許され、じゆとなっていると、冬真は近衛府の仲間から聞いている。

 冬真はふつふつと沸く怒りを殺し、晴明を見据えた。

「陰陽寮に賊が入ったそうだが――?」

「……そのことか。ならば近衛からわざわざ来られなくとも、陰陽寮のことは我々にお任せ頂きたい。第一――、邪魔だ」

 この安倍晴明という男――、人のきよをついて、とんでもない事をいう質らしい。

 またも二の句が継げない冬真に、晴明は背中を向けてしまっている。

 やはり、殴る! そう思うもここで拗れると関白・藤原頼房になにを言われるかわかったものではない。

「そ、そうはいかん! 大内裏で起きたことは近衛府の責任である。こうなれば、とことんつきまとってやるぞ! 安倍晴明」

 振り向いた晴明の顔は渋面だ。

 冬真の言葉は、半ば嫌がらせである。邪魔といわれて、はいそうですかという気になれない。

 するとさっきの蝶がヒラヒラとやって来た。

ちなみに聞くが――、これは妖か?」

「身の回りのことををさせている式だ。妖ではない」

 しげしげと蝶を見つめると、晴明が溜め息をついた。

「玉蟲、酒の用意を。客人をいつまでも庭に立たせてはおけん」

 蝶の名は玉蟲というらしい。 

 その蝶はそのままヒラヒラと、厨があるだろう方角に向かって飛んでいく。

 どうやら晴明は邸内に迎えてくれるようで、冬真もあんいきを漏らした。

 冬真は他にどんなモノが出てくるかと思ったが、蝶が変化した少女以外は現れることはなかった。 

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