第七話 十二天将・青龍、憤慨す
墨を染め流した
片膝を立て、狩衣の前を
ただでさえ、扱いにくいのだ。今回の騒動で、『彼』の機嫌は間違いなく悪化しただろう。呼び出すのに一苦労だというのに、人の噂がかの天将を怒らせた。
神でも
謎の妖が水を駆使するとなると、水将である青龍を招喚するのがいいのだが、未だ晴明には応えない。
だが出て来たとしても、怒りを滲ませた彼の神気を受ける自信は、はっきりいってない。
妖を
『まさか――放り出すわけではなかろうな?』
ふっと降り立った気配に、晴明は渋面でソレを見た。
池の上に、腕を組んでいるモノがいた。
青い髪に青い双眸、逞しい腕に絡ませている領巾が宙で靡いている。
――やっと出て来たか。
嘆息した晴明は、宙に浮いた姿で見下ろしてくる天将を見上げた。
「いるなら返事ぐらいしたらどうだ? 青龍」
「人間は我をなんだと思っているのだ? 我がいつ、人を喰った!?」
やはり、彼は怒っていたようだ。
青龍は間違いなく龍神である。その龍神が怒り人を攫っていると噂になっている。
不機嫌なのは晴明にすればいつのことだが、青龍が今回怒っているのは、都で起きている怪異を自分のせいにされていることだ。
「お前の仕業ではないと証明するしかあるまい」
「人前に晒せというか? 神である我が」
睥睨する青龍の視線を、晴明は受け止めた。ここで
「そうはいっていない。妖のほうに出て貰う」
「おびき出すというのか?」
「そうだ」
青龍はしばらく黙っていたが、それについては何もいわずに隠形した。
彼にもいったとおり、晴明は謎の妖をおびき出すつもりでいる。妖が狙っている殺生石で、妖をおびき出す。
だが――。
「師匠――!」
いち早く出仕した晴明は、陰陽寮へ向かった。再び、賊が侵入したというのである。
「逃げられたわぃ……」
賀茂忠行は晴明を見ると、眉を寄せた。
「一体何者が……」
「寮官が逃げ去る怪僧を目撃しておる」
「怪僧……?」
晴明の脳裏に、神泉苑の前にいた怪しげな法師の姿が蘇る。
「殺生石を狙っていたのは妖だけではないようじゃ」
怪僧というくらいである、何らかの術で大内裏の警備を回避したのだろう。しかし、その怪僧は殺生石が陰陽寮にあるとどこで知ったのか。
「まさか……」
忠行の目が瞠る
「師匠?」
「可能性は低いが、殺生石がここにあることを知っている人間はもう一人おる」
「それはいったい……」
「今から五十年以上も前、殺生石をこの王都に持ち込み王都を混乱させようとした男じゃ」
その男の名は小波令範――、生きていれば九十に近いという。
高い呪力を有し、殺生石を王都に持ち込んだ男。
ただ、年齢が年齢である。
「確か以前、その人物は呪力を封じられ隠岐に流された――と言われませんでしたか? 師匠」
「左様。わしも爺じゃが、令範はもっと爺じゃ。今になって動くとは思えんのじゃが」
「彼に身内は?」
「いや、わしが聞いた話では令範には子も妻もおらぬという。じゃが今になり、奴がなにゆえ当時の帝や王都に恨みを抱いていたのか気になってのぅ」
忠行はそう言って、胡乱に目を
☆☆☆
今上帝の、神泉苑への行幸は三日後。
そう大内裏に布令が下りたのは、行幸が決定された七日前の事であった。
今回は雨乞いを兼ねていたため華々しさはないが、それでも帝が行幸するとなると、かなりの人数になる。
「俺はてっきり、お前が祭司をやると思っていたが?」
いつものように晴明の邸にやって来た冬真は、
「延暦寺の
お陰で、晴明まで神泉苑に行かずにすんだ。
帝としては晴明に任せるつもりだったらしいが、関白・藤原頼房が頑として認めなかったようだ。
鬼門守護の延暦寺僧都なら、任せても安心だろう。
晴明にも、他にやることあるのだ。
「しかし、あれからぴたりと怪異が収まった」
「いいことではないか」
「本当にそう思うか? 晴明」
いや、思わない――。
口にはしなかったが、晴明はまだ終わってはいないと思っている。
妖というものは執念深い。最強となる力を得るために、殺生石を狙ってくるだろう。
そしてもう一人――、陰陽寮に侵入したという怪僧。
『見つけたよ、やつを』
晴明の耳朶に、隠形している天将・玄武の声が届く。
その場所を聞いて、晴明は目を瞠った。
「どうした? 晴明」
冬真が怪訝そうな顔をする。
「妖の次の標的がわかったのさ」
大内裏・清涼殿――昼の
延暦寺僧都・法源が御簾の前に座してから、帝の言葉が発せられるまで間が開いた。
無理もない。
法源は
御簾横に座す関白・藤原頼房に至っては、明らかに訝しむ顔だ。
「そなたの噂は聞いている。高い呪力を有しているそうだの」
帝の言葉に、法源は平伏した。
「我が力、お役に立てるは本望。幼少の頃に顔に傷を負い、かような姿にて御前にいることをお詫び申し上げる」
法源はそう言って清涼殿を辞し、人気のない簀子にて嘆息した。
「まったく、私を
法源は面を外すと、曲がり角を見据えた。
それに対し、角から現れた清明はにっと笑った。
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