第六話 竜神の祟り

 かの姫は、ものおもいにふけることが多くなった。

 よわい十六――、そろそろ婿むこを決めねばならない。

 たいていとしごろの姫がいるとうわさぎつけた殿とのがたふみを送ってすが、彼女――ようよりもまず、おうな鹿かのが判断する。

 四条家の婿には、きちんとした身分の者を選ばなくては――。

 媼の顔を思い浮かべるたびに、荷葉の心は痛む。

「荷葉――」

 荷葉が顔を上げると、その媼が優しく微笑んでいた。

「おばあさま、もうお加減はよくなりまして?」

「聞きましたよ。よいお話がきたとか」

 鹿子は開いたおうぎで口許を覆いながら笑む。

 いい話とは、縁談である。

 荷葉の相手はふじわらほつ・藤原道房の次男・ひさという人物だ。藤原北家といえば、藤原宗家嫡流ふじわらそうけちゃくりゆうの名家、しかも道房は関白・頼房の実弟らしい。

 確かにりようえんである。四条家にとっては――。

 媼は満足げだ。

鹿子が家の結びつきを気にするのは、鹿子もまた婿を迎えたからだ。

 荷葉のそう――先々代・四条家に男子は生まれなかったという。世継ぎの姫――そう育ってきた鹿子は、今でもこの四条家安泰しじょうけあんたいのことを最優先にする。もちろんまごむすめが可愛くないわけではないだろうが。

「楽しみだこと……」

 荷葉は、云えなかった。

 心の中に、想う男がいることを。

 わかっている。この秘めたる想いは叶わない。

 それに、これは勝手な想い。かの人は、荷葉の想いなど知らない。

 遠ざかる鹿子のきぬれに、荷葉は手を握りしめていた。

 


 ものみから明けた晴明は、報告を兼ねて内裏にさんだいした。途中、関白・藤原頼房の冷たい視線とかち合ったが、頼房は何もいわず去って行った。

 今上帝きんじようてい御年おんとし三十二、いまだ東宮となるおとこみやはない。三日前、うめつぼ更衣こういとうおんなみやを産んだというが、女性が暮らすなな殿でんしやもある意味、権力争いの場でもある。

 東宮となる男宮を誰が産むのか――、それによって子の母はこくしようされ、子を産んだ母の父は次期帝の祖父となり、朝廷を牛耳るのも可能。

 関白・頼房がその地位をほつしているのは間違いないだろう。

 おのれの立場を揺るぎないものとするには、娘である中宮に東宮を産ませねばならない。

 考えてだけでぞっとするが、晴明はそんな大内裏に身に置く一人である。

 貴族たちの思惑や足の引っ張り合いに興味はないが、無視したところで結局は何らかの形で巻き込まれるのだ。

 晴明がの前に座してしばらく――、御簾の中から衣擦れの音が聞こえてくる。帝がちやくされたのだろう。晴明はへいふくした。

「待っておったぞ。安倍晴明」

たびないしんのうさまごたんじよう、およろこび申し上げます」

「晴明、透子から聞いた。あやういところを救うてくれたと。ちんからも礼をいう」

「もったいなきお言葉にございます。主上おかみ

 梅壺の更衣・透子は七殿五舎は凝花舎ぎようかしやで暮らしている。地位としては中宮やにようの下だが、帝のちようを得てかいにんしてまもなく異変が起き始めた。これを気にしたのが透子の父にしてさんあつもり家重いえしげで、ごくに調べて欲しいと晴明に依頼がきた。

 じゆかも知れないという敦盛であったが、晴明がせんじると間違いなく呪詛であった。

 凝花舎のすのの下から形代かたしろが見つかり、晴明は即、焼き払った。

 一体だれの仕業かまでは調べることはしなかったが、呪詛という行為はこれからもなくならないだろう。

「して――神隠しの件、なにかわかったか?」

 帝が扇を開く音に、晴明は顔を上げた。

「やはり、妖の仕業かと存じます」

「策はあるのか? 晴明」

「今のところは……。ですが、王都にあだなす妖はこの身をもつはらしよぞん

「あいわかった。此度の件は近衛府も動いておる。都で起きたことは使の担当なれど、妖の仕業となるとよりきようなものがいよう。安倍清明、しかとはげめ」

 帝の勅許が下りたことで、晴明にも大義名分ができた。

 この場に、頼房がいなかったことは救いである。

 朱雀門を出た晴明は、自邸がある一条大路を目指す。

 築地塀が続く二条大路を進み、神泉苑に出る。近く帝が行幸されるらしい。

 そんな神泉苑を、大路から眺めている法師ほつしがいた。

 かさを深くかぶり、手にはしやくじようくろつるばみいろほうはかなりぼろぼろである。王都内には彼のような法師がたくはつのために立っているため珍しくはないが、神泉苑の前にいるのがみようであった。

 その法師が振り返った。笠からのぞいた口が吊り上がる。

「……っ」

 不気味な笑みに、晴明の足が一歩下がる。

 怪しいことこの上ないが、法師は何もいわず何もせず、そのまま立ち去っていった。

 再び歩き始めたとき、魚が水面で跳ねる音がする。

 龍でも跳ねたか――。

 神泉苑の池には竜神が棲むという。

 誰もその姿を見たことはないが、晴明はいなとは思えない。なぜなら身近に、しようしんしようめいの竜神がいた。晴明の脳裏に、『彼』の不機嫌そうな顔が浮かぶ。

 晴明はふっと笑って、再び歩き出した。 


☆☆☆


 へいあんおうよういんみやこ――、ある陰陽師がそう言った。

 ぜいたくざんまいの貴族たちがこの世の春をおうする陽の世界、もうりようが都をばつする陰の世界。また人間の世界にも陽と陰はあるという。

 げんにその両方を見てしまった冬真は、どうしたものかなと、陽明門の前でそらを見上げていた。出世も権力も欲しいとは思わないが、藤原家に生まれたために、周りは下手な期待を寄せてくる。おまけにじつは右大臣だ。

 次期当主の時間はあるのかと、これがまた叔母おばがうるさい。

ちゆうじよう、竜神のたたりというのは本当でしょうか……?」

 不安げに視線をしてくる部下に、冬真はろんに眉を寄せた。

「竜神の祟り……?」

 聞けば王都で起きている神隠しは、竜神の祟りだと噂になっているらしい。

 冬真にすれば鹿げた噂だが、話は噂では終わらなかったようだ。

 しんせんえんみかどぎようこうし、そこで竜神をしずめるさいを行う事になったという。

 ついに帝まで巻き込むことになったいちれんの騒動を、かの陰陽師はどう決着を付けるのだろうか。

 

 大内裏・陽明門――、大内裏の東面、大宮大路に面したこの門近くにそのかんしやはある。

 内裏のないかく、門をけいえいし、また朝儀ちようぎに列してようを整え、行幸の際には前後を警備し、皇族や高官の警護もしよくようとする近衛府は左近衛府の官舎である。

「神隠しの次は竜神とは、いやはやせわしないことだ」

 左近衛府武官が詰めるへやに、をうつ音が響く。

 ばんを囲んでいたのは、二人いる左近衛府中将の一人と、二人の少将である。

 内裏を警護する近衛府武官が碁とは何事かとしつせきされそうだが、近衛府には右近衛府もある。さらに増員されたお陰で、左右衛府とも二人の中将、二人の少将がいる。

 左近衛府の担当は主に陽明門での警備だが、少将中将となるとよほどのことが起きない限り暇である。

「ですが幽鬼までは我々の担当ではありませんぞ」

「確かに、アレを捕まえて来いとは、さすがの関白さまも言われまい」

 こいつらやる気あるのか――?

 警備交代の引き継ぎにやって来た冬真は噂に花を咲かす三人を見て、胡乱に顔をしかめた。冬真も本音は酒を呑みながらのんびりしたいのだ。

 ところが都では神隠しは起きる、妙な妖が出没する、今度は竜神である。さすがににんげんがいは近衛府のかんかつではないが。

 ようやく任務から解放された冬真は、簀子に腰を下ろした。

「疲れているなぁ。冬真」

 同格の左近衛中将が、苦笑する。

「いろいろあるんだよ。俺は」

「例の神隠し、安倍晴明と調べているそうじゃないか。せいでも吸われたか?」

 彼は冗談のつもりで言ったのだろうが、疲れていることは確かだ。


 安倍晴明は半妖――妖と暮らし、怖ろしげな鬼神を操る陰陽師。


 晴明と知り合ってまだ日は浅いが、冬真の見たところ、晴明は周りが畏れるような男ではなかった。ただ、正確にはやや難があるが。

 はっきりしているのは、王都を荒らすものは許せないという点では一致している。

 しかも、近く帝が神泉苑に行幸される。

 冬真にとって、多忙な日々はまだ続きそうである。

 

  

        ◆

  一条・安倍晴明邸――。

 ぶんだいすみをすっていた晴明は、眉間にしわを刻んでいた。

 そなたも、神泉苑に参れ――と、帝に言われたのは昨日のことだ。

 これが帝ではなく、貴族からなら即断っているのだが。

 たいそうに髪を掻き上げて、何とか断るすべあんした。

 こうなれば物忌みと称して断るか――、ふとひらめいたかんに、けんげんした天将がせきばらいをする。視線を上げると、天将・玄武の目が据わっている。

『お前なぁ……、我らがいる側でよくそんなことが思えるよなぁ?』

「実に馬鹿げた祭祀さいしに呼ばれた」

『お前でも、やりたくない事があるのか? 晴明』

「神泉苑に帝が行幸される」

『その神泉苑とやらで何をするんだ?』

「竜神を鎮めるそうだ」

『は…………?』

 玄武は目をしばたたかせ、ぽかんと口を開けた。

 今回の神隠しが水に関係していると内裏で噂になり、尾ひれがついたその噂は竜神の祟りとされた。正体がわからないものに不安を抱く気持ちはわからないでもないが、一番憤ふんがいしているのは当の竜神だろう。

「あいつの冷気を黙って受ける体力は、私にはない」

 青龍の顔をのうに浮かべ、晴明はたんそくした。

『中止させられないのか? それ……』

「竜神はそのようなことはしません――っか? それが通じる相手なら苦労はせん。ならば竜神をしようかんし証明して見せよとなる。あいつは、たぶん出てこないぞ?」

『竜神を招喚……って、人間は怖ろしいことを考えるなぁ。そもそも、噂をき散らしたのはどこのどいつなんだ? 晴明』

「さぁな」

 再度嘆息した晴明だが、どのみち青龍には力を借りねばならないのだ。



 その夜――墨を染め流したそらに、もちづき(※満月)が昇っていた。

 かんげつきようじるにはまだ早いだったが、いつ見ても月は美しい。

 かたひざを立て、狩衣の前をくつろげるという姿でつり殿どのに座していた晴明は、土器かわらけを口許に運びつつ、未だ求めに応じぬ天将を気にしていた。

 ただでさえ、かの男はあつかいにくいのだ。今回の騒動で、『彼』の機嫌は間違いなく悪化しただろう。呼び出すのに一苦労だというのに、人の噂が青龍を怒らせた。

 神でもへそを曲げるのか疑問だが、あるじである晴明にうんともすんとも反応がないのは困った状態でもある。

 謎の妖が水を駆使するとなると、水将である青龍を招喚するのがいいのだが、未だ晴明には応えない。

 だが出て来たとしても、怒りをにじませた彼の神気を受ける自信は、はっきりいってない。

 妖をたおす前に、こちらが倒れそうである。

 

『まさか――放り出すわけではなかろうな?』


 ふっと降り立った気配に、晴明は渋面でソレを見た。

 池の上に、腕を組んでいるモノがいた。

 青い髪に青いそうぼうたくましい腕に絡ませているちゆうなびいている。

 ――やっと出て来たか。

 嘆息した晴明は、宙に浮いた姿で見下ろしてくる天将を見上げた。

「いるなら返事ぐらいしたらどうだ? 青龍」

『人間は我をなんだと思っているのだ? 我がいつ、人を喰った!?』

 やはり、彼は怒っていたようだ。

 青龍は間違いなく龍神である。

 不機嫌なのは晴明にすればいつのことだが、青龍が今回怒っているのは、都で起きているかいを自分のせいにされていることだろう。

「お前のわざではないと証明するしかあるまい」

『人前にさらせというか? 神である我が』

 へいげいする青龍の視線を、晴明は受け止めた。ここで蹌踉よろけるなりでもすれば、青龍は主の器にあらずと二度と人界に降りてはこないだろう。

「そうはいっていない。妖のほうに出てもらう」

「おびき出すというのか?」

「そうだ」

 青龍はしばらく黙っていたが、それについては何もいわずにいんぎようした。

 彼にもいったとおり、晴明は謎の妖をもう一度、あぶり出すつもりでいる。妖がねらっているせつしようせきかけで。

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