第8話 分岐点
マグノリアさんから連絡があったという。ジェミニさんが確認のため訪れたところ、どうやら最終確認は成功したということだった。10日後には準備が整うという。僕は神殿から帰ってきたところでその話を聞いた。
「ごめんなさいね、一緒に行かなくて。あなたが神殿に行った後に連絡があったので」
「いえ、いいですよ。10日後ですか。準備しておきます」
居間でジェミニさんとお茶を飲みながら会話していると、ドアが開け放たれてトラノがずかずかと入ってきた。
「ジェミニ、お前は何をしてくれた」
「いきなり部屋に入ってくるなり、なんなのですか」
「俺がせっかく話を持ってきたランセル商会との契約を反故にしただろう」
「あれは当初からお断りしたはずです」
「なぜだ、俺の持ってきた仕事にケチをつけたいからか」
「最初にうちの商会にメリットがないことは、説明したはずです。それに加えて申し上げるならば、隣国とトラブルを起こしたランセル商会と契約する理由が分かりません」
「あれは、些細な行き違いがあったんだ。説明しただろう。だからこそ、うちが仲介に入ることで、あの商会関連に恩が売れると。お前は俺に商会長を取られたくなくて俺の仕事の邪魔ばかりしてるんだろう」
キッとなぜか僕を睨み付けると
「認めないからな」
捨て台詞を残して出て行った。なんだあれは。
翌日、僕は神殿からの帰り道をてくてくと歩いていた。帰れる目処がついて、少し浮かれていたかもしれない。そこへ家の方角から女性が一人こちらに向かって走ってきた。
「カエンさんですね」
息を切らせて、その女性が僕に声をかける。
「はい、そうですが。あなたは」
「ラリックス商会の者です。奥様が、ジェミニ様が商館で倒れました。それで呼びに来たんです。あなたを呼んでいます。一緒に来てください」
「ジェミニさんが」
僕は慌てて女性について行き大通りから路地に入った。近道なのかしらと思って進むとその先に馬車が止められている。え、ここから馬車で向かうの?と思ったところで、馬車の扉が開いて出てきたのはトラノだった。
「【拘束】」
僕はその場で体が動かなくなり、声も出ない。目隠しをされてまんまと馬車に乗せられてしまった。間抜けです。
目隠しが取られると、そこは倉庫のような場所だった。
「お前が居ては、邪魔なんだよ。せっかく息子がいなくなってジェミニが傷心して覇気が無くなってたのに。戻ってきやがって」
トラノの隣には、僕を呼びに来た女性が立っている。よく見れば美人だが、その微笑みはうす気味が悪い。
「ごめんなさいね。前にも言ったけど、貴方自身には何の恨みがあるわけではないのよ」
二人に対して後ずさろうとしたが、体がまだ思うように動かない。何か言おうとしても声がでない。
「ああ、殺したりしないよ。ただここではない場所に行ってもらうだけさ。お前が2歳だった時と同じようにね。そうだよ、前と同じ場所に行けるんじゃないか。お前がそこまで育った場所に戻してやるんだから感謝してくれ。失せ物探しはもう使えないからな。もう呼び戻したりできやしないさ。
【拘束】は移動したら外れるから安心しな。俺たちはなんて親切なんだろうな。フローラ、前みたいに送ってやれ」
ニヤリとトラノが笑う。
「【転移】」
女性の声が最後に聞こえて、目の前が真っ白になった。
うずくまった格好になっていたが、徐々に体が動くようになり、戸惑いながらも立ち上がった。
辺りを見回すと、見知った近所の公園の入り口が見えた。道路に走っているのは自動車だ、馬車じゃない。元の世界だ。戻ってきたんだ、と思ったがなにか違和感がある。
そうだ。公園の入り口から見える中央のタコの滑り台、あれは老朽化したっていって去年撤去されちゃったはずだ。名物なのにって皆でそんな話をしてた。なんで復元されているんだ?それに、あそこに見える駄菓子屋さんは引っ越しちゃってなくなったはずだ。どういうことだろう。元の世界に戻れたんじゃないのか。戸惑いながら立ち尽くしていた。
すると目に端にボールが転がってきたのが映る。そちらに目をやるとボールを追ってトタトタと男の子が向こうから走って来るのが見えた、その子はそのまま道路に出そうになった。しかも向こうから真っ直ぐに車が走ってくる。
「危ない。」
道路へ飛び出した男の子を歩道の方へ突き飛ばしたが、自分はそのまま自動車の前に飛び出す形になった。
「太郎、太郎!」
公園の方から女性の叫び声が聞こえた。ドンという音と自分の体が投げ出される感覚がした。あの女性の声は若いが母さんの声だと直感的にわかってしまった。
太一郎じゃないんだと思うと同時に、かつて自分が養子であることを告げられた時に、両親には交通事故で亡くなった男の子がいたという話を思い出した。その子の名前は太郎だったのだろうか。
「君、今救急車を呼んだ。聞こえるか、気をしっかりもて。男の子は無事だぞ」
誰か見知らぬ男の人の声も聞こえた。
徐々に意識が遠くなっていく中で、どこからか男の子の泣き声が聞こえてきた。
いつの間にかどこか少し高いところから下を見下ろす様な視点になって男の子を見ていた。
『帰る、帰るの。かーしゃま、帰りたいの。迎えに来て』
どこかの部屋の隅でその子はグズグズと1人で声を殺して泣いていた。
そうだ、心細くて、周囲の人達によくわからないことを言われて、引き取られるまで隅でよく泣いていたんだった。
突然見知らぬ場所に来てしまい、言葉のわからない周囲の大人が怖かった。傍若無人な子どもたちと一緒にされて怖かった。引き取られた先の両親に大事にされて、安寧を得て。この子は安寧を得る前の僕だ。
『そうだね、帰ろう』
いつの間にか右手に神殿でもらったコインを握りしめ、かつての自分に話しかけた。
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