モータル

 私たちは、ヒーデルックさんの支持の通りに魔法陣を描いていく。今回描くものは、あまりにも大きすぎるために彼女一人で書くには時間がかかりすぎる。だからこうして私達も彼女に言われた通りにせっせと作業をしているわけだけれども、時期が時期だけにそれは過酷な作業になる。

 まずは日差し。もう夏真っ只中のその太陽の光は、燦々と私たちの肌を焼いていく。それは山の上だからといって関係なく、暑さとは違うベクトルでの辛さがある。

 次に、今回魔法陣を書くのに用いているのは石灰石では無い。

 魔力を込めた水銀を用いてその陣を完成させる。校庭という場所に石灰石で陣を描くにはあまりにも適さなかったからだ。

 さらにその四方に魔石を等分して置き、その上から私の血を落とす。決行は日が暮れてから。屍術を最大限活かすのであれば日が暮れたあと、太陽のない時間に行うのが最適。

「これで、準備は整ったね」

 私たちは彼女が心を整えるのを待つ。それを見ていると、いつの間にか近くに先生が立っていた。

「セーレ先生?」

 うわっ、とレイルは声を漏らす。こういう生徒の行動に彼が顔を出すのを初めて見た私たちは驚いていた。

「一応、不足の事態のために私もここで見ておく」

「そうなんですね」

 意外と生徒に気をかけているのだということに驚く。そういえば、最初の無理ノートの時の出来事もよく良く考えればあれは生徒のためを思っていたのかな、なんて考えたりしてしまう。

 彼女は準備が整ったのか、こちらを向いて手をあげた。私達も手を振って準備が整ったということを確認する。

 やっと、彼女の魔術がお披露目だ。今度こそ成功するといいな。ここまで来ればそう願うばかりだ。

「素は血と鉄、捧げるは御身の拵」

 魔法陣が光を放つ。同時に、四方に置かれていた魔石も、水銀に含まれた魔力と同調して光る。段々と中央に向かって魔法陣がその輝きを強くさせる。

「導き手は血を以って我が問いに答えよ。同胞の証はここに来る。永久の眠りより目覚め、今ここに集え。魂呼びの陣」

 真っ暗な星空の下、校庭はその蒼白の光に包まれる。目を開けて顔をあげるとそこには、一人の女性が立っていた。

「…………」

 その女性は、一言も喋ることなくただただその術者であるヒーデルックさんを一点に見つめている。

「あなたが、偉大なる魔女メイレイですか?」

 その言葉を聞いた時の彼女の表情は、あまりにも想定外のものだった。

 まるで、何か恐ろしいものでも見てしまったかのような。知りたくない、求めていなかった真実を知ってしまった子供のように絶望した表情。その真意を知るものは彼女以外にいない。

 だが、それが喜ばしい事態でないことだけは体がひしひしと受け取っていた。

 このままの状態が非常に危ないということも。それは本能に近しい、生存のための機能が叫んでいるかのように。

「ヒーデルック、そこから逃げろ!」

 セーレ先生が初めて見せた焦燥の色。その言葉を発しながら、彼はヒーデルックさんの場所へ走り出した。だが、それよりも先に彼女のもとへ向かったのはヲルスだった。

 私も、腰に刺していたシュリースルを抜いた。間に合うか間に合わないか、一か八かだけど魔術を行使する。

「キル・タイット」

 瞬間に込められる最大限の魔力を込めて、その剣を魔女と彼女との間に振るう。

 空間の断絶。それは絶対的な防御の壁。

 空気を裂いて固定する。彼女の魔眼の力を用いて作ったその魔剣。剣術においてそれはあまり実用的な力はないが、こと防御においてその剣は真価を発揮する。

 だが、それは魔女の、いや真の意味での魔女の前では意味などなさなかった。

 パチンッ。

 彼女が指を鳴らした、ただそれだけ。詠唱も何もしていないのに彼女の魔力で作り上げた空気の壁は粉々に割れてただの空気へと成り下がる。

「そんな……」

「これ以上は無理だ。魔術を解くぞ」

 ヲルスは彼女に許可を取るまでもなく魔法陣を足で崩す。大きな魔術ほど安定性はかけるもので、その大魔術も本来であればとっくに消えていてもおかしくなかった。

 だが、この場にいる人たちはメイレイという魔女の力を誰も推し量ることが出来ていなかった。

 正しくは、この時代に即した物差しで測れるほどの器では無い文字通りの格の違いが私たちと彼女との間にはあった。たとえ何百年魔術の修行をしようと埋めることの出来ない運命のような距離が。

「お前たちは、誰だ?」

 メイレイは目の前にいたヒーデルックさんに尋ねる。彼女は、ずっと夢見てきたその存在に対峙することができた興奮のせいなのかすぐに言葉を発することができなかった。それを見て、魔女は彼女に関心を失って隣にいたヲルスに目をやる。

 眼を合わせただけで、脳内で警鐘が鳴る。だけど、必死に言葉を紡いで彼女の質問に答える。

「私は、ヲルス、、です」

「そうか」

 彼女は、腕を振り上げて彼に向っておろす。その手が目の前に来るまで何も感じなかったのにいざ触れると思った瞬間になって初めて殺気を纏っていることに気づく。

「なっ」

 次の瞬間、そこにあったのは撒き散らされた鮮血ではなく理事長の姿だった。

「これはこれは、悠久の眠りより目覚めし真祖の魔女よ。ここはその寛大なるそなた様の心でお納めくだされますか」

 彼女はしばらく無言になると、その意に賛同したということなのか手を引いた。彼女の手を止めた理事長の左手は煙を上げて焼け焦げていて、遠目でもその手が黒くなっているのが見えた。

「おや、これにて終いか。では置き土産に其方にはこれをやろう」

 呼び出したヒーデルックさんに対して手を差し伸べる。彼女はその手を出すと、そこに一つの石が置かれた。

「これは、魔石?」

「そう。まさかこんな廃れた時代に私を飛び出すことのできる少女がいるとは思わなかった。だからささやかな褒美だ。なに、私が昔会った少女の魔法を使わせてもらった。それは過去の世界と繋がった石。つまり、そこにあるだけで魔力が貯蔵されていく。では、もうくれぐれも私をを呼び出さないように。これ以上、この世界に変化を起こしてはならんからな」

 そう言うと、間ぞよの体はボロボロと崩れて消えその触媒としたものも同時に塵となり果てた。

「夢を見ていたみたい」

 零れるように彼女は自分の思いのたけが口から出る。ヲルスも、

「同感だ」

 と言う。理事長といえばその焼け焦げた手を見てまた保健室で怒られるなぁとぼやいている。

 ――――エレインとレイルは

 ただ、その光景を目に焼き付けること以外何もできなかった。その行動に正解も不正解もないのは重々承知の上で。


「おはようございます皆さん」

 あくる日、四人は再び最初に出会った場所で集まっていた。

「お騒がせしました。いろいろ凄い体験でしたね」

「ほんとに凄かった」

「ヒーデルックさん、あの石ってどうなったんですか?」

 レイルは真っ先に聞きたいことを口にした。

 彼女はそれを聞くと、首から何かを取り出した。

「これ、ネックレスにすることにしたんです」

 先生たちは、先の件についてはあくまでもなかったことにしたいらしく幸い夜だったということもあって目撃者の数は多くなかった。そのため今後このことに関する研究をしないこと及び、口外を一切固く禁ずるということに合意の上でその魔石についての判断は所有者にゆだねるということになったみたいだ。

「案外、理事長はそういうことに対して優しいね」

「そうなんです。だから、この石綺麗な形だからネックレスにしようと思って。それに石に魔力が蓄積されていくなら、これからじぶんの身の丈以上の魔術にも挑戦できるようになっていくかなって思うの。どう、似合うかな」

 彼女は、ヲルスにそのネックレスを見せる。彼はこちらにその問いが投げかけられていることに気づいて、手で顔を覆った。しばらくして、

「似合ってる、と思う」

 とだけ返事がある。それを聞いた彼女はとてもうれしそうな表情で、

「ありがとう」

 と彼に言う。それを聞いてヲルスはまた顔を逸らしたが、もう手で隠れていない部分が赤くなっているのが見えてしまっている。

 私たちはこの場にいるべきではないと思ったので、なんにも気づいていないニブニブのレイルを引っ張って部屋から出た。

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