忘れたいこと

 それは魔術師であれば気にしないような、些細な言葉。犠牲なくして魔術の大成に至ることなんてできるわけが無い。

 それは誰しもか分かっていること。それはエレイン、彼女自身も理解していることであり経験したことでもある。

 だが、気持ちとはそこまで単純なものではなく一度したこととはいえ、抵抗感というものは直ぐに払うことが出来ない。ましてやそれを当たり前という認識に落とし込むほど納得しているわけではなかった。

「それでね、私はもう屍術を使う人を決めているの」

「それは一体誰なんだ」

「聞いて驚かないでね。私は魔女メイレイを蘇らせたいの。もちろんそれ相応の代価を払うことは分かってる。だけど一度でいいからこの目でその姿を見てみたい、たとえそれが仮初であったとしても。だってそれが、私たち一族の悲願だから」

 彼女が受け継いだ一子相伝のその魔術は人を蘇らせて、言い方を悪く言えば使役する魔術だ。その中でも彼女は伝説に名高い魔女を蘇らそうとしており、難易度は普通の生物の比ではない。どうりでなかなか魔術が成功しないはずだ。

「どこで、その魔女の遺伝子を手に入れたんですか」

「私の実家には昔からある書庫だあってね、そこにそのメイレイが書いたとされる本があるの。もちろん、そこに書いてある文字が読めるはずもなくてね。だけど、その本の最後には彼女の署名らしきものと彼女自身の押印があった。つまり、聖遺物として使えるってこと。もちろん、今までのやり方じゃきっと呼び出せない。……だからこそ行き詰まってるんだけどね」

「でも、そのために図書館まで行ったんですよ。その本の中身、見てみましょう」

「あ、そっか。じゃあ遠慮なく」

 彼女が図書館から借りてきた本を開く。中をしばらく読んでいるのを眺めていると、納得した様子で「そういうことか」とつぶやく声が聞こえた。彼女は最後のページまで到達すると、本を閉じる。

「だいたい、分かりました。この魔術を成功させる方法は、どうやら私が思っていたものとは違ったみたいです」

「それはどういう?」

「この魔術を行使するために用いていた血。この本を読んでみたところ、私のじゃダメみたいです」

 術者本人ではだめとはどういうことか。魔術を行使するのに一番親和性が高い当人よりも優先するべきほどのもの。魔力の分配なら分からなくもないのに。

「分かったのは、人間の血ではダメだということ。人を屍術で呼び出すには人の血ではいけない。単純な話、私がさっきみたいに鳥を呼び出したのに用いたのが人の血。鳥よりも高位と言われているものの血です。つまり人よりも高位、すなわち魔族の血を使わなければ屍術で人を呼び出すことは叶わないということ」

 人ならざるものの血。悪魔そのものを見つけるなんていうのは途方もない話なのは言うまでもなかった。それならば、最も手っ取り早く悪魔の血が手に入る方法。

「それは、純血である必要はあるんですか?」

「たぶんその必要は無い。あくまで人間よりも格が上の血を使えばいいんだから、混血でも問題は無いと思うよ」

「なるほど。魔族か何かの血がいるということだな」

「もっと、簡単な方法があるよ」

 さっきの質問、あれには意味があった。純血である必要がないのかということ。もしそうであるなら別に魔族をわざわざ探しに行く必要なんてない。

「魔眼を持っている人の血を使えばいい」

「それはそうですけど、そんな都合よく魔眼を持っている人に会うことなんて」

「それならできるぞ」

「え?」

「なあ、エレイン」

 私に振られて一瞬びくっとしたが、文脈から考えてロノウェ先生を指していることは明白だった。

「もう一度、図書館に行きましょう。そこで会えるはずですから」


「嫌じゃ」

 その答えが返ってくるのは目に見えていた。

「お願いします。もう少しでたどり着けそうなんです」

 ヒーデルックさんは一生懸命頭を下げる。私たちも彼女に続いて頭を下げた。だが、彼女の表情は変わらないまま、ただソファに寝転んでいる。

「そもそも、なんでワシなんじゃ」

「師匠……」

「そこに、もっと簡単に手に入る方法があるではないか」

 彼女は、私を指さしてそう言う。

「隠していたのは、そういうわけか」

「……ごめん」

「え、どういうこと?ヲルス教えてよ」

「エレインも魔眼持ちっていうことだろ」

 ここまではっきりと言われてしまっては隠すこともできない。私は思わず彼女をにらんでしまったがそれがお門違いなことは彼女の態度で分かる。

「そもそも、ワシは詮索をしないと言っただけで隠すのを協力するといったわけではない。それともお前は友人にそれを一生隠して生きてゆくつもりだったのか?この学園はそれを隠し通せるほど甘いものじゃないぞ」

「分かっています」

 いつかは言わなければならないことは分かっていた。だからと言って、こんな自分の心に準備もないままに打ち明けるつもりでもなかった。

「……私も魔眼を持っています。私の血を使ってくれてかまいません。やってみましょう、その魔術」

「ふんっ」

 ロノウェ先生は私の態度に不服らしい。だけど、何を言えばいいのか私には分からなかった。ただ、今はヒーデルックさんの悲願を成すためにも準備をすすめることが先決だと思っただけ。別に逃げているわけじゃない。

「そうですね。ありがとうございます。じゃあさっそく陣を書きますね」

「ここでやるんですか?」

 シレさんが尋ねると、

「だめですかね?魔女の称号を持つ方が近くにいた方が安心するので」

 あくまでロノウェ先生を立てることで同意を得ようとする。

「まかせておけ。不測の事態にはワシがどうにかしてやろう」

「ありがとうございます!」

 そこはさすがといったところで、簡単に丸め込まれてしまった。

 今回描く陣は鳥の時よりも複雑で、工程が多い。魔法陣の規模に対してきめ細やかに描かれた紋様と文字の数。一時間を超えるその準備に、彼女は額の汗を拭うほどだった。

「できました」

「うわぁ、凄い!」

 真ん中に置かれた聖遺物。その周りを取り囲むように書かれた魔法陣は、その隙間がないほどに描かれていてレイルのように驚きの声を上げるしかない。

「やりましょう。お願いします、エレインさん」

 その儀式が始まると知ると、どこかに行っていたロノウェ先生もそれを見にやってくる。私は、ナイフで指を切るとその魔法陣にぽたぽたと血を垂らす。それに合わせてヒーデルックさんは詠唱を始める。

「素は血と鉄、捧げるは御身の拵。導き手は血を以って我が問いに答えよ。同胞の証はここに来る。永久の眠りより目覚め、今ここに集え。魂呼びの陣」

 稲妻の衝撃があったかのように部屋は揺れ、魔法陣は青白く光る。一瞬部屋一面が白一色に染まったかと思うと、その光は力を失ったように消える。

 再び目を開けた先にあったのは、彼女の望んでいた魔女との邂逅ではなかった。

「ヒーデルックさん!」

「おい、しっかりしろ!」

 ヲルスは真っ先に彼女のもとに駆け寄って倒れている彼女を抱き起こす。幸い、意識を失っているだけで命にかかわるような事態にはならないで済んだみたいだ。

「魔力が足りておらんかったんじゃ」

 その光景を見ていたロノウェ先生が呟く。

「いったい何を呼び出すつもりだったのかは知らんが、そやつの魔力では無理じゃ。あとは場所が悪い。もっと大きな場所でやれ。そう、そやつに伝えておけ」

 それだけ言って彼女は扉の向こうに姿を消す。

「とにかく、保健室に向かわないと」

「先に先生に伝えておくから、気をつけて連れてきて」

 レイルはすぐに部屋を出ていく。私とヲルスくんは一緒にヒーデルックさんを担ぐ。

 魔力が回復するまでここで安静にしておくようにとの先生の忠告をもらって、私たちは彼女が目覚めるのを待つことにする。

「んっ……あれ」

「良かった」

 無事に目を覚ました彼女。ゆっくりと起き上がるが、すぐに力が抜けたようにベッドに倒れこむ。

「まだ安静にしていないといけないですよ」

「そうなんですね。さっきの魔術はどうなったんですか?」

「それは……」

「ダメだったんですね。やっぱりまだ足りなかったですか」

「それだが、ロノウェ先生から言伝を預かっている」

 ヲルスがその言伝を彼女に言うと、納得したようすで頷いた。

「うっすらとそんな気はしていたんですけど、あの時はなんだかできる気がして。まさか私の魔力をほとんど消費しても呼び出すことすらかなわないとは思いませんでしたけど。また、それについても考えないといけませんね」

 今日はありがとう。また、体調がよくなったらみんなを訪ねるね。と彼女が言うと、私たちはこれ以上療養の邪魔をしてはいけないと部屋を出る。

「なにはともあれ、彼女が無事だったからよかったよね」

「うん。あとごめん黙ってて、私の魔眼のこと」

「別にいい。誰だって黙っておきたいことだってある」

 そうそう、とレイルも朗らかに笑う。

「ありがとう。じゃあまた明日」

 寮の前で二人と別れて家に帰る。自分の部屋に入って机の横に立てかけられた鞘を見た。

「もし次に何かあったら、この刀を使う」

 局限の魔眼。彼女のその魔眼で拵えられたその魔剣で。

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