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 不思議なくらいに人も車も通らない。おそらくこの空き地は曰く付きの場所で、この辺りに人が近づくことは滅多にないのだろう。子供の足でみなみ劇場から移動できる距離だが、特に商業施設も住宅もないような死んだ場所だった。

 綿奈部はつなぎのポケットからタバコを取り出そうとするが、先程の戦闘でケース全体がひしゃげていた。

「クソ……」

 ケースごとタバコを路上へ投げ捨てると、車の中から新しいケースを取り出し、その内の一本を唇に挟む。そして綿奈部は車両のドアへ背中を預け、車道に座り込んだ。ライターのフリントホイールを何度か親指で回転させると温かい灯りが手元に宿る。フィルターから空気を吸い込みながらタバコの先に火を灯し、毒の煙を肺へ取り込んだ。

「はあ……美味い。やっと吸えた」

「なんや、子供相手に遠慮しとったんか」

「……分別のある大人は子供の前でタバコは吸わんだろう」

「ま、そうやな……ツナがメガネかけてんの、久しぶりに見たなあ」

 千葉もまたタバコを探して着用していたベストの内ポケットを探っていたが、それを手にした途端に「うわあ……」と低く呻いた。千葉が胸元から取り出したのは電子タバコだったが、何かの拍子で潰れていたらしく、起動すらしない様子だった。千葉は曲がった金属の塊を空き地に向かって放り投げる。

「戦闘向きじゃないのに戦闘させるからレンズがどっかにいってしまっただろ……ほれ、タバコ」

「えっ、分けてくれんの? ありがと、愛してんで」

「気色悪いことを言うな、殺すぞ」

「本気にせんといてや……」

 千葉の発言に虫唾の走った綿奈部はタバコケースとライターを投げつけるが、上手く受け止められてしまう。綿奈部から受け取ったケースからタバコを素早く取り出して火をつけると、千葉は綿奈部の隣に座り、足を投げ出して車のドアにもたれ掛かった。そして天を仰ぎ、煙をゆっくり細く吐き出す。

「紙巻のタバコとか久しぶりや……」

 ニコニコとタバコを味わう千葉を横目に見る綿奈部。その目は今日の件についてどこまで追及していいのか図りかねているものだ。千葉はいつもよりも異様に黒い隈を目の下に作っている。疲労困憊であろう友人に、おそらく何も知らない、何もわかっていない自分がどこまで話をしていいのか。すべてを明らかにされても受け止めきれる内容でもないかもしれない。

「そんな顔せんでも、話せることはちゃんと準備してきてあるって」

 顔は天に向けたまま、視線だけを綿奈部へ向けて千葉が言う。千葉はタバコをもう一口吸うと灰を地面へ落とし、片膝を立てて腕をその上に置いた。隈さえなければ随分明るい印象の優男なのに。その面立ちからは苦労と哀愁が透けて見える。

「勿論、話せることと話せへんことあるけど……」

「……別に何も話さなくていい」

「えええ、俺の話聞きたくないん?」

 聞きたくないわけではない。綿奈部自身も今日の出来事は不可解なことが多すぎるためその真相を知りたい気持ちはあった。これがたとえば、友情の介在しない関係性であれば激しく追求していただろう。しかし、千葉が何も話したくないというのであれば、綿奈部はあえて触れようとも思わなかった。

 ところが千葉の方はといえば唇を尖らせて綿奈部の方へ向き直っている。

「はあ……話したければ話せばいいだろ」

「ほな勝手に話すわ……簡潔に言うと、俺はある事件の目撃者で大事な情報を握ってるねん」

「ある事件……」

「俺が目撃者になったのは子供の頃。その事件の複数ある現場のひとつがここ」

 千葉は膝で支えていた腕を動かし、タバコの先で空き地を指し示した。そして一口喫煙する。

「一応警告だけしとくと、この事件のこと調べたらあかんで。どっから何が飛んでくるかわからんからな」

「…………」

 エンジニア紛いのことをしているその性質上、綿奈部には検索癖があり、それを諌められる。

「俺はその事件以来、正体を隠して生活してた。でも最近妙な連中が俺のことを嗅ぎ回ってて……調べてみたら末端も末端のチンピラやったんやけど、厄介な問題がひとつ発生した」

「もしかしてそれがこのデバイス……?」

 綿奈部は腰を下ろした傍に無惨な状態で沈黙している物体を指差す。困ったような笑みを浮かべて千葉はうなずいた。

「そう。というかあそこに転がっとるヤツが厄介者やってんなあ。アイツ、脳内の微弱な電気信号を増幅させる能力が使えるみたいで」

「……は? なんだそれは」

「ほんまびっくりやんなあ。ナノマシンデバイスの適性は人それぞれとはいえ、こんなことできるヤツおったんかあって思ったわ。やけど、電気信号を増幅して読み取るだけでは具体的な記憶を他者が読み取ることはできん。ただの信号やからな」

「ふむ……たしかに」

「じゃあ、どうするかといえば、該当する記憶にまつわる言葉や状況で脳を刺激して、電気信号をキャッチした後、記憶の保持者を拷問にかけ続けてそいつ自身に語らせる必要があるわけ。記憶を持っていることは明らかやから、拷問されてる側も嘘はつけんし」

「……随分古典的だな」

 綿奈部はフィルター近くまで燃え切ったタバコをアスファルトに擦り付け、二本目を口に咥えようとする。タバコケースはまだ千葉の手に握られており、綿奈部の様子を見た千葉はケースからタバコ一本を引き出し、綿奈部の口元へ差し出した。綿奈部はその一本を咥えながら、ケースとライターを奪い取る。

「お前から情報を引き出そうとするのは骨が折れるだろうな」

 追加のタバコに火をつけながら、優しい顔つきの割には屈強な男を白々と見つめる。千葉より強い人間は存在するが、千葉を相手にしようとも思えない。

「俺が拷問されるくらいなら、捕まる前に死を選ぶわな……ま、それは冗談として。そこで、どないして俺に見当をつけたかわかってくるわけや。かつての周辺住民の不審死、元捜査官の自殺。この街ではありふれたことやけど、その共通点がこの土地であったら……論は飛躍してるかもしれんけど、拷問の末死んだと考えられんこともない。俺ひとりのために何人か死んでるっぽいわ」

 千葉はタバコケースと自分の胸を交互に指差し、タバコをもう一本催促する。綿奈部が目を細めて千葉を睨みつけながら緩慢な手つきでタバコを取り出し、ライターと共に千葉へ手渡した。

「このタバコ泥棒め……」

「ツナかて人のこと言えんやろ……ちょっと気持ちが昂ってるみたいで落ち着かんねん……」

 千葉はなんでもない顔をしながら今回の事件の背景を物語っていたが内容は確かにヘビーである。

 コテコテの関西弁ではあるものの、どこか品の良さを残した立ち振る舞いをするこの男の出自はずっと謎に包まれていた。今回の事件の真相を知ることで隠されていた秘密を垣間見ることになるかもしれない。

「そんで、俺に見当をつけたはいいけど、どうやって俺の記憶を引き出そうか、って話」

「そこでやっとあの子供の話が出てくるわけか」

「正解……あの子の正体、何やと思う?」

 綿奈部の中で千葉とあの少年は完璧に結びついていたが、同一人物が同じ時間に存在している不可解さに頭を悩ませていた。しかも年齢差がある。非現実的な考えとして『片方がタイムトラベルをしてきた』というものに思い至ることができるが。

「クローン……と思ったがこれも非現実的か」

「民間にそんな技術が下りてきてるわけもないしな。ところが、似たようなものではある」

 千葉は手に握っていたタバコをようやく咥え、ライターで火をつけた。何度かふかして深く息を吐き出す。

「なんと記憶信号だけを抜き取って、増幅・具現化・スタンドアローンAIにする技術が開発されてたって言ったら、信じるか?」

「……陰謀論だな」

 綿奈部が首を左右に振ると千葉が照れるように笑い声を漏らす。

「ははっ、やんなあ……しかし、なんとこのナノマシンデバイス、それを可能にしちゃったらしいわ」

 千葉が無惨な姿になったナノマシンデバイスを手に取った。

「で、俺本人から情報を引き出すことが無理でも、俺の記憶信号から抽出した、俺の記憶を持った小さな男の子からなら……情報を引き出すことは簡単じゃない?」

「つまり……あの子供はお前と限りなく近い情報を持ったスタンドアローンAIだったと言いたいのか」

「俺の子供時代を復元した、その当時の俺と限りなく近い存在――ナノマシン集合体のスタンドアローンAI。少年心がくすぐられてまうなあ」

 天空の僅かな光を受け取って、千葉の瞳は輝き続けていた。その男は笑顔を保ち続けているが、重く暗い何かを感じ取れた。その男の見上げる空はどんどん群青色に塗り替えられている。まだまだ暑いと思っていたが日が暮れ出すと暗くなるのは早い。

「そんなものの存在が知れていたらもっと悪用されていそうなもんだぞ……」

「な。俺もそう思うわ。でも実際はあそこに転がってる技術屋がひとりで開発して、組織内の地位向上のために独断行動をとっていた。そういうお粗末な話っちゅうわけ」

「あの少年は『犯人は事件現場に戻る』と確信していたようだが」

「あのガキはな、俺の子供時代なわけや――浅い判断で、自分の知り得る範囲でしか動けん、可哀想な子供。頼みの綱は自分が唯一知り得るこの現場に戻ってくることやった」

 空を見つめていた千葉の瞳が瞼に覆われる。千葉がフィルターを口に含む。煙が吸い込まれると、タバコの先の火種がジリジリと音を立てて燃えた。

 千葉は今日初めて『ガキ』という言葉であの少年を表現した――子供時代の自分への後悔が滲み出たのだろう。

「……どうしてお前とアイツが同一人物だと言わなかったんだ」

「ああ……」千葉が溜め息をつくように空へ煙を吐き出した。「俺とあの子が同一人物だと認識してしまった時点で、ツナの脳内情報が俺とあの子を結びつけてまうやろ。それは致命的な弱点になる可能性があったんや……ツナの微弱な記憶信号を検知して、信号を同定するだけで、ふたりが同一人物だと相手に気づかれてまう。わざわざ記憶の内容を読み取るまでもない話や。信号を同定して周辺情報を洗い出せば、あの子の居場所が特定できてまう――本来は俺の知り合いというだけでも結構危ない状況やったやろし」

「じゃあなんで俺に少年を――」

「ツナは最初マスターに頼めって言ってたけど、あの人は俺のちっちゃい時の姿知ってるからなあ……ほんで、俺……」

 千葉が再び綿奈部へ向き直り、首を少し傾けた。本来はぱっちりとした丸い目が脱力した笑顔を作って細められ、眉は困ったように八の字に下がっている。

「俺、ツナ以外に頼れる友達おらんし」

 優しげな顔つきに浮かぶ、頼りなさげな笑顔。力に物を言わせるようなこともできる男がこういう表情を作ることに対して、綿奈部は常日頃より不思議に思っていたが、あの少年の振る舞いを思い起こせば合点のいくことが多かった。小生意気だが素直で、しかし『ある事件』によって己の芯を奪われた少年の成れの果て――その『事件』はおそらく、この男の大切な何かを奪った。

 綿奈部は普段は頼れる男のこの頼りない笑顔に弱かった。

「……そうやって言っとけば俺が喜ぶとでも思ったのかよ」

「いやいや、ほんまのことやから……ってか喜んだん?」

「その減らず口、マスターに叩き直してもらえよ」

「マスターも俺のこの話法を直すのは苦労して――」

 車両前方から閃光と軽い爆発音が発生し、突風がふたりの体を撫でていく。千葉は即座に跳び上がり何が起こったのか確認しようと駆け出すが、綿奈部は事態を飲み込めずに爆発音を受けた耳を庇うことしかできない。キーンという高音が耳をつんざく。綿奈部は千葉の動きを目で追う。その男が特に臨戦態勢も取らず、その表情だけが険しく顰められたのを確認して、綿奈部もゆっくり立ち上がった。

 千葉の視線の先に何があるのか、綿奈部にはわかっていた。刺客が転がっているはずの場所を千葉は見つめていたのだ。

 肉の焼ける臭いが綿奈部に想像させるのはグロテスクな光景であり、その予想は概ね間違っていなかった。

「時限爆弾か」

 千葉の声を聞き取ることは叶わなかったものの、唇がそのように動いたのは見て取れる。

 ふたりの視線の先には、両手両足を縛られた頭のない死体が転がっていた。

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