7
遠くから、車のブレーキ音とエンジン音が急速に近づく。パアンという高音の射撃音と同時に車道に突風が吹き荒れ、防弾ガラスにヒビが入る鈍い音がした。引き金が引かれるだろうまさにそのタイミングで綿奈部は少年を抱えて歩道側に倒れ込んでいた。
「はああ、間に合った……」
「車……?」
「とにかく早く乗れ!」
ふたりと刺客の間に黒塗りの車が割り込んできていた。綿奈部の車である。
一時の危機を免れたとはいえ、目の前に刺客がいる状況には変わりなく、綿奈部は車の鍵を解錠すると少年をそのまま中へ投げ込んだ。刺客は容赦なく車に銃弾を撃ち込み続けながら、綿奈部がいる方向へ回り込む。綿奈部自身は車の中へ逃げ込むことも叶わず、死に物狂いで鍵をかけた。刺客から間合いを取ろうと車を盾にしながら逃げ惑う。
綿奈部の車は全体が防弾仕様となっており、拳銃の類では突破できる代物ではない。ひとまずは少年の安全を確保することができたが、綿奈部自身は危機に晒され続けている。
――射撃には自信がないんだよ……!
心の中で弱音を吐いたのち、綿奈部は左手のデバイスを紫色に発光させた。光が変形すると綿奈部の手にはネイルガンが握られていた。銃の形をした何かを綿奈部の手に確認した刺客は一瞬怯み、綿奈部と距離を置く。車越しに睨み合いが続く。
銃弾で蜘蛛の巣のヒビだらけになった車。ガラス越しに少年の影は見えるものの詳細に車内を確認することはできない。すなわち、ガラス越しに敵の動きはわからないということだった。
刺客はボンネットに手を突くと大きく跳ね上がり綿奈部との距離を一気に縮めた。勝負を仕掛けられたことに気づくのが一瞬遅れた綿奈部は、驚きに目を見開きながらネイルガンをろくに狙いも定めず乱射する。奇跡的に何発か命中し、刺客がくぐもった声で呻く。しかしそのまま距離を詰め、刺客は再び引き金を引こうとしていた。一方綿奈部も刺客の方へ接近し、ネイルガンを素早く掲げて刺客の右手首に向かって勢いをつけて振り落とす。重みのある金属音を立てて拳銃が落ちる。刺客が武器を落とした。しかし次の瞬間、綿奈部は右頬に重い打撃を受け、アスファルトの上へ倒れ込む。視界がチカチカと眩み、脳が揺さぶられた。
「くっそ……!」
刺客の拳銃は地面に落ちたままだ。奪われてはならない。綿奈部が刺客を観察したところ、決定的に命を奪うような武器を他には持っていなさそうだった。それ故に敵の拳銃の所有者が誰になるかで勝敗が決する。揺れる視界の中で綿奈部は上体を起こし、視界の端に拳銃を確認した。敵はなおも綿奈部に殴り掛かろうとしており、胸倉を掴み上げる。綿奈部の戦意を喪失させてから始末する算段なのだろうが、勝敗の鍵が何かわかっている綿奈部にとって敵の作戦は関係なかった。敵に体を引き起こされる隙を狙って、綿奈部は拳銃を車の下へ蹴り込んだ。
敵も綿奈部の動きに気づき、目出し帽から覗かせている目を大きく見開いた。刺客は明らかに動揺している。綿奈部は胸倉を掴んでいた敵の腕の間に己の両腕を差し込み、力一杯に押し開く。刺客は体勢を崩しながら綿奈部の腹部を目掛けて蹴りを繰り出した。綿奈部はよろめきながら再び道路上に倒れ込むが、敵の反撃は予測していたため素早く身を起こすことに成功する。綿奈部と敵の間に自然と生まれる間合い。頑として握り続けていたネイルガンを刺客へ向けて構えた。ネイルガンの先の刺客は、二重にボヤけて見えた。
「ハッ、ハアッ……殺しは趣味じゃない。投降しろ」
荒い呼吸を繰り返し、敵に呼びかける。
体勢を崩して片膝をついていた刺客がゆっくりと立ち上がる。敵が両手を広げて降伏してくれることを願う綿奈部。刺客は背筋を丸めた状態で綿奈部と正対する。ジリ、とアスファルトが何かと擦れる音がしたかと思えば、刺客が跳躍し車の影へ飛び込んでいった。車を盾に綿奈部と大きく距離を離そうとする。
「アイツ、逃げる気か!」
まだ揺らぎ続ける視界の中で綿奈部は敵の行き先を確認しようと車の後方から回り込む。林へ身を隠す気かもしれない。綿奈部が急いで車の反対側へ顔を出した瞬間、胴体へ大きな衝撃が走る。刺客が強烈なタックルを仕掛けてきた。
――しまった!
予測しない場所からの強襲に、綿奈部は思考が真っ白になる。焦りだけが脳内に取り残された。はずみでネイルガンを手放してしまい、紫の光が霧散する。刺客は体勢を崩した綿奈部の左頬に強烈な打撃を加え、そのまま地面へ転がした。
次は上手く起き上がることも叶わなかった。綿奈部が上体を起こそうとすると敵は胸を足蹴にし、その左足が綿奈部の左腕を踏みつける。左手首のデバイスが操作できなければ、新たにネイルガンが生み出されることもない。腕を踏み躙られ、綿奈部は呻き声を上げた。
「ぐっ……いてえだろ……!」
自由な右腕を動かそうとした瞬間、敵の全体重が左腕にかけられ、敵の右足が力強く綿奈部の頭部を蹴り上げた。助走距離がほぼゼロの蹴りのため、威力は大きくないものの、綿奈部を昏倒させるには十分の力であった。一瞬にして遠のく意識。どこか切れたのか生温い気持ち悪さが頭部を襲う。
――クソ野郎の人生の顛末なんてこんなもんだな。
意識を手放そうとする綿奈部の顔には薄ら笑いが浮かんでいた。
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