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「……俺はカツ丼じゃなくてトンカツって言ったんですけど」

「ここはトンカツ定食もやってるから。お前の要望通りだろ」

「えー! タクシー運転手ならではの知る人ぞ知る、みたいなお店に連れて行ってもらえると思ってたのにぃ!」

「ばぁか、チェーン店舐めんな。そういえば千葉もここに週一で通うほどの愛好家だぞ。美味いから安心しろ」

「うーん……和食ファストフード店かあ……」

「だから、食べてから文句を言え」

 少年は看板を見上げながらあーでもないこーでもないと減らず口を叩き続けていた。

 ふたりの眼前に広がるのは全国チェーン展開されている有名カツ丼店である。早い安い美味い、そして量が多いため、体力仕事をしている社会人やお金のない学生から人気を集めている店だ。食べ盛りの子供とそれなりに食欲のある大人がふたりで利用するにはもってこいの場所であった。

「ファストフード、あんまり食べたことあらへんから……」

「は〜? お前どんだけおぼっちゃまなんだよ? それともとんでもない貧乏人か? 金持ちって言ってもファストフード食べたことないヤツの方が珍しいぞ」

「俺の家はそれなりの金持ちですぅ……ファストフードって、速く食べなあかんお店なんでしょ? 俺食べんの遅いから……」

「いや、食べる速度は関係ねえから。そんな心配してたのか」

「えっ、速度関係ないの?」

 少年の箱入り具合に綿奈部は眩暈がした。少年の服装を改めて観察すると、その家庭の裕福さがよく伝わってきた。シンプルな襟付きのシャツに黒いハーフパンツを履いているがそのどちらも生地や作りがしっかりしたものでシルエットも綺麗だ。『それなりの金持ち』具合が理解できる。少なくともそこらに住んでいるガキ共よりはよっぽど身なりが良い。

「……社会見学だな」

「俺を世間知らずとでも言う気ですか」

「実際そうだろう……とりあえず入るぞ」

 綿奈部は少年の肩を軽く叩くと店の入り口へ進むように促す。

 自動ドアが開いたタイミングで少年が立ち止まり、被っていた麦わら帽子を取ろうとするが、綿奈部はそれを上から押さえつけて阻む。少年は戸惑った表情で綿奈部を見上げた。

「あの、帽子は」

「こういう店はな、帽子を被ったままでもなあーんにも言われないんだ。誰も気にしない。みんなメシを食いに来るだけで他人になんか興味ないわけ。だから被ったままでいろ」

「えええ……お行儀悪ぅ……」

「まじでイイトコのお坊ちゃんなんだな、お前」

『いらっしゃいませ、二名様でしょうか? 案内表示に従って奥のテーブル席へお進みください』

 店へ入ると入り口近くに設置されたパネルから自動音声が流れ、ふたりを空席へ案内する。昼食時のピークはとっくに過ぎていたが店内はまだ何席も埋まっており、客達は遅い昼食を摂っていた。店内を進めば厨房から「いらっしゃいませー!」と威勢の良い挨拶が響いてきた。案内通りの席に着くと、女性店員が水の入ったグラスをふたつテーブルの上に置く。

「ご注文がお決まりでしたらお伺い致しますが」

「俺はカツ丼・並で。コイツは……」

「俺も同じものでいいです」

「お前、さっきカツ丼嫌がってたじゃねえか」

「興味がわきました。俺も同じもので」

「左様でございますか……じゃ、カツ丼・並ふたつで」

「かしこまりました」

 女性店員が厨房に引っ込んだかと思えば次の瞬間には丼ふたつを載せたトレーを持ってテーブルに帰ってくる。あまりの速さに少年は目をまんまるにして女性の所作を見守っていた。

「お待たせしました。カツ丼・並です」

「……速すぎません?」

「お褒めいただきありがとうございます。ご意見は本社の方へもお伝えいたします」

「え? あ、はい……?」

「どうぞごゆっくりお過ごしください」

 女性店員はにっこりと笑顔を作って会釈をすると再び厨房へ引き下がっていった。

 ツヤツヤと煌めく卵とじのカツ丼を凝視する少年。あまりの提供スピードに驚いているようだった。

 綿奈部は少年の反応を見守るのもそこそこにポケットの中に準備していた折り畳み式のデバイスを取り出した。チャック付きのナイロン袋の中に入れられたデバイスは清潔に保たれている。綿奈部は袋のチャックを開き、折り畳まれていたデバイスを棒状に伸ばす。小さな電源ボタンを押して起動させると、デバイスの片側面から光が照射された。丼とグラス、そしてテーブルに設置された箸類にその光を当てる。特に異常は検知されない。デバイスの光を消し、電源ボタンの隣のボタンを押すとデバイスの先から細く白い棒状の物が迫り出てくる。その棒を丼の中に無作為に突き刺しデバイスの反応を確認する。特におかしな反応も挙動も見られない。

「――食べても大丈夫そうだな」

「便利ですねえ、それ。どんな毒も検知できるんですか?」

「いや、すべては無理だな。もし検知できない毒で死んだら、その時は千葉を恨め。とりあえず俺が毒見してやるから」

 綿奈部はテーブルに置かれていた箸を手に取り、少年の丼から卵とご飯を掬い上げて口に運ぶ。舌に違和感もない。飲み下した感覚も特におかしくはない。左手首のデバイスもバイタルの異常は検知していない。

「百パーセントの保証はできんが、食べられるぞ」

「ありがとうございます」

 つい先程までまんまるに見開かれていた目が申し訳なさそうに細められていた。千葉よりも余程しおらしく振る舞うことができる少年に、「千葉と少年は本当に親戚関係にあるのか」という今朝の印象とは正反対の疑念が浮かび上がってくる。

「気にすんな、こっちも仕事でやってることだ」

 綿奈部は自分の丼を片手に持ち、カツ丼を掻き込む。綿奈部が順調に食べ進める一方で、少年はソワソワと落ち着きがなくなってきた。食事の安全は一応保証されているはずなのに何が気になっているのか。

「おい、食っても大丈夫だって言っただろ」

「いや、それはわかってるんですけど」

「じゃあなんだよ」

「……お箸……」

「箸ならここにあるだろ」

 何を言っているんだと思いながら綿奈部は持っていた箸をテーブルに置かれている箸に向けた。少し大きめの麦わら帽子が左右にふるふると揺れる。

「いや、わかってるんですけど」

「だから、なんだよ」

「……除菌シートとか持ってませんか?」

 少年は潔癖症の気があったらしい。無菌室育ちかと皮肉を言いたくなるもののグッと堪えて少年の目を覗き込んだ。明るい茶色の目にうっすらと嫌悪感が浮かんでいるのがわかる。

「あのな、特に毒性のあるものは見当たらねえんだから安心しろ」

「でもぉ……」

「でももクソもあるか。早く食え」

「えー……うーん……わかりましたよ……」

 少年は本当に渋々といった様子で備え付けの箸を一膳手に取り、そのまま食べるよりはマシと言わんばかりの表情でポケットの中から取り出したティッシュで口に当たる部分を拭った。


 少年が意を決して一口目を口内に運ぶと、そのあとは何も気にならないというように二口目、三口目と次々にカツ丼を咀嚼していった。事前に話していた通り、少年の食事のペースはかなりゆっくりめだった。一口で食べる量を制限して口の周りを汚さないようにしているためにペースが遅い。ファストフード店でこんな風にお上品に食事をする客は珍しい。

 食事速度の遅さに対する不安はどこへやら、少年はニコニコとカツ丼を楽しんでいる。

「丼物、久しぶりに食べました」

「お坊ちゃんの家では丼なんざ珍しいだろうな」

「なかなか出てこないですね」

「それでも鰻重とかは食べるんじゃねえの」

「俺、骨の多い魚苦手やからあんまり出てこないです」

 食の好き嫌いがあり、その好みを考慮した食生活が送れるというのは、それだけで環境が恵まれていることを察することができる。小生意気な物言いはするものの基本素直なこの少年はそれなりにのびのびと育てられているのだと考えられる。綿奈部は少年を羨ましく思った。

 とっくに食事を終えている綿奈部は頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。食事後の行動については無計画であったため、どう動こうか思考する。おもちゃでも買い与えて自宅に戻るのが一番安全か、それとも適当にレンタルスペースでも借りてそこへ移動するか。

「俺、映画観に行きたいんですけど」

「……映画?」

 少年の唐突な提案に驚いて綿奈部は外へ向けていた視線を素早く少年へ戻す。丼の中身は三分の一まで減っていた。

 ティッシュでわざわざ作ったであろう箸置きの上へ箸を安置し、綿奈部を見上げる。

「朝もチラッと言いましたけど、俺の顔はまだバレてへんとは思うんで、どうせなら出かけたいなあって」

「それで、映画?」

「映画館なら滅多に顔を覗かれないでしょう?」

「まあ……劇場内に入ってしまえば顔を見られる可能性は少ないだろうな」

「で、俺、みなみ劇場に行きたいんです」

「みなみ劇場? ……ガキのくせに渋い趣味してるなあ」

 この街には大手企業が経営するシネマコンプレックスがいくつもあり、映画を観に行くといえば大体の人間がそちらへ足を運ぶ。しかし、みなみ劇場は所謂ミニシアターであり、上映内容もマイナーなフランス映画だったり古い映画のリバイバル上映をしていたりと、余程の映画好きでなければ用事のない場所であった。

「何か観たい映画でもあるのか?」

「いえ……どうせこの街に来たんやったら、行っときたいなあって」

「……ませてるなあ」

 綿奈部は手元のデバイスを操作して、みなみ劇場の上映スケジュールを確認する。上映内容も同時に表示されるが、案の定というべきだろう、特に映画が趣味でもない綿奈部には一切わからない監督の作品であり、公開年は五十年以上も前のものだった。ポスターの俳優も誰なのかわからない。デバイスの画面をくるりと回転させると少年に見えるように腕を突き出す。

「今日のスケジュールだ。こんなのを観るのか?」

「それを観に行きましょう」

「お前、この作品がどんな内容かわかってんのか?」

「わからないですけど、こういうのは観てから感想を述べないと」

「ミニシアターの作品ってほとんど内容をわかってて観に行くような人間ばかりだろ、普通」

「『食ってから文句を言え』でしょ? 俺もそういう主義ですよ」

 そして少年は人を食ったような態度でカツ丼を再び食べ始める。本当に小憎たらしいガキだ。

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