3

 半分物置となっている一階の客間兼リビングへ少年を案内すると、ろくに手入れのされていないソファへ座るように勧める。それは少し埃が被っていたため、綿奈部は内心申し訳なさを覚えるが他に座れる場所もなく、渋々座るように言ったわけだが、少年は唇を左右に引き縛り表情を固くしていた。そしてソファに積もっていた埃をパパッと手で払ってから極浅く腰をかける。確かに客を招くような部屋ではないが、その態度はあんまりすぎないか。綿奈部は少しだけ傷つく。

 綿奈部は冷蔵庫に入っていた未開封の水のボトル二本を持ってくるとそのうちの一本を少年に渡す。少年はそれを受け取ると、不思議そうな表情でボトルを眺めていた。

「……毒は入ってないから飲んでいいぞ?」

「えっ、あ、はい……毒の心配は別にしてないです、ありがとうございます」

 綿奈部は自分のボトルの蓋を開けると中身を勢いよく飲む。最悪のモーニングコール、その直後に面倒事を押し付けられて喉の渇きを意識することすらできていなかったが、とてつもなく喉がカラカラだったことを水を飲むことでやっと気づくことができた。少年は綿奈部が水を飲んだのを見て何か納得したのか、ようやくボトルの蓋を捻って口をつける。細い首に主張の弱い喉仏が上下する。そんな些細なところからも大人になりかけの成長途中の少年であるということを綿奈部に突き付けてくる。同一人物レベルで千葉と似ていても、やはり目の前の存在は非力な少年にすぎない。

 綿奈部は床に散乱している物を足で押し退けると、ソファに座った少年と相対するように床に座り、壁へ背中を預けた。

「答えられないことは答えなくても構わないが、いくつか質問をさせてもらう」

「……あの人から事情は聞かないように言われてたじゃないですか」

「お前が答えるならその限りでもないだろ。それに回答は強制していない」

「……ま、それもそっか」

「じゃ、ひとつめ。お前は千葉の親戚か?」

「親戚……のような、そうじゃないような」

「なんだそれは……」

「なんとなくそんな感じと思っていてもらえれば」

 やはりはぐらかされたか。想定内であったが引き出せる情報は少なそうだ。

 綿奈部は腕を組み、「うーん」と唸る。

「ふたつめ。お前を狙う奴らは一体なんだ?」

「俺も具体的には知らないんです。俺の知っている情報が欲しいとかなんとか、あの人が言うてたような気がします」

「情報?」

「その情報が、俺の知っているどの物事に当てはまるのか、俺自身もわからへんのですよ」

 少年はにっこりと朗らかに笑っている。綿奈部はその顔を見て「嘘だ」と思ったが追求はしない。敵の知りたい情報が何なのか理解しているが、それを伝えることで少年と綿奈部両者が危険に晒される可能性がある、ということだろう。

「でも、俺のことを相手は知らないと思います」

「……お前の知り得る情報が欲しいのに、お前の存在を知らない、だと?」

「俺の存在を知らないというよりも、俺の姿形がどんなものか把握できていない、が正確な表現ですねえ。でも俺とあの人はそっくりなので、知っている人間が見ればすぐにわかってまうかもしれませんけど」

「なるほど?」

「多少出歩く分には大丈夫って話です」

「ほーん……」

 なるほど、と言ったものの、綿奈部にもたらされた情報は綿奈部の推測をさらに混迷させただけだった。決定的な情報が欠けているが、何が欠けているのか判断するための十分な情報もない。考えれば考えるほどダメなやつだ。そもそも、この少年の素性を特定するような情報はわざと与えられていないわけだから綿奈部の混乱も道理である。

 綿奈部はキッチンへ繋がる引き戸の上に吊り下げられた壁掛け時計を見上げた。千葉を見送り、この少年と会話をしている間にとうに昼食時を過ぎている。

『この子にご飯食べさせて、安全さえ確保してくれたらそれでええから』

 千葉の発言が蘇り、少年の顔を見る。いかにも食べ盛りの年頃の男の子だ。流石にメシを食べないというわけにはいかないだろう。

 ――風呂にくらい入りたかったが、護衛対象から目を離すわけにもいかんしなあ……。

「お前、何か食いたいものは?」

「……なんでもいいんですか?」

「アイツからバカみたいな金額貰ったからな。超高級料理でもなければなんでもいいぞ」

「え、えっと」

 今まで人を食ったような笑顔ばかり作っていた少年の顔に年相応の浮かれた表情が浮かぶ。可愛いところもあるもんだと綿奈部も思わず顔を綻ばせた。

「じゃあ、トンカツが食べたいです」


 千葉に散々叩かれたシャッターの鍵を解除し、頭上のケースの中へ巻き取らせていく。ケースがガラガラと大きな音を立て、外の景色が目の前に現れた。ガレージの中へ痛いほどに眩しい陽光が差し込む。

「綿奈部さんはタクシー運転手なんですか?」

 屋内へ通じる出入り口から少年が顔を覗かせていた。眩しそうに目を細めている。夏も終わって秋に差し掛かっているというのに、鬱陶しい日差しだった。

 ガレージ内に立ち上る埃が光を反射する。その砂埃の中に黒色に輝く車が一台あった。ナンバーは緑色で、車のルーフにはタクシー営業のための電飾がついている。

「まあ、表稼業はそうだな」

「どっちの方が稼げるんですか?」

「少年、そういうことはズケズケと聞くもんじゃない。裏稼業の方が稼げるに決まってんだろ」

「悪い大人やあ。じゃあ本業は裏稼業ってことですか?」

「お前なあ、自分のことは語らずに俺にばかり話させるのか?」

「それは、ごめんなさい」

「……謝ることじゃねえよ」

 冗談を言い交わす度胸があるかと思いきや、少年はやはり少年で、千葉ほど図太いところはない。綿奈部の言葉を素直に受け止めてしまう性質があるようだった。少し意地悪な言い方になったことを反省しながら、綿奈部は左手につけたデバイスに指示をして車のエンジンを起動する。

 ふとガレージ内の棚へ目を向けると大きなツバのついた麦わら帽子があることに気づいた。カブトムシを獲りにいこうと千葉が突然言い出した時の置き土産であった。結局カブトムシを獲りにいくことが目的ではなく、まったく別の用件であったわけだが。

 綿奈部はその麦わら帽子を手に取ると出入り口に歩み寄って、少年の頭に被せた。

「えっ、なんですか、これ」

「千葉のものだ。これを被っていれば多少は人の目を誤魔化せるだろう」

「変装?」

「そんなところだな」

「うっ……埃っぽい」

「悪かったな、ろくに掃除してなくて」

「でも、ありがとうございます」

 麦わら帽子の下から覗く大きく明るい目が嬉しそうに笑っていた。随分愛嬌のある子供だと思った。綿奈部はむず痒い思いがして少年の目から視線を逸らす。

「とりあえず、車に乗れ。メシ食いに行くぞ」

「どこのお店へ?」

「ささっとトンカツが食える店」

「……そんなお店があるんですか?」

 愛らしい表情をしていた少年の目が疑わしげなものに変化する。大きめの麦わら帽子とろくに鍛えてもいない体のおかげで、世間知らずの坊ちゃんという風体だ。

「とにかく乗れ。俺も腹が減った」

「美味しいんですか、そこぉ?」

「食ってから文句を言え」

 つべこべうるさい少年を後部座席に押し込み、綿奈部は運転席へ座った。あらかじめエンジンをかけていたおかげで車内は冷やされて快適である。シフトレバーを操作しアクセルを踏めば、車はスムーズに走り出した。

「じゃ、運転手さん。美味しいトンカツが食べられるお店まで」

「……本当に金を取るぞ、千葉少年よ」

 バックミラーに映り込む少年はパワーウィンドウのヘリに頬杖をつきながら外の景色を眺めていた。明るい茶色の目が陽光を受けてキラキラと輝いている。

 千葉の少年時代の姿はこんな感じだったのかもしれない。そう思うとこの光景が微笑ましいものに感じた。

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