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「冷静に考えて、俺にこんなでかい子供おるわけないやん。何歳やと思ってんねん」

「んあ? 四十歳とか」

「アホか。俺とお前、同い年やろ」

「で、なんなんだ、この子は」

 その少年は微笑みを湛えたまま千葉の影でふたりを見上げていた。大人ふたりの会話に特に口を挟まずに静かにしているが、緊張なのか人見知りなのか、そわそわと手を揉んだり髪を弄ったりしている。一方、千葉も満面の笑みとは言い難い微妙な微笑みを浮かべて後頭部を掻いている。

「いやあ……この子の事情は聞かんといてほしいねんな」

「訳ありなのか」

「訳ありといえば訳ありやな。とにかく今日一日預かってほしいねん」

「はあ?」

「急にほんますまん。やけどツナにしか頼めんことやねん」

「どうして俺にしか頼めないことなんだ。バーの親父にでも頼めばいいだろ」

「無理!」

「せめて無理な理由を説明しろや」

「それを説明するのも難しくて……ほんまにごめん」

 綿奈部は千葉との付き合いが長い。今までの付き合いの中で千葉がここまで説明を拒むことは珍しかった。説明をしたくないような事情があれば、そもそも綿奈部の元に問題を持ち込むようなこともしない男なのだ。自分ですべてを抱え込むか、可能な範囲ですべての情報を開示するか。千葉という男はこの道において中途半端さが命取りになることを知っている。だからこそ、このような宙ぶらりんの状態で問題を持ち込んでくるほど、今起きていることが如何に重大事であるかということが伝わってくるようだった。

 タバコの灰を落としながら、綿奈部は再び溜息をつく。吐き出した煙が晴れ晴れとした青空に吸い込まれていった。

「報酬と依頼主の情報は?」

「んー……依頼主の情報開示も難しいかな。報酬は……せやな」

 千葉が左手首に装着していたデバイスを操作したのち、画面を綿奈部の方へ向けた。その画面を見た綿奈部は目を細めて顔を引き攣らせる。そして画面と千葉の顔を交互に何度も見た。

「……普段の報酬の五倍?」

「もう振り込み済みや。ここまでの報酬を前払いなんやから、ツナも断れんやろ?」

「どうしてお前が振り込むんだ。しかも前金じゃなくて報酬だと?」

「俺は後から正式な依頼主から報酬を頂くわけやし、ツナがしくじりさえせんかったら大丈夫やろ? 今振り込んだのも依頼主から提示された成功報酬や」

 これほどまでの報酬は今までの依頼の中でも数えるほどしかなく、そのどれもが命の危機を伴うものだった。千葉の頼みであれば引き受けても良いと思いつつあった綿奈部の脳裏に今まで経験してきた危険な現場の状況がよぎっていく。このガキのお守りにもそのくらいの危機的状況が発生するかもしれないと思うと安請け合いはできない。振り込まれた金は返送すれば良いだけの話だ。

「……俺が失敗したらどうするつもりだ」 

 綿奈部は空を仰ぎながら煙をふうっとゆっくり吐き出す。清々しい天気の下に持ち込まれた如何にもキナ臭い話をどのように断ろうか考える。肺に吸い込んだ空気をすべて吐ききり、千葉の顔を見た。

 うっすら浮かんだ人好きのする微笑み。しかし、その明るい茶の瞳に鋭い刃のような輝きが宿ったのを綿奈部は見逃さなかった。

 千葉はニヤリと顔を歪めて一層笑みを深くすると、首を傾けて斜め上から綿奈部を見下ろした。

「俺はお前がしくじる前提なんかで頼みにきてへん」

 様になっている悪党の笑顔。

 綿奈部が依頼を受け入れると信じて疑わない態度であった。

 綿奈部自身、こうなってしまえば千葉の頼みを断れないことは百も承知であった。タバコを足元へぽとりと落とすと火種を踏み躙る。右手で首の後ろをがさつに撫で、明るい茶色の目を見据えた。

「千葉、お前……ほんっと図々しい男だな」

「そら大層な褒め言葉やな」

「失敗しても文句言うなよ。金は返さんぞ」

「何度も言わせんな。お前は失敗せえへん。何にせよ、この子にご飯食べさせて、安全さえ確保してくれたらそれでええから。俺の用事が上手いこと済んだら迎えにくるし」

「お前の用事はいつ済むんだ」

「具体的には言えへんけど、今日中にケリが着けばとは思っとる」

 ――これだけの大金が発生する依頼であるのに実働は半日?

 ますます怪しい千葉の発言であったが、綿奈部はこれ以上追求する気も起こらなかった。何を聞いても『言えない』の一点張りであることは予想がついていた。

 綿奈部が思考を巡らせていたところへ大音量のアラームが鳴る。発生源は千葉のデバイスであった。デバイスの画面を見た瞬間、千葉は血相を変え、綿奈部と少年に背を向けて走り出す。

「そういうわけで頼んだ、ツナ!」

「あっ、おい! いきなりなんなんだ!」

「君、いい子にしてるんやで!」

「あっ、はい……」

 突然呼びかけられた少年は変声期特有の不安定な声でオドオドと返事をするが、戸惑いを隠せないまま綿奈部の顔を遠慮がちに見上げた。綿奈部はあっという間に遠ざかっていく背中を呆然と見送ることしかできない。

 不安げな大きな幼い瞳に見つめられる。その目は助けを求めるものであったが綿奈部は居心地の悪さを覚える。俺だってどうしたら良いのかわからねえよ。しかし子供相手に不機嫌さを出すのも大人げがないため、静かに深呼吸をして心中を落ち着けようと試みた。

「お前、名前は?」

 綿奈部の問いかけに少年は驚いたような顔をする。何を驚くことがあるのか、と綿奈部は心の中でツッコミを入れるが、黙ったまま少年の答えを待った。

 少年は千葉とそっくりの顔でこれまたそっくりな微妙な笑顔を浮かべると頭を掻きながら口を開く。

「あー……俺、知らん人に名前教えたらあかんって言われてるんで」

 想定外の返答に綿奈部は早くも自分の心が折れかけているのを感じ取っていた。加えて、この素っ頓狂な返事も聞き覚えのある口調で綿奈部をますます混乱させた。間延びした関西弁を話す人間など、この地域には僅かしかいない。見た目だけでなく話し方も同じとは一体どういうことなのか。違いといえば千葉よりも背が低くて、いくらか痩せ細っている部分と、顔に浮かんでいる隈が千葉よりも随分薄いという部分くらいのものだ。

「知らん人って……もう知らない仲でもないと思うが」

「うーん、でも自己紹介してもらってないし……」

 どこか小憎たらしい返答に苛立ちを覚えないこともないが、千葉とそっくりなガキであることを考えると納得のいくところも多く、綿奈部は半ば諦めに似た感情を抱いた。

「いつもそんな調子なのか、お前。本当にあいつそっくりだな……俺は綿奈部綱吉。千葉の仕事仲間……といえばいいのか。まあ友人みたいなもんだ」

「ふーん……あの人にも友達とかいるんですね」

「で、お前の名前は」

「……俺の名前、そんなに知りたいんです?」

「いやまあ、不便だろ」

「ほな、千葉で。そう呼んでいただいて結構ですよ」

 ――挫折してしまいそうだ。誰か早くこのガキから俺を解放してくれ。

 千葉の親戚か何かという予想は立っていたが、あまりにも食えないガキすぎる。

 綿奈部は少年を面倒臭いと思う一方で、冷静に状況を分析する。少年が綿奈部を揶揄っているというよりも、警護を依頼する相手に対しても名前すら教えることができない状態にあると捉えることもできるのだ。

「……いくつか質問したいところだが、とりあえず家に入ろう」

「じゃ、お邪魔します」

 綿奈部が玄関の戸を開くと少年は軽く頭を下げて中へ入っていった。

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