狭間を覗く
AZUMA Tomo
1
遠くから何か音が聞こえてくる。眠りの底にあった綿奈部綱吉の意識はその音によって急速に覚醒させられることとなった。
枕元に置いていたナノマシンデバイスからけたたましく鳴る呼び出し音。最近は仕事が立て込んでいたため疲れがピークに達していたのか、綿奈部は昨晩意識を失くすように眠りについた。そして今日久しぶりに訪れた休日を満喫しようと思っていた。誰にも邪魔をされない優雅で完璧な一日を過ごしたい。そのためにデバイスの画面も確認せず無視を決め込む。眉間に深すぎる皺を刻み込み、勢いよく頭の先まで布団を被せた。多少音は小さくなるものの、デバイスは相変わらず綿奈部を呼び続けている。
呼び出し音が止んだかと思えば、諦めずに二度目の着信。どんなに緊急の連絡なんだ。綿奈部は顰めっ面のままそっと布団を押し上げて、頭上のデバイス画面をチラリと確認した。デバイスの眩しさにさらに目を細める。
デバイス上に浮き上がっている名前は『千葉恵吾』だ。綿奈部にとってはかなり親しい友人だが同時に仕事仲間でもあり、千葉の職業柄危ない橋を渡らされることもしばしばあった。
しかし、今日は千葉も休みの予定だったはず。
『最近忙しかったし、お互いやっと休めるなあ』
この地域には珍しい関西弁の間延びした口調で話す千葉の姿が脳内で蘇る。千葉はぱっちりと大きな目が特徴の男だったが慢性的な隈の持ち主で、昨日は特に真っ黒な隈を目の下に作っていた。今日は綿奈部と千葉、どちらにとっても体を休めるための貴重な一日に変わりなかった。当然、綿奈部は千葉も同じように自宅で休んでいるものだと信じて疑わなかった。
仮に、千葉の気が変わって活動をしているとしても、千葉自身はかなりの夜型人間であったため、昼前のこのタイミングで連絡してくることは珍しいことだった。
――まさか昼間から飲みに行こうとかそんなこと言うんじゃないだろうな。
なんとなく嫌な予感がした綿奈部は、それでも無視を決め込むため、デバイスの通信を遮断した。
呼び出し音が止み、シンと静まり返った寝室で綿奈部はやっと二度寝ができると安心し、布団の中で大きく伸びをする。全身に込めた力を一気に抜き、リラックス。そして掛け布団を抱き込むと、再び眠りへ落ちようとした。
しかし、物事というのは綿奈部の思う通りには動かない。
ドンドンと物を叩く音とガシャガシャと金属の擦れる音が階下から響き渡り、綿奈部は飛び上がるようにして身を起こした。シャッターが何者かによって叩かれていることを察知する。その音は今にもシャッターを突き破ろうとせんばかりの勢いだ。
嫌な予感を遠ざけようとして通信を遮断したのにそれよりも面倒なことになりそうだ。物が壊れる前に早く対応をしなければならない。
綿奈部は寝起きであまり出ない声を振り絞って階下に呼びかけた。
「叩くのをやめろ! シャッターを壊す気か!」
相手は聞こえていないのか、なおもシャッターを叩く音は止まない。綿奈部は滑り落ちていくように玄関へ直結している階段を駆け降りていく。そして玄関の戸を力一杯押し開けた。
「早く出てこんかい、ワレェ〜」
ふざけた関西弁でシャッターの中へ呼びかける男がひとり。玄関の戸が開いたことに気づいたのか、シャッターを叩いていた握り拳がぴたりと止まった。そしてその手をゆっくり広げ、綿奈部に向かってひらひらと振る。
「おはよう」
特徴的なくるくると捻れた黒髪に、大きな目。朗らかに朝の挨拶を述べて人当たりの良さそうな笑みを浮かべているが、往来を気にせずにシャッターを叩き続けていたのはまさにこの男――千葉恵吾であった。綿奈部は千葉の行動にギョッとしていたが、本当に驚いたのは千葉の表情だ。笑顔を絶やさないものの、昨日見た時よりもさらに隈が酷くなっている。
「おはようじゃないだろう。お前、シャッターを壊す気か?」
「壊す気あったらとうの昔に壊れとるって。大体、ツナが通話を繋げへんかったんが悪いんやで?」
「久々の休みだって話したところだっただろ……休みの日にくらい休ませろ」
「いや、それはほんまごめん。やけど、ツナにしか頼めんことがあって……」
綿奈部に振っていた手を顔の目の前に持っていき、謝罪のポーズをとる。千葉はその段階でやっと笑顔を崩し、気まずそうな表情を作った。
「休みの日に申し訳ないねんけど、どうしても外せん用事があって……俺の仕事、代わりに引き受けてくれへん?」
異様に下手から頼みごとをしてくる千葉の姿に、綿奈部は自分の体が全身で警告を発しているのを感じていた。とてつもなく嫌な予感がする。そもそも用件を言わずに仕事を引き受けてくれと言われることほど怪しいものはない。
しかし、綿奈部は友人の頼みは断れない気質をしていた上、人懐っこい表情を浮かべる千葉の押しに弱い。
はあ……と大袈裟な溜息をつき、千葉へ歩み寄る。綿奈部は昨晩からポケットに入れっぱなしになっていたタバコを取り出した。
「……内容次第だ」
唇に挟んだタバコに火をつけながら千葉を睨みつける。綿奈部の切れ長の目がさらに鋭さを増していたが、そんなことはお構いなしで千葉は笑顔を取り戻していた。
「わあい、さすがツナ。頼れる男!」
「内容次第だって言ってんだろ」
「ほな早速なんやけど……おーい、こっち来い」
斜向かいの住宅の角に千葉が呼びかける。
確かそこには細い道があったはずだ。一体誰がそんなところにいるのか。千葉はどうしてそんなところへ人を控えさせていたのか。疑問だらけの眼差しを路地へ投げ続けていると、綿奈部よりも幾分小さな影が飛び出してきた。
特徴的なくるくると捻れた黒髪に、はっきりとした二重のある大きな瞳。十二・三歳くらいの優しげな顔つきの少年がふたりのもとへ小走りに近づいてきた。
初めて会うはずなのにあまりに見知った顔をした少年に綿奈部は目を剥いた。
「は……? 千葉、お前……いつの間にこんなに大きな子供が……?」
「ちゃうちゃう! 俺の子供やないって!」
その少年は千葉の生き写しと言っても差し支えないほどそっくりの容姿をしていたのだ。
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