第17話 ルーエの葛藤

「美味しいわね、これ。」

「ええ。」

幾つかの小鉢とメイン料理が運ばれて来た。案外、自分で頼むより良さそうな料理が幾つも並び、2人して箸をつついている。

料理の前に運ばれて来た食前酒も酒好きなルーエにとってはなかなかに良いものであった。

「この食前酒も美味しい…ね、もうちょっと飲んでもいいかな?」

ルーエは完全に気を許している目の前の男に尋ねる。

「もちろん良いですよ。でも明日の仕事に差し支えてはダメですよ?」

まただ。そういうところだぞ、とルーエはアリールの瞳を見つめながら思う。

居心地の良い男と美味しい酒・料理。この上ない幸せを感じているルーエ。

(もし、今日、迫られでもしたら…)

ルーエは夢想する。

何回考えても同じ行動をするだろうと思っている。自分の欲望に素直になってしまうだろうな、と。

新たな酒が運ばれ、それを料理と共に味わう。この料理店の料理人は相当に腕が良い。料理が無くなった時にはルーエは4杯も酒を嗜んでいた。

(…紅いかな?)

自分の顔色を気にする。目の前の男は優しい瞳でこちらを包んでいるように見えた。

「…ちょっと、お手洗いに…」

「はい。」

4杯は少し飲み過ぎたのだろう。少しだけ足元がふらつくが歩くのに支障のあるレベルでは無い。普段ならば酒好きでも外でこんなに飲んだりはしない。色んな種類の酒があるせいか後半2杯の酒は思ったよりも強かった。

手洗い場の鏡の前に立つ。

(…紅い)

酒のせいだけでは無いだろう。アリールとの楽しい一時が自分をこういう顔にさせているのが自覚出来る。

(…私から迫ったりとか…)

はしたない考えが浮かぶ。自分の欲望に素直になれば、当然褥を共にして女としての喜びに達したいに決まっている。

(…でも、そんな…)

自分の薄暗い過去と教育者としての顔。それから、年齢。

立ちはだかる障壁は優しいものではない。確かに抱かれたくはあるが、自分で良いのか?と自問自答する部分もある。

(…落ち着かない…)

当たり前である。落ち着くために手洗いに立ったのに、こんな自問自答を繰り広げてしまえば。どうだって結論なんか出ない。ただ言えることは私から拒むことは絶対に無いということだけ。


ルーエが手洗いから戻ったとき、テーブルの上はすっかり綺麗になり、ワイングラスが2つ並んでいるだけだった。

「ごめん、お待たせ。」

「いえ。大丈夫ですか?」

「大丈夫。ごめんね、心配かけちゃった?」

「ほんの少しだけ…」

アリールが優しくこちらを見る。

また、少しルーエに身体に火が着いたように感じた。

「これ、このお酒は?」

「店主からのサービスだそうです。新婚さんのようなお2人にって。」

ルーエが席を立った後すぐ店員が、店主から新婚さんにサービスです、とこの酒を持って来たらしい。アリールが新婚では無いのですが…と断ったものの、店主からでは、カップルさんにサービスだ、ということで店員が置いていった2つのワイングラス。

「じゃ、有難く頂きましょうか。」

「そうですね。折角ですし。」

「かんぱーい。」

「はい。乾杯。」

2人はワイングラスを軽くぶつけて乾杯をする。甘く口当たりの良いカクテル。5杯目にしては軽く飲んでしまえそうなそのカクテルは『甘い一時』という名前なんだそうだ。

「思いの外、強いですね。このお酒。」

アリールが半分ほど空けてからまたあの表情をする。

絶対自分を殺しに来てるでしょ、というあの笑顔。

「…大丈夫。これくらいだったらまだ飲めそうよ?」

ルーエはアリールを安心させるように返事をする。正直に言えば、少しだけ酔っぱらっているかも知れないが。

「大丈夫ですか?明日は仕事ですよ?」

そう言いながらもアリールは微笑を浮かべる。しかし、この男は少しは酔っぱらって気が大きくなったりしないのだろうか?

「…うん。大丈夫。」

「良かったです。」

「そろそろ出る?」

「そうですね。余り遅くなっても明日に響いてしまいますし。」

時計は21時を少し回ったくらい。まだまだ夜半という訳では無いから、この後この男がどこに自分を連れて行くとしても拒絶したりはしない。

「…あ、給仕さん~会計を。」

「会計は済ませてしまいました。済みません。さっきルーエさんがお手洗いに立ったときに。」

良い男だ。後は私の気持ちを汲んでくれれば完璧かも知れない。

ルーエは『甘い一時』を十分に味わって、席を立った。

アリールがルーエを支えるように横に立ち、その男の腕を掴んで自分の腕を回す。

店を出る2人。

「…まだ夜までは時間あるよね…」

暗い夜道を、ルーエは少しだけ期待しながらアリールに訴える。女の情念の部分が顔をもたげていた。






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