最終話

 帰ると、妻は洗い物をしていた。

 その背中には丁度一本の線のような夕日の光が乗っていた。それ故に、光以外の部分の闇が深いようにも感じられた。妻の二の腕と肘が動いているのが、僅かに分かる。水が跳ねる音、スポンジが食器をこする音。

 部屋の中は少し暖かい。

 香りはない。

「ただいま」

「おかえり」

 妻はこちらを見なかった。

 いつものことだ。

「今日、仕事が良い所までいったんだ」

「へぇ、良かったじゃない」

「でも、それはそこまで重要じゃないんだ」

 妻が鼻で笑った。

「じゃあ、何よ」

「後輩が離婚したんだ。それで、理系と文系は、相性が悪いみたいな話になってね。僕は理系だろ」

「あたしは、文系ね」

「そう、そうなんだよね。それで、少し考えたんだ。分かり合うのって難しいなぁって」

「へぇ。それで」

「だから、AIが小説を書くって凄いなぁって思ったんだよ」

 妻が水を止めて、少しだけ顔を上げた。何か考えているように見えた。

「どういうこと」

「AIってさ、理系な感じが強いでしょ。逆に、小説って文系だよね。本来、同じ歩幅で歩くのは難しいはずなのに、その二つは理系的なアプローチで文系的な活動をするために歩幅を合わせているんだよ。だからさ、違う立場でも、同じところにいられると思ったんだよね」

 妻がタオルで手を拭きながら振り向いた。

 光が妻の胸の上を斜めに通っていく。

「ロマンチックね」

「そうだよね。AIが小説を書くってロマンチックなんだよ」

「違う」

「え」

「あなたの言ってることが、ロマンチック」

 夕日は妻の顔の上を通過しない。そのため、私には、妻の表情がよく見えない。

 けれど、私は自分がどんな表情をしているか分かっていた。そして、妻がそんな私の表情をじっと見つめていることにも気が付いていた。

「あなたがそんなことを言うなんて思わなかった」

「確かに、僕らしくない文系的な発言だったね」

「それは文系的でも理系的でもない」

 妻が僕の近くへと寄って来て微笑んだ。

「文学的って言うの」

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理系文学 エリー.ファー @eri-far-

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