レイクロラナン(2)
その姿は駆けてくる子犬を連想させる。慎重さなど微塵も感じさせず、速度を緩めず体当たりを仕掛けてくるかのごとく。瞳は目標のみを捉えて離さず、興奮の色だけを帯びている。
「怖いわ!」
ただし、相手が年頃の娘であればリリエルも恐怖感を覚えた。
「なんでー!?」
「わきまえなさいと言ってるでしょ?」
「言われたとおり『お姉様』はやめたじゃないですか」
身を躱されるも、どうにか反転して抱きつこうとする頭を押さえる。
「あたしはあんたのなに?」
「最愛の人です」
「違う! ボスでしょ、ゼル?」
彼女はゼレイ・ディンギル、ひとつ下の十八歳、パイロットである。合流したのは比較的新しく二年前。将来有望と目され、十六の若さで彼女の下に配された。
掴んでるのは赤茶の髪の頭。緩くウェーブしながら背中に掛かるあたりの襟足はオレンジに染めている。以前に全部オレンジに染めようとしたのだが、両親に禁止されたという曰く付き。
というのもゼレイがリリエルに憧れての結果。彼女のことは幼い頃から知っている。レイクロラナンを預かるまでは同年代を仕切っていたリリエルの傍らにずっといた。
(どこに行くのもくっついてきてたのよね)
そんな彼女がブラッドバウの本拠地、機動要塞バンデンブルグを離れると知って黙っているはずがない。目が溶けるんじゃないかというくらい泣いてしがみついて放れなかった。
引き剥がされるように残ったゼレイだが驚異的な執念で義務教育を終了。晴れてレイクロラナンに配属されてきている。いくら期待されても義務教育を終えるまでは
「エル様ぁ」
「頬ずりすんな!」
名前はいささか勇ましいがゼレイも同じ女の子。抱きつかれて困ることはないが、どうにも下心見え見えなのには閉口する。彼女の好きはそういう好きなのだった。
まさに子犬のような丸い目はリリエルだけを捉え、青い瞳が放さない。仕草にいやらしさはないのだが、常に全力で貼りついてくる。
(変に名前に気後れしないで遠慮がないのは悪くないんだけど)
バレルの家名を持つ剣王孫となれば多少は遠慮するもの。だが、ゼレイにそれは全く感じない。全身で好きだけを伝えてくる。そういう存在は稀有なため、彼女も突きはなすのを躊躇っていた。
「大丈夫なの、ゼル?」
愛称で呼びながら問う。
「うちがエル様の傍にいるのに誰の許可も要りません」
「そうだけど」
「わたしは良いとは言ってないわね、ゼレイ?」
幼馴染は「うぎ」とうめく。
「ゔぃ、ヴィエンタ隊長?」
「整備確認と機体チェック、済まさないかぎり
「薄っすらと記憶が。でも、霞んだみたいに思いだせません」
後ろの襟首を掴まれたゼレイは引き剥がされる。幼児のように「ぴええ」と泣いて同情を誘った。
「ヴィー、監督よろしくね」
「はい」
粛々と応じる。
「そんなぁー!」
「やるべきことはきっちりやんなさい。それはクルー全員に課してるでしょ?」
「はい……」
シュンとしている。
「そのあとでなら遊んであげるから」
「聞きましたからね? 忘れませんよ」
「わたしの指示も忘れないでくれないかしら?」
亜麻色の髪の隊長ににらまれている。
彼女はヴィエンタ・ゾイグ。リリエル直下で働く隊長の一人だ。ゴート宙区を離れるときからずっと付き従ってくれている。信頼も篤い。
実力も申し分なく、もう一人の隊長プライガー・ワントとともに双璧を成していた。このレイクロラナンを支えている屋台骨といって差し支えない。
「ぐうたらな居候はなにも言われないのに」
「なぁに?」
余計なひと言をもらす娘は威圧感を増した彼女に「ひ!」と怯える。
「ジュネがどうかした?」
「なんであいつだけ好き勝手なんですか?」
「彼が特別だからよ。別格なのは何度も思い知ってるでしょ?」
挑んでは敗れている。
「特別な感情を抱いてるって」
「余計なもん足すな!」
「ぶー!」
余計ではないのだが。
レイクロラナン内でも彼ジュネ・クレギノーツは異彩を放っている。どちらかといえば体育会系の気風のブラッドバウに囲まれて浮いているといってもいい。
「機体チェックしろって言わないじゃないですか」
「彼はいつもちゃんとしてるの」
専用機『トリオントライ』は専用基台に収まって管理されている。ゼムナの遺志『マチュア』に制御されている自動基台に
逆にいえば触れられない。あまりにも特殊機体であるために滅多なことができないのだ。アームドスキンに関してはエキスパートと呼べる彼らでさえ理解不能なシステムが組み込まれている。
「あたしの『ゼキュラン』だって似たようなとこあるでしょ?」
リリエルの専用機のこと。
「一部はエルシしか触れないところがあるのよ。トリオントライは全部そんな感じ」
「女史もそうおっしゃってたでしょう?」
「まあ、そうですけど」
ヴィエンタにも言い聞かされているが納得はしていない様子。
ブラッドバウの組織全体を御しているゼムナの遺志『エルシ』は、昔からの倣いで通称女史と呼ばれている。美女の生体端末で行動する彼女は絶対的な空気をまとって近寄りがたい存在。ゼレイでさえ敬意を払っている。
(似てる雰囲気なのに、なんでジュネには食ってかかるのよ)
理由は明白。リリエルと青年が親密なのが気に入らないだけ。その一語に尽きる。
「わかったら働く!」
「はい!」
幼馴染の娘は引きずられていく。もはやお馴染みの光景に
「わざとやってるんでやんすかね?」
程よいレクリエーションになっている。
「そんなわけないでしょ。あれは野生よ」
「そうでやんすよね」
「もうちょっと自覚を持ってくれれば将来の腹心候補筆頭なのに」
なかなか期待は寄せづらい。
「あの年で『デュミエル』を任されている意味を感じてほしいものね」
「高性能な玩具を渡されてるって感じでやんすね」
「困ったもの」
七年前のエイドラ内戦当時は隊長機扱いだった『ルシエル』は今では量産機になっている。『パシュラン』と並んでブラッドバウの二大主力製品でもある。
パワータイプのパイロットが好んで使うのがパシュラン。スピードタイプのパイロットはルシエルを選ぶというのが今の形。なので混在している。
代わって隊長機として実戦配備されたのが『デュミエル』。スピード型の発展機として開発されたものだがパワーも強化されてバランスの良いアームドスキンに仕上がっていた。
それを隊長でもないゼレイが乗っている。実は彼女は極めて優秀なパイロットなのだ。リリエルのような異能はない。ただ、野生の本能と勘、それに驚異的な運動能力を加味してエース級のパイロットに育っていた。
「ちゃんと機体特性を理解して動かせるようになったら完璧なのに」
そう思って仕込もうとしている。
「あのタイプは難しいでやんす。変に強引に使おうとしたら持ち味を殺してしまうでやんすよ」
「タッターがそう言うから甘めにしてるんだけど、それを誤解している節があるのよね」
「お嬢が子分に甘いのは本当でやんすから」
チクリと来た。
「わかってる。組織の長とすれば、もっとクレバーに接しないといけないのにね」
「違うでやんす。バレルの家は情熱で組織を引っ張るタイプ。あまり上手にやろうとしたら失敗するでやんすよ」
「肝に銘じる」
タッターは見事にお目付け役をしてくれている。こうして彼女も育てようとしているのだ。感謝の念に絶えない。
(きれいに噛み合って動いているのは彼のお陰。大事にしないと)
リリエルは祖父のプレゼントに絶大な信頼を置いていた。
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