戦いは曇り空の下(2)
(そんなに私たちが邪魔ですか、ヘンリー?)
ナイチネは過去の面影に悲しみを抱く。
いよいよ身体を張ってでも娘を逃さねばならないかと思った。一度は愛した男だが、彼にとって娘の存在はスキャンダル以外のなにものでもないらしい。排除するつもりだと感じた。
しかし、いざというときにジュネが現れてくれた。口調からして守ってもらえているようだ。やっと安心する。
「ここの一家に縁のある者です。どうにも引っ掛かりのある会話が聞こえてしまったものでね」
「関係ないだろう?」
いつもどおりの堂々とした声音が響く。とても彼女と同じハンデを背負っているとは思えない。多少なりとも迷惑を掛けてしまうがゆえに腰が引けてしまうもの。機器のお陰で普通どおりの生活ができるとはいえ、青年にはそれが全くない。
「いいえ。色々と助言もさせてもらってますよ。例えば、都警の警官が強権を用いようとすれば管理局に通報するといい、とかね」
ジュネは一歩も引かない。
「む、誰が強権を振るおうとしているか。本官は道理の通じない住人を説得しに来ただけだ」
「そうですか。で、説得はまだ?」
「一応話はした。納得はしてくれないようだがね」
警官のほうが少々及び腰になっている。
「納得できるもんですか。無茶苦茶なんだもの」
「だね。本来なら管轄の職員がしっかりと説明に来なければならないところ。警官を差し向けてくるなど恫喝に近い。これを訴えでれば管理局はどう思うかな?」
「……よく考えておきたまえ。管理局がどう言おうが内政干渉でしかないのだよ」
いくらでも突っぱねられると匂わせる。捨て台詞を吐いて警官は足音高く去っていった。
(今回はどうにか助かったみたいだわ)
抵抗すれば彼女は逮捕されるだろう。コリューシャは逃げられても悔いてしまうのは間違いない。
(ちゃんとお話しないといけないかしら?)
ヘンリーと話す機会を作らないといけない。彼ら母娘に認知や援助を求めるつもりはないと。
「ありがとう、ジュネ!」
「なんてことないよ」
娘を安心させてくれている。
「困ったらいつでも連絡しておいで。ぼくは大丈夫だからさ」
「うん、ごめんね」
「ほんとに頼りになる人だわ」
(いいご縁があったわね、コリューシャ。この人にお任せできれば私一人ならどうにでもなりそうなものを)
そんな考えを持つにいたる。
「今日は店休日だよね?」
「そうよ」
変な噂が立たないよう狙いすましたように警官がやってきたが。
「実はこの前の埋め合わせをしようとデートのお誘いに来たんだけど」
「ひゃ! ほんと?」
「女の子を泣かせただけなのはどうにも自分を許せなくてね」
呼吸の感じから娘は興奮している様子。
「でも……」
「行っておいで。私は休んでいるから。少し疲れてるの」
「そう? じゃ、そうする!」
コリューシャは慌てて自室に駆け込んでいく。身支度をするつもりなのだ。
「ジュネ君」
残った青年に話しかける。
「娘のこと、お願いしてもいいかしら?」
「もちろんお任せください。今日は泣かせたりしないつもりですよ」
「ずっとそう願いたいのですけれど」
意味を含ませる。
「残念ながら、それはぼく一人ではできないことなのですよ。誤解なさってはいけません、ナイチネさん?」
「君はなにを知って……」
「お待たせ、ジュネ! あ、お母さん、なに?」
言外に無理をしないよう戒められた。コリューシャを悲しませるなと言われたように思う。
(あきらめてはいけないというの? でも、彼はウェンデホの将来を担う家系の人。足を引っ張ってはいけないわ)
彼女が沈黙を守ればすべて丸く収まるのだ。
「なんでもないわ。楽しんでいらっしゃい」
「うん」
返事の裏で「ポイント転送」とささやく青年の声。
「なにを見てるの、ジュネ?」
「なんでもないさ。今日もかわいいよ、リーシャ。行こうか?」
「はーい。じゃ、お母さん、行ってきます!」
「ではお預かりしますね」
コリューシャと彼の足音が遠ざかっていく。ナイチネは安堵した。しばらくすると予想どおり、別の足音が複数近づいてきた。
「ナイチネ・ヴィヨルン、同行願おうか。説得に応じてもらわねばならないのだ」
先ほどの警官の声。
「そんなにお急ぎですか。では、ヘンリーにお伝えください。私の口からちゃんとお話しますと」
「我々は命じられているだけ。事情など知らない」
「では、そう伝えてくれればかまいません」
筋を通せばどうにかなるものと信じていた。
「知らないと言っている。お前は一緒に来てサインするだけでいい。それですべて終わる」
「なにをおっしゃるのです?」
「簡単な話だ。この
「そんな!」
腕を掴まれる。両側を固められて無理矢理に立ちあがらされた。明らかに同行という態度ではない。
(つ、連れ去られてしまう。コリューシャ、あなたのところにもきっと……)
ナイチネは考えが甘かったと思い知らされた。
「抵抗しても無駄だ。自分で歩け」
彼女は震えた。
「ご婦人を乱暴に扱うものではない」
「なんだ、貴様らは!」
「こういう者だがね」
警官たちが息を呑んでいる。
「じ、
「君たちは触れてはいけない人に触れてしまったのだよ。観念することだ」
「いったいなんで!?」
拘束が解かれると優しく抱きとめられた。触れた感じは女性のもの。警官が騒ぎ立てているが逆に拘束されている様子。
「大変でしたね」
「あなたは?」
「GSOの係官です。あなたの保護に参りました。よろしければ一緒にいらしていただけますか?」
優しく請われる。
「娘は? コリューシャは?」
「彼女にはあの方がついておいでです。なんの心配もございませんよ」
(ジュネ……君?)
ナイチネは事情がわからないまま車内へと誘導された。
◇ ◇ ◇
「格好良かったよ、ジュネ」
コリューシャは腕を組んだ青年を見あげる。
「あーあ、警察なんて権力の犬。役所の言いなりとかほんとどうしようもないんだから。愛想が尽きちゃった。どこかにウェンデホから連れだしてくれる人、いないかなぁ?」
「お母さんが大事だよね? 無理をさせてはいけない」
旅暮らしは大変だと暗に伝えられる。
「でも、ここにいても良いことなんてないんだもの」
「大切なものと、君を信用してくれるお客さんもいる。捨てたものじゃないんじゃないかな?」
「だって、いつまであそこに住んでいられるかわかんないし」
半ば本気だった。ジュネくらい頼りにできる男についていくなら多少の困難は乗り越えられそうな気がする。
(依存なのかな。でも、素敵過ぎるジュネがいけないんだもの)
彼との時間は夢のようだった。
「ああ、了解。予定どおりに」
「なに?」
「仕事の連絡。問題ないから大丈夫だよ」
どこまでもスマートである。
「どこか行きたいとこあるかい?」
「んー、ちょっと待って。時間はどう?」
「今日いっぱいは平気さ」
胸がドキリとする。夜まで大丈夫なら大人のデートも有りだということ。こんなに良くしてもらって、なにも返せないのは申し訳ない。それ以上に気持ちが傾いてしまっている。
(出会って二週間も経ってないのに、ふしだらかも)
身も心も任せたいという気持ちが強い。
(ジュネはどうなの? こんなわたしでも少しくらい下心を抱いてくれてる?)
そう願いたかった。
「やっぱりジュネにお任せする。もっと色々教えて」
「わかったよ」
「どうするの?」
「とりあえずはあまりハードなデートにならないことを祈るばかりだけどね」
コリューシャには彼の言ったことの意味がさっぱりわからなかった。
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