戦いは曇り空の下(1)
ワーキングデスクに叩きつけた握り拳は派手な音を立てる。対象でない人物のほうがビクリと震えた。
「消えただと? 使える者を送ったのではないのか」
ラリー・ウォーカス上院議員は報告に来た相手をにらみつける。
「人員は無限ではございません。なにぶん素人相手でしたので相応の担当者を付けておりました」
「いけしゃあしゃあと。それで失敗したでは話にならんではないか」
「そこはわたくしどもも誤算でございます」
面には表さないが当惑している様子。
「報告にあった若い男が関与しているものかと」
「何者だ」
「未だに。あれほど目立つ容姿をしているのに登録情報がありません。近隣国家へと調査の手を広げるつもりです。
身元を明らかにしない特殊部隊の可能性も示唆する。手強いと知れたなら今後は手抜かりしないだろう。
「心当たりはございませんか?」
逆に訊いてくる。
「政敵など挙げればキリがないわ。近隣国でさえワシのことを怖れている者はおろう。だから貴様らの手を借りているというのに」
「それは我々諜報室の仕事を難しくしている証左になりますよ。お時間をちょうだいします」
「早くしろ。ワシの任期はあと二年。口さがないマスメディアの馬鹿どもが騒がねば七十歳定年など制定せずにすんだものを」
口汚く罵る。
「息子に地場を継がせるまでに、あの母娘をデホーから遠ざけねばならんのだ。登りつめようと思えばスキャンダルなど以ての外。新婚だったのに、不倫の果てに子供までいるだと? 体の良い槍玉ではないか」
「騒がれるでしょうなぁ」
「他人事みたいに言うな。貴様らに潤沢な予算が回っているのは誰のお陰だと思っている?」
恩着せがましく言う。本音のところでは政敵排除に使う駒として大きくした組織。こういうときに役立ってくれねば意味がない。
「ミスターウォーカスのお陰です」
「ならば結果を出せ」
傲然と言い放つ。
「善処いたしましょう」
「急げよ」
「承知いたしました」
諜報室長は一礼して下がっていく。どこまで信用していいものか迷う態度だ。
(誰かの手蔓が付いたか? ならば早急に私的な手駒を揃えねばならんか)
計りかねる。
(奴の
相手が同じ政治家なら弱みを握って黙らせるのも可能。しかし、一般市民が対象となると工作が難しくなるらしい。露見したときの反動が大きいので慎重にもなる。
「ヘンリー」
「はいぃっ!」
声を裏返す政務官にして息子に落胆する。
「お前がしゃっきりせんから面倒なことになっているのだぞ?」
「おっしゃるとおりです、ミスター」
「まったく、通りすがりに寄った店のヘアアレンジャーなんぞに入れ込みおって」
二十年ほど前の話だ。当時のヘンリーに財界から選んだ娘を妻にあてがったまではいい。ところが、黙って付き合っていた女とも続いていて、調べてみれば子供までいるとなると話は変わる。
(女のほうから離れていったので放置していたが、此奴を表舞台に上げるといつ食いついてくるかわからんからな。今のうちに
女は偽証だと撥ね付けてもいい。だが、娘のほうは困る。遺伝子検査をすれば一時間とせず証明できてしまうのだ。
「ぼ、僕も彼女が妊娠していたなんて最近まで知らなかったんです。きっと、お金を渡せば納得してくれるでしょう。とても大人でしたから」
息子は年上にほだされている。
「できるか。そんなのは言質を与えているようなものだ。墓穴を掘るほど愚かか、お前は」
「彼女はそんな悪人では」
「いいから黙ってワシのやることを見ておれ」
だんだんと後退りするヘンリーに怒りを覚える。
「でも、わざわざあのパーラー近辺を再開発計画で立ち退かせるまでしなくても」
「徹底的にせねば事は進まんのだ。わからんか?」
「勉強させていただきます」
小さくなる。自己主張さえ通せない度胸に閉口する。いつまで裏から操ってやらねばならないか暗澹たる気持ちだ。
(そういうふうになるよう育てたのだから文句は言えんか)
ラリーは額を押さえてため息をついた。
◇ ◇ ◇
宅配に偽装した監視ドローンは常にビューティーパーラー『ヴィヨルン』周辺を巡回している。ジュネはコクピットでその映像をモニターしていた。
「うん? 動いたかな?」
彼が見ていないときもモニターしている監視官に話しかける。
「どうもそのようです。これは……」
「都警っぽいね」
制服の各部がピックアップされて確認される。顔認識も行われ、即時にプロフィールまで出てきた。デホー都警の警官であった。
「間違いありません。阻止しますか?」
彼女なら近場で待機している人員を即座に動かせる。
「いや、泳がせよう。このままだと時間が掛かりすぎる。向こうが尻尾を出してくれたんなら掴まない手はない」
「わかりました。侵入して動員数および機材の把握に努めます」
「ありがとう」
指示するまでもなくすべきことを実行してくれる。これくらいでなければ
「ぼくも動く。なにか大きな動きがあったら
「了解いたしました」
降機するとハッチを閉めておく。この目立たない倉庫からヴィヨルンまでの
「マチュア、リモート操作を許可する。いい場所に」
『はいはーい。しがらみだらけの国家警察官をあんまりいじめちゃ駄目よ』
「彼らに分別があればぼくだって自重するさ」
ジュネは灯りで周囲を確認しながら走りはじめた。
◇ ◇ ◇
「だから、わかりましたって言ってます!」
訪れた警官につい強い口調で答えてしまう。
「君、前回もそう言っていたが、その後の手続きがまったく進んでないのはこっちでも調べがついているんだよ」
「そんなの行き過ぎてませんか?」
「違うね。我々は区役所からの要請で忠告に来ている。手続きを管轄しているところからだ。一帯に退去要請が出たのはもう二年半も前の話なんだよ。立ち退き料が支払われることになっているのにどうして転居しないんだね?」
刺激したか、警官も圧が強くなる。
「あんなはした金でどうなるっての。引っ越すだけで精一杯で、次の日からどうやっても暮らしていけないじゃない」
「それは我々の関知しないところだ」
「だいたい変なの。近所の人に訊いてみたら、割とゆとりある金額が設定されているのに、どうしてうちだけあんな少額なの?」
普通なら困りそうなものなので聞き取ってまわってみた。すると、おかしな立ち退き料の設定がされていたのである。皆が首をひねって慰めてくれた。
「床面積から設定される仕組みにされているそうだ。ビルの面積から算出分配されてる。君の家は小さいながらも、こんな一等地近くで営業しているのだから収入はあるという考え方なのだろう」
それっぽい言い訳をされる。
「算出方法が間違っているんです。うちはそんなに儲かってません」
「それは努力の問題だから役所に言ってくれたまえ」
「努力? 簡単に言ってくれちゃって。すごく頑張ってきたんだから……」
下唇を噛むと涙が滲んできた。勝手な言い草である。警官を下からにらみあげる。
「お母さんが事故に遭って苦しんでるときは全然助けてくれなかったのに、こういうときだけ何度も何度もやってきて」
「我々も仕事だからね」
「市民を助けるのが仕事なんじゃないの?」
声が震える。
「そのとおりだね。ちょっと考えものだ」
「ジュネ!」
「君はなんだね?」
爆発寸前のところに現れてくれた青年にコリューシャは泣きついた。
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