深まりは時々雨(3)
少しざわついているとナイチネが言っていたがジュネはほどなく帰ってきた。コリューシャが尋ねてみるが何事もなかったとの返事。
「結構繁盛しているみたいだからね」
「そうよね。こんなに美味しいんだもの」
客で賑わっているならレストルームも混んでいたのかもしれない。男性にしては遅かった気がするのはその所為か。
(ジュネの場合、がさつなとこ想像できないし)
どんな場面でも紳士的な振る舞いを忘れそうにない。
「リーシャの満足そうな顔を見ると安心するよ」
彼の微笑が深まる。
「わたし、そんな顔してる?」
「うん、とてもいいお金の使い道だったと思えるね」
「あうう、恥ずかしい」
頬を押さえる。
「引き続きデザートも楽しんでほしい」
「お茶もいただけるのよ」
「色々あるから選んでね」
テーブルに投影パネルを表示させ、スワイプして彼女のほうに回転させる。まずは読みあげてナイチネのものを選んだ。
「なににしようかな?」
「落ち着いた雰囲気だから、薫り高い紅茶もいいものだよ」
「お母さんも紅茶だものね。わたしもそうしよ」
しばらくするとワゴンを押したウェイターがやってくる。そこには色とりどりのケーキやクッキーが並んでいた。どれにするかずいぶんと悩んでしまう。
「あー、やっぱりチョコレートケーキも食べたかったかも」
「そう思ったからさ、ぼくのを半分あげるよ」
「視線を読まれちゃってる」
くすくすと笑う青年をにらむ。
「堪能してね。ところでナイチネさん、少し調べてみたんですが、やはりウェンデホの福祉制度はお世辞にも充実しているとは言いがたい」
「そうね。娘も頑張ってみたらしいんですけどなかなか」
「事故被害者の救済制度はどこの国もそれなりにあるものなんですが」
年の割に精通しているようだ。
「いささか拙い。政治家にはもう少し仕事をしてほしいものですね」
「偉い方々の考えることは私には」
「実は促すために、星間管理局にも制度があるのですよ」
流暢に説明してくれる。聞いてみれば、コリューシャが思っているより遥かに多くの福祉制度を管理局は行っている様子。
「促すため?」
「そうだよ」
ジュネは肯う。
「本来はそれぞれの国家が国民のために定めるもの。国に制度がないのに管理局にあれば変だって思うでしょ? 加盟市民がそう感じて選挙に反映してもらうための制度さ」
「そっか。管理局のほうが充実してれば、うちの政治家なにしてるんだって思うものね」
「そうすれば制定に動かざるを得なくなる。加盟市民救済の制度だけど、国家としての成熟度を高めるための措置でもあるんだ」
国民は政治家を選ぶ指針にもなる。
「管理局ってそんなことまでしてるのね」
「加盟市民の利益を第一に考えているんだよ」
(たぶん、ジュネも管理局関連の仕事をしてるんだ)
詳しすぎる。
(肩書を訊くのは野暮なのかな。もっと親しくなれたら)
「そんなわけで若干条件を付けてあるんですよ、ナイチネさん」
彼は母に話を向ける。
「少々立ち入った事情を聞いてもよろしいですか? ぼくのほうで条件に見合うか調べてみたいので」
「ええ、話せる範囲であれば」
「では少し」
カップの紅茶を一口すすってから切りだす。
「事故当時の状況ですが、加害者の救護を受けましたか?」
「気を失っていたのでわからないわ。でも、逃げたりはしなかったそう。あとで聞いた話だと震えていただけだったみたい」
「なるほど。それで起訴猶予とはいただけない」
事故直後から治療や療養に関する質問が連なる。コリューシャもわかる範囲で答えていった。
「では、生活状況についても幾つか教えていただきたいのですが」
申し訳なさそうに言う。
「救済制度だものね。経済力なんかも関係してくるのでしょう、当然」
「はい、デリケートな部分なので嫌でしたら担当官に。彼らは個人情報保護のプロフェッショナルですので心配ありません」
「確認してくれるのでしょう? 娘がこれ以上苦労しないですむならお話しするわ」
母は譲歩の姿勢である。
「管理局の戸籍統合活用センターにリーシャの父親は登録されていますか?」
「いいえ」
「国の戸籍制度には?」
それにも首を振ってしまう。
(調べてもお父さんのことはわからないんだ)
思ったよりショックを受けてしまう。
最悪援助をしてもらえないか懇願してみるのも最後の手段として考えていた。その目論見は海の藻屑と化してしまう。
「認知はしていらっしゃらない?」
ナイチネは寂しそうに笑う。
「あの人はきっとリーシャがいることさえ知らないわ。教える前に別れてしまったもの」
「そうですか。その場合、困窮状態の一部は自己責任になってしまいます」
「仕方ないわね。事実です」
そう言って母は彼女のほうを向く。困ったような、でもあきらめてしまったような表情。
「あなたも一人前だものね」
成人した娘へと告げる。
「そろそろ昔のこと、教えておいてあげなくてはね」
「お母さんが嫌だったらわたしは……、いい」
「嫌ではないのよ。ただ、あなたがつらい思いをするのが怖かったの」
不穏な言葉を掛けられる。
「悪い人ではないのよ、決して。誰かに後ろ指さされるような方じゃありません。ただ弱い人。私が身籠ったと知ったらとても困ってしまう。だから言えなかっただけ」
「それで、なにも言わずに別れたの?」
「ええ、それが一番だと思ったわ。だって、あなたを授かったのがとても嬉しかったんだもの」
知らず涙が出た。父親には認められていなくとも、母親の枷にはならず喜ばれて産まれてきたとわかったからだ。今さら父に責任を求める気はない。母を守れればそれでいいと思った。
「立派に育ってくれてすごく嬉しい。あなたは私の生きがいよ、リーシャ」
「うう……、わたし、お母さんの子供で……よかった」
フォークを咥えたまま言葉に詰まる。とても甘いはずのケーキがちょっとだけ塩っぱくなってしまった。でも、嫌な味ではないと思うのは心が温かくなったからだろう。
「どなたかはご存知なのですね?」
「ええ、元気でいらっしゃるわ。だけど、お教えできません。まかり間違って、あの方のところへ確認の連絡などいくのは本意ではないの」
ジュネへの回答を拒む。
「そういう心配はないのですが理解しました。ぼくもここで聞いたことは決して口外しませんので」
「ありがとう。色々と気遣ってくれて」
「かまいません。こういった縁というのは馬鹿にできないものなんで」
どこまでも大人だ。
「リーシャもごめんね。涙の席にするつもりはなかったんだ」
「うん、わかってる」
「この話はもうやめるから、あとは思い切り味わってね」
クッキーを齧ったジュネは、その皿も彼女のほうへと押しだす。遠慮なく手を伸ばした。
「ぼくが常々女の人を不思議に思うのは、泣きながらでも食べ続けられるところなんだ」
「意地悪!」
コリューシャは頬を膨らませた。
◇ ◇ ◇
夕方には母娘を家まで送ったジュネはオートキャブの中で通信を繋げる。意識スイッチで選択した相手はすぐに応答した。
「誰だった?」
「政府のエージェントでした」
「さすがに中核的人物ではありませんが、裏方に属する者のようです」
「そうか。やっぱり、それなりに大物が釣れそうな感触だね」
「おそらくは。話しませんでしたか」
こっちの結果を訊いてくる。
「頑として話してくれないね。良かれと思って黙ってるんだろうけど、それで自分たちが追い込まれているとは思ってない。どこまでも善人なんだよ」
「あなたが関わるに値する方々のようですね」
「まるで、ぼくが悪人を毛嫌いしているように言わないでほしいな。それぞれに正義があるのは認めてるさ」
「さて」
含みを持たせる相手にジュネは片眉を上げてみせた。
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