深まりは時々雨(2)
ジュネがコリューシャたちを連れてきたのは近場の
現代では実商品を置いている店は少なく、バーチャル形式のブランドブティックや3Dアトラクション、パーソナルシネマなど興業色の強い店舗が多い。
(学生時代はたまに来たけど最近は縁遠くなってたな)
中は様変わりしている。
フロアが違うと出店も変わり、彼女のようなヘアアレンジやメイクアレンジのショップも軒を並べる。客の動線を狙える場所には独自色を打ちだした国内チェーンのビューティーパーラーがほとんど。
(こんなところには敵わないし)
小綺麗でポップだったりファンキーだったりする店構えと勝負できない。
その上階にはようやくレストランやカフェテリアのフロアがある。以前利用したことがあるのは安価なファーストフードばかりだが、今回はジュネの先導でその奥、ハイブランドなレストランが並ぶスペースに足を踏みいれる。
(ヤバ! 見るだけで酔いそう。庶民には目の毒)
料金も家計に優しくなさそうだ。
「ごめん、ジュネ。こういうとこ不慣れなんですけど」
軽く震える。
「ぼくもあんまり利用しないんだけどたまにはね」
「無理しなくても」
「旅暮らしで趣味を充実させるスペースを持てないからお金の使い道に困ってる。だから見栄を張らせてもらってもいいかな?」
心配するなという気遣い。
「嬉しいけど、マナーとか知らないし」
「ちょっと困っちゃうねえ」
「気にしなくていいんですよ。店員がよほど慣れています。彼らに聞けばいい。サービスを提供するのが彼らの仕事です」
彼の言うとおりだった。予約したレストランに入ると、特にお願いしなくてもエスコートしてもらえる。ナイチネのこともすぐに察して丁寧にテーブルへと案内された。
「椅子引かれるとか初めてかも」
「してあげてもいいけど、彼らの仕事を奪うわけにはいかないしね」
青年はくすくすと笑う。
「なんだか悪い」
「気にしないで今日を楽しんでくれると嬉しいかな」
「そうする。考えすぎちゃうとどうしていいかわからなくなりそう」
母にも気兼ねないよう言い添えてくれる。
「ありがとうね。ほんとに良い人に出会ったわね、リーシャ」
「うん、怖いくらい」
「汲々としてると生きる道が見えなくなってしまうよね? たまの贅沢はいいんだ。頑張るってことを思いださせてくれるから」
(ほんと。悩んでばかりいると目の前しか見えなくなる。余計に身動きできなくなってたかも)
コリューシャも自分の状態を再認識する。
(困ってるだけじゃ駄目。前に進むことを考えないと。わたしが潰れたらお母さんは暮らしていけなくなっちゃうんだもの)
ジュネはそのための活力を与えてくれようとしている。甘えてもいいんじゃないかと思えてきた。
「チキンピカタのきのこソースです」
人間のウェイターが運んでくる料理などこういうとこでしか味わえない。
「お取り分けさせていただきますね」
「あら、ありがとう」
「どういたしまして」
ウェイターが母へ食べやすいようサービスをしてくれる。客に合わせた対応がきちんとされるのはありがたい。ただ、ナイチネが少し慣れたふうなのが意外だった。
(お母さんってこういうとこ、経験があったんだ)
そうとしか思えない。
母親の若い頃の話はあまり聞いていない。シングルマザーをするしかなかった過去を掘り起こすことはしたくなかったからだ。
子供の頃には父親がいないことを言い募ってしまったことがある。そのときの困った顔が記憶に刻みつけられている。二度とあんな顔をさせたくない。
「本当に美味しいわ」
美しい所作で味わっている。
「確かに。
「プロの料理人でないとねえ」
「彼らのプロ精神に敬意を表していただきましょう」
ジュネは会話も楽しんでいるようだがコリューシャはそれどころではなかった。緊張も吹き飛んで美味しさに夢中になっている。手が止まらなかった。
「リーシャも楽しんでくれているようだし」
「んー!」
口の中がいっぱいで言葉にならない。
「お行儀悪いわよ?」
「う、ごめんなさい。でも、舌が溶けそう」
「なによりだね」
ジュネがくすくす笑う。その仕草が子供じみてアンバランスではある。童顔なところも相まって幼く見えそうなものだが、落ち着き払って堂々とした態度に相殺されていた。
「失礼。ちょっとレストルームに」
青年が中座する。
「え、行っちゃうの?」
「大丈夫だよ。すぐに帰ってくるから」
「……ごゆっくり」
コリューシャは自分のほうが子供っぽい反応をしてしまったのを反省した。
◇ ◇ ◇
ジュネは本当にレストルームに向かう。その人物が先に入っていったのを確認していたからだ。
「……普通に食事中です。接触した若い男の素性はまだ」
敏い耳にそんな言葉が聞こえてくる。
彼が入っていくと男は自然な動作で洗面台に向かう。耳に市販品のウェアラブル機器を着けているが、中身は特殊仕様になっていそうだ。
「失礼」
通路に立つジュネを避けて出ようとする。
「ぼくに用かな? それともあの母娘のほう?」
「なんのことだい?」
「聞きたいのはこっちなんだけどね。個室だってのに、ずっと注意を向けられていれば気にもなるさ」
目を細めて男を見る。
「勘違いではないかい? おかしなことを言うもんではないね」
「そう思いたい? だろうね。調べてもぼくのプロフィールが出てこないから不安になったんだろう? どこに照合してもね」
「お前……」
顔色が変わる。この程度の挑発で態度を変えるようではエージェントとして未熟だ。ずいぶんと安く見られたものだと思う。
「何者だ?」
「こっちが聞きたいね。素直に教えてくれるなら、食事の続きくらいはさせてあげてもいいよ」
「くっ!」
ウェアラブルを操作しようとした手が跳ねる。激しいノイズに見舞われたのだろう。マチュアの仕事である。
「もう連絡はつかないさ。あきらめる気はないかな?」
「そうはいくか」
殴りかかってくる。二回り以上小さい相手ならどうでもなると考えたのだろう。しかし、拳をがっしりと受け止めたジュネの手は微動だにしない。
「なんだ……!」
「お粗末だね。相手の実力がわからないのに、中途半端に仕掛けるものじゃないよ。監視したいならもう少し距離を取っていればこんな羽目にならなかったものを」
(さて、どこに繋がるかな?)
いくら彼が命の灯りに感情までも読み取れる
「ぐぬぁっ!」
「無駄さ」
左の拳が鳩尾に刺さる。緩衝用ボディースーツの感触がするがお構いなしに打ち抜いた。男は悶絶する。
「素直になってね?」
「誰……が……」
「だから無駄だって」
レストルームに別の人物が入ってきた。その男が上着をめくると「GSO」のロゴ。エージェントは目を瞠る。
「誰の手かしゃべらせて」
「了解いたしました。さあ、来い」
絶句したエージェントは連行されていく。驚きに言葉も失ってしまった様子。
「お騒がせしました。このことは内密に。食事をつづけます」
「かしこまりました。お楽しみください」
様子を見に来たウェイターに告げる。
事情を察して当たり前にそういうサービスができるからこそ、ジュネはハイブランドなレストランを選んだのだった。
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