深まりは時々雨(1)
(まさか向こうのほうから声を掛けられるとは思ってなかったな)
ジュネ・クレギノーツは拍子抜けした気持ちだ。
どうにか自然に接触し、情報を引きだせればと考えていた。ところが娘のほうから彼に気づき話しかけてくるという顛末。親しくなれたのは僥倖だが、目の届くところで護衛するわけにいかなくなった。
(どうにも行状が目に余ると思って来てみれば)
ウェンデホ政府は管理局が星間銀河圏の秩序を標榜しているのを忘れているようだ。国のやることならば、それも地方文化と判断してくれると思ったら大間違い。情報部は国家の過剰な軍拡や政治腐敗の監視もしている。それが加盟金を支払っている国家市民への義務である。
(突破口として、偏りが見られるヴィヨルン家に探りを入れようとしたら本人が釣れちゃったか)
聞きだした内情は調査ときれいに合致する。あの母娘には政治的逆風が強い。彼らが知らないのは母親の事故が
「マチュア、少し深く潜ろうか」
『場所はそこでいい?』
適当に選んだカフェテリアだがハイパーネットくらいは繋がっている。ゼムナの遺志たる彼女にしてみれば、どこでも同じこと。
『昨日は急に
「そうは言ってもさ、電源入ったまま脇に置くとノイズが混じっちゃうでしょ?」
『君くらい感応力が強ければ選別できます!』
ジュネが命じてパーラー『ヴィヨルン』のネットに侵入させたので会話は聞いていただろう。情報並列化はできている。
「ありがとう」
『ごゆっくりお過ごしください』
ウェイトレスマシンが運んできた飲み物を手にする。周囲の客からはσ・ルーンを介して誰かと会話している珍しくない男として認識されているはず。
「さて、ナイチネさんを撥ねたリニアカーの搭乗者は、と」
地元警察の事故記録にアクセス。
「オクド・レンヴィー、二十一歳。レンヴィー食販の継嗣ね。出来心でドライブコントロールをカットして自分で運転して事故。反省の意と謝罪および賠償手続きに入ったことで起訴猶予。甘いな」
『どこかから圧力が掛かっていそうなものね』
「ところが保険会社はドライブコントロールを切った時点で免責事項と判断。個人交渉に関しては係争中。やれやれ」
『あの親子が賠償金を使い込んで治療ができてないんじゃないってこと』
民事係争手続きもほぼ停滞している状態。そこにもなんらかの思惑が働いていそうだとマチュアは言う。
「ここまで揉めれば司法が動いてもおかしくないけど気配も無し。完全に国家治安当局の領分なのに介入しなきゃいけなさそうだ」
『その治安当局が揃って知らぬふりを決め込んでいそう』
「ここを端緒に追っていくのが順当かな」
(手続きが停滞しているのをリーシャたちはどう思っているんだろう? そういうのに疎い感じだったね。確認しとこうかな)
嫌気が差しているのなら、当人たちがわからないように動くべきだと感じた。
司法を捻じ曲げようとしているのは絶対に許さない。しかし、その過程が被害者にとって心の負担になるなら当事者にする必要はないと思っている。
「彼らは善人だよ。あんなにきれいな
『変に優しいんだから。君が背負うものではないわ』
「いいや、そこにいて背負える人間が背負えばいい」
ジュネの役割とはそういうものだと思っている。どれだけ背負えるかは彼の器量に関わっており、大きくすべく努力を重ねているところ。
(どんなに小さく見えるものでも、当人にとっては人生の一大事なんだから)
ジュネはカップをテーブルの端に移動させて立ちあがった。
◇ ◇ ◇
今日も時折り小雨が路面を濡らしている。コリューシャにとって二日前のような遣らずの雨は感謝したいが、客足を鈍らせる雨は勘弁してほしいところ。
(やっぱりジュネにとっては行きずりの人でしかなかったのね)
別れ際に「またね」と言ってくれたので期待してしまったが、社交辞令を真に受けるのは間抜けが過ぎるのかもしれないと思ってしまう。だが、認めたくない。
(わたしったら惹かれちゃってるんだ。ちょっと優しくされたら心動いちゃうなんて追い込まれてるのかな)
悩みが多いのは事実。しかし、どうにもならないとあきらめているのも本当。だからといって、路頭に迷って転落人生では涙が出る。
(ほら、やっぱりヒーローなんていないんだから)
純粋にTVヒーローを楽しんでいるロビンやウォーレンみたいな少年たちがうらやましい。もしかしたら、信じる人のところにしか現れないのだろうかとまで考える。
(馬鹿みたい)
そう思って目をつむった矢先にショーウインドウがコツコツと鳴く。頭を上げると、そこには待ち焦がれていた青年の姿。
「ジュネ!」
「やあ、残念ながら暇そうだね」
勘違いされたかもしれない。
「別に昼寝してたりしたんじゃないんだから。お客さんが来るように念じてたの」
「そんな能力があるの?」
「あったら経営に汲々としてない」
彼は「それはそうだ」と笑う。
「それならいいかな」
「なに?」
「一昨日のお礼に、ご馳走したいなと思って。ナイチネさんと一緒にどう?」
出掛けないかと誘ってくる。店を閉めてしまうのはどうかと思うが、予約は入っていないし馴染みも周期からして見込めない。
「目の前のことに雁字搦めになってたら良い考えも浮かばないよ。気晴らしも必要」
「お母さんに訊いてくる」
誘惑に負けた。
(難しい問題がいっぱいなんだもの。少しくらい)
たまには羽目を外してもいいと思う。
(わたし、逃避してるのかな)
「二人で行ってくれば? お邪魔でしょ?」
「そんなんじゃないから!」
母に揶揄される。
「ジュネが一緒にって言ってるんだからいいじゃない」
「はいはい、ダシになってあげる」
「もー!」
急いで着替える。メイクも少し重ねた。彼の優しさに見合う自分でいたい。そんな一心で頑張ってみる。
母と腕を組んで店舗スペースに行くと、青年はショーウインドウの向こうを凝視している。その背中が見た目よりずいぶん大きく感じた。
(どんな人生を歩んでいたらこんなふうになれるのかしら)
ハンデがあるというのに、どこまでも柔らかい。世をすねたところが微塵もない。
「オートキャブを呼んであるからちょっと待ってね」
振り返りもせずに言う。
「耳が良いんだ?」
「どうしてもね」
「当然よね」
やっと見えた紫の瞳にドキリとする。
「君のかわいい声が生で聞こえるのは救いだよ」
「そんなこと!」
「やっぱり待っていたほうがいいかしら?」
今日はずっと母にからかわれそうだ。
小さな紳士然としているジュネに頬を膨らませて見せる。コリューシャより5cm以上はあるので170cmくらいか。同年代の男性としては飛び抜けて背が高いわけではない。しかし、そう感じさせないなにかがあった。
(こういうのなんて言うの? 度量? 器量かしら。周りにこれほど感じさせてくれる人なんていなかったからドキドキする)
学生時代には異性とも付き合ったことがあるが、どうにも同い年の男性は子供に思えて仕方なかった。ジュネはあまりにも違いすぎて、ときめいてしまうのかもしれない。
「さあ、行こうか」
自然にスライドしたドアを手で押さえて招く姿も様になっている。
「じゃ、お願い」
「気を遣ってくれてありがとう」
「なんてことないですよ。ぼくみたいに星々を渡り歩いていると、リーシャみたいな現地の人の心遣いが身に沁みるんです。感謝の印は示させてくださいね?」
気遣いは細部にいたる。
コリューシャの胸は鼓動を抑えきれなくなりそうだった。
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