出会いは雨の日(3)
話しているうちにジュネの髪のカットは終わった。
(まだ止んでない)
今日の雨は彼女に優しい。
惑星国家ウェンデホの首都デホーは元々雨の多い時期。普段は憂鬱になる。客足も遠のくし散々だ。ただし、今だけは空に感謝していた。
「どこかに泊まってるの?」
仲良くなった青年に訊く。
「宙港の
「じゃあ、遠いのね」
「オートキャブでも呼ぶよ」
戻る手段はいくらでも。
「まだ本降り。暗くなった頃には止む予報だけど?」
「あまりお邪魔になるのもね」
「遠慮しなくても」
ドライまで終わったジュネの頭に触れる。細めの髪が指を滑って気持ちいい。ハンドブローを使って元どおりの髪型に整えていく。
「今日はもうお客さん来そうにないからお店は仕舞うし」
機器類をシャットダウンして頭に
「ありがとう」
「いいえ。夕飯の準備するから食べていって」
「悪いよ」
「いいの。その前にお会計」
ちゃんとするという意思表示。
彼が
「ジュネ?」
「チップ。雨宿りとかコートに入れてもらったりとか諸々」
声音に嫌味がないので断りづらい。
「じゃ、余計に料理に力入れなきゃ。苦手なものとかある?」
「普通のものならなんでも。お任せするよ」
「ええ、期待してて。舌が肥えてそうでちょっと怖いけど」
声が弾んでしまう。
「お母さんも手伝って」
「はいはい」
「急がないからさ」
店を仕舞うと居住スペースに青年を招く。彼は顔を色んな方向へと向けていた。
「あんまり見ないでね。恥ずかしいから」
「ごめん、失礼だったね」
申し訳なさそうな面持ちになる。
「生活感があるのって珍しくてさ。航宙船はどうしてもスペースに限界あって、個人の趣味が出るのがせいぜいなんだ」
「生活はするでしょ?」
「ほとんどが共有スペース。カフェとかバスとかトイレとかも」
コリューシャの知らない世界だった。
「あー、そっか。想像もしてなかった。自分のスペースって部屋だけみたいなもんなのね?」
「そうだよ。だからプライベートにはあまり生活感が出ない」
「旅行とかもしないから全然わからなかった」
母一人娘一人。ましてや自営業。そんな暇もお金もない暮らしである。先ほどジュネが支払ってくれた
(稼いでるみたいだから遠慮しない。その代わり、たっぷりおもてなし)
気合が入る。
それなりに苦労があろうが、ゆとりがあるなら遠慮するのも失礼。普段味わえないものを提供してお返ししようと思う。
「ゆっくりしてて」
「うん」
合成肉を厚めに切る。オーブンに入れて焼き加減をセット。届いていた野菜をさっと洗って千切っていく。一口大に大きさを揃えていって盛り付けた。
スープはインスタントを使い具材を加えていく。それなりに見栄えが良くなるよう気を使った。パンも温めてふっくらとさせる。
「どうぞ。あまり豪華なものは出せないけど」
ジュネの前に並べていく。
「とんでもない。手料理なんていつぶりかな? ご馳走だ」
「そんなでもないのに」
「宇宙暮らしはこういうのに飢えてるのさ」
厳しい環境で毎日を過ごすには合理化が必須だという。我慢すべき点は少なくないと教えてくれた。
「
「そんなのわたしには夢のまた夢」
話している間にもナイチネの分の肉を切り分ける。サラダとパン、スープの皿を定位置に。そうすれば母は介助なしで食べられる。
「お父様はなにをしていらっしゃるの、ジュネ?」
ナイチネは青年の暮らしが気に掛かるらしい。
「主に母の手伝いです。時々は個人で仕事を請けることもあるようですけど」
「フリーランス?」
「うーん、ちょっと自由過ぎるきらいがあるけどね」
コリューシャの質問に苦笑いを返す。
「お母様は?」
「公務員です。なので収入は安定してますが、定住はできずに飛びまわってますよ。ぼくが動くことで少しは母がゆっくりできればと思っているんですが」
「親孝行なのね」
(公務員? それなのに星々を渡り歩いてる? ジュネにも手伝わせるって外交関係なわけないし。だとすれば星間管理局員? もしかしなくても、すごくエリートじゃない)
怖ろしい類推結果が出る。
(あまり突っ込まないであげたほうがよさそう)
国籍ではなく星間管理局籍を持つとなれば格が違う。星間銀河圏全域に及ぶ加盟国ではかなり優遇される人間になる。彼女の認識では国家エリートの上を行くエリートである。
(こんな人もいるんだ)
(わたしたち庶民のことなんて考えてくれないし。そもそも庶民生活を理解もしてないんじゃない。ジュネも気まぐれの施しをしている気なのかしら?)
そうだったら悲しい。
「わたしなんて一人で暮らしを支えてるんだから」
つい言わなくてもいいことを言ってしまう。
「汲々としてるけど」
「詳しくはないんだけど、そうなのかな?」
「わかんないでしょうけど、すごく大変」
もう止まらない。
「ナイチネさんみたいな事情もあるしね。国に困窮家庭福祉制度みたいなのはないの?」
「全然。それこそ役人に口利きしてくれるような伝手でもないと無理」
「それは変だね」
首をひねっている。
「管理局に訊いてみた?」
「ないけど? だって国内のことだもの。国家間に跨るようなことじゃないと話聞いてくれないでしょ?」
「そんなこともないんだけどさ」
様々な福祉制度があるという。しかし、一般市民でもギリギリで暮らしているような身では少々敷居が高い。気後れしてしまう。
「ここだっていつまで居られるかわからない状態だし」
口が滑った。
「なにか困りごと?」
「ううん、忘れて」
「それは無理だよ。心配になるからさ」
青年は「お世話になったのに」と付け加える。
「実は立ち退きを要請されてるの。このあたりが政府の再開発地区に指定されたらしくって。でも……」
「店舗ごと転居できるような資金はない。補助があるとしても微々たるもの?」
「お恥ずかしい話ながらそうなの」
母が引き取って答える。
立ち退き要請を受けている。期限まで半年足らず。それを過ぎれば勧告に変わるだろう。補助も打ち切られるというもっぱらの噂である。
「うーん、居住権の保証もないとなると問題だね」
ジュネも眉根を寄せる。
「ね、管理局がどうこうできるような問題じゃないでしょ?」
「確かに口出しすれば内政干渉にあたると思う。でも、困ったどころでは済まない話なのも事実だよ?」
「もうどうしていいかわかんない」
あふれるように弱音をもらす。
「地価の安い地方都市に引っ越す? そんなとこで個人経営のヘアアレンジャーなんて食べていけない。お客さんの絶対数が少ないもの。有名になるほどの腕もないし」
「とても上手だと思うけどさ」
「でも、個性が際立つってほどじゃない。それは自分でよくわかってる」
苦渋が滲む。他人様に聞かせるような話ではないとわかっているのに舌が止まってくれない。それぐらい追い込まれているのだと自覚してしまった。
「ごめんなさい。こんな話する気じゃなかったのに」
余裕のありそうな彼に話すのは嫌味になろう。
「いいよ。よく話してくれたね。ぼくのほうでも調べてみるから、もうしばらく我慢できるかな?」
「いい。ほんとに忘れてほしい」
「それは無理だよ」
(恥ずかしい)
ジュネは優しい言葉で彼女を慰める。
夜になって彼の背中を見送る頃になると、寂しさのほうが勝っている自分に気づいたコリューシャだった。
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