出会いは雨の日(2)

 雨が洗う歩道もジュネと語らいながらの帰り道は楽しかった。彼の話す日常がコリューシャの毎日とはあまりに違うのも面白い。


(やっぱり宇宙の人だった)


 星々を渡り歩いて見聞しては伝える仕事をしているのだそうだ。両親の手伝いらしい。早くに学業を終えたのは彼女と同じで、それからは自立して旅の日々だという。


(わたしと違って学歴高そうな感じだけど)


 早々に就学をあきらめなくてはならなかったコリューシャとは事情が異なる。早く家計を支えなくては、いつまで経っても母の治療費が貯まらない。


「ここ」

 自宅兼店舗を指す。

「ビューティーパーラー『ヴィヨルン』。普通に家名なんだね?」

「本当に見えてるんだ。ほら、入って」

「うん、じゃあお邪魔するね」


 シェードコートを畳んでハンガーに掛け、ジュネを店内に招く。やはり客足は天気の所為で遠のいているようで無人である。


「ただいま、お母さん」

 奥の居住スペースに声を掛ける。

「おかえり、リーシャ。どなたかいるね。お客さん?」

「ううん、知り合い。雨宿りしてもらおうかと思って」

「ああ、この降りではねえ」


 母のナイチネ・ヴィヨルンは耳が良い。視覚が閉ざされている所為だが、店内にまで聞こえてくる雨音の中でももう一人の気配まで察知するのは純粋にすごい。


「お世話になります、ナイチネさん。ジュネといいます」

 連れが挨拶する。

「おや、男の子だったの。うちの子も隅に置けないわ」

「そういうんじゃないの! それよりタオル」

「そうだったねえ」


 そんな母も家の中はすべて把握している。すぐに手を伸ばしてタオルを渡してくれた。甲斐甲斐しく世話だけするのは精神的負担になる。


「不躾な質問ですが、ナイチネさんの目はどうして?」

 ジュネが手を取り母を店舗スペースに招く。

「実はジュネも目が不自由でね」

「あら」


 彼の事情を話す。生まれつきの視覚障害はあるが器具の補助で問題ないというのと、宇宙を旅している人だと。


「私のは事故なの。元はやっぱりヘアアレンジの仕事をしてたんだけど、この目じゃねえ」

 コリューシャの指導者は母である。

「そうでしたか。大変でしたね」

「いいえ。確かに光を知っているから最初は難しかったけど、物がどんななのかも知ってるでしょう? その点は少し楽だったわ。君のほうこそ大変よねえ?」

「そういうものだと思っています。治療はなさらないのですか?」

 当然の疑問だろう。

「再生手術ね。できるんだけど、なにぶんお金が掛かってしまうから」

「貯蓄がなかったの。お母さん、女手一つでわたしを育ててくれてたから」

「そういうことなんだ」


 自家細胞増殖による移植再生治療はごく一般的なもの。普及していて安全性にも問題ない。

 ただし、手間暇が掛かる分だけ、どうしても治療費は高額になる。そこが母娘にとっての障害になっているのだ。


「ここ、ウェンデホには融資みたいな福祉制度はないのかな? お母さんは技能はお持ちなんだろうから目が治れば苦労はしないだろうに」

 青年は首をひねる。

「無くはないみたい。でも、政府がケチだからなかなか認められないの。大きな産業もない片田舎の惑星国家じゃあね」

「娘に苦労は掛けたくないんだけど、ちょっとね……」

「なるほど。変なことを訊いてしまってすみません」

 声音が沈む。

「そんなことより君は? おうちに余裕がないのかしら?」

「いえ、ぼくの目は治らないんです。眼球障害でなくて脳障害のほうなんで。だからσシグマ・ルーン頼りになってしまうんですよ」

「そう。ごめんなさいね」


 人体で唯一再生治療のできない部位、脳の問題となればどうしようもない。コリューシャは悲痛な面持ちになってしまう。


「そんなに気に病むことはないよ」

 ジュネは続ける。

「脳っていうのは不思議でね。こういう機器を繋げれば、勝手に視覚野を形成して信号処理してくれる。ただし、そこは視神経が繋がっている場所じゃないから目を治しても意味ないんだ」

「そうだったのね。お金に不自由してそうじゃなかったから変だと思ってたの」

「逆に恵まれてるよ。経済的に大変だったら、σ・ルーンみたいな高額なギアを手に入れるほうが難しいから」

 気遣いを感じる。


(本当はお母さんより不幸なのに)

 コリューシャは胸が痛む。

(うまれてこのかた器具に頼らないと見えないなんて、わたしには想像できない。同じように見えてるのかもわからないし)


 彼のような人こそ、お金ではなく人に恵まれるべきだ。ハンデがあろうが心から愛して癒やしてくれる誰かが必要だろう。


「そっか。じゃあ、お客さんになってもいいかな?」

 目を細めて微笑む。

「ちょっと伸びたなって気になってたんだよね」

「いい。無料ただで切ってあげる」

「それじゃ意味ないんだよ。その代わりプロの仕事を見せてくれないかな?」

 くすくすと笑いながら言う。

「へえ。じゃ、気合い入れて切っちゃおうかしら」

「ほどほどにね」

「いーや!」


 立場や環境の違いは関係ない。なにか全てを飛び越えて心が触れ合える相手のように思えた。出会ったのはほんの少し前なのに、一気に親密になってしまっている。


「外せる?」

 額から後頭部までを覆うギアは邪魔になる。

「うん、電源を切るね。ちょっと段取りがいるんだ」

「そういうものなの?」

「なかなかに精密機器なんだよ」


 小さな投影パネルを出してなにかを打ち込んでいる。操作を終えると後ろの電源スイッチを長押しして外す。ギアがなくなると余計に幼い印象になった。


(少年みたい。これで同い年の十八?)

 道すがら聞いている。


 途端に足元の危うくなったジュネを理容シートに座らせる。暗い銀髪に触れると、見た目どおりのさらさらな感触。髪を大事にしている、清潔な感じがなんだか嬉しい。


「どんなにする?」

「割と短くして。背中まで届かない感じで軽くしてもらっていい? いつもはそのくらいなんだ」


 3cm以上は切らないといけない。そこまですると更に幼くなりそうだ。そうは思うが、確かに彼にはそれくらいが似合っているように思える。


「なにか見……、ごめんなさい。いつもの癖で。お話する?」

 仕事モードになっていた。

「そうだね。立ち入ったことを訊いてもいいかな? お父さんは? 同じ事故?」

「ううん、違う。最初からシングルマザーだったの」

「へえ」

 今どき珍しくもない。

「ご結婚をされるつもりはなかったんですか、ナイチネさん?」

「そうね。愛してはいたけど愛されてはなかったみたい。でも、私はこの子をどうしても産みたくて、反対する彼と距離を取ってしまったわ。夢のない話で悪いけど」

「いえ、それぞれ事情はありますし、誰にでも自分のしたいように生きる権利はありますから」


 母も彼の柔らかな印象にほだされてしまっている。本来なら濁すようなことを話していた。愚痴を言う母は珍しい。


「君こそご両親は? どんな子でも愛しているものよ?」

「ええ、ありがたいことに」

 微笑が深まる。

「ただ、目のことで母を少し苦しめてしまったようです。こうして一人前に仕事をすることで心の負担を和らげてあげられればとも思うのですが、母にとってはいつになっても子供にしか見えないようで」

「当たり前よ。甘えるのが一番の親孝行。君の時分ならまだね」

「そうかもしれませんけど、どうにも気恥ずかしくも感じる年になってきてしまいました」

 ジュネは苦笑いしている。

「そうよ。お母さんにべったりは恥ずかしい時分なの」

「あら、あなたはまだまだ子供よ」

「もー、お母さんったら!」


(すごく温かい。こんな感じ、久しぶりかも)


 ジュネが加わっているのに団欒を感じているコリューシャだった。

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