第五八節 雨の台府中央高校戦

 一〇月一五日、朝五時三二分。この日は小雨がぱらついていた。部屋の窓には小さな雨粒。陽太は横へと流れる雨粒を目で追う。


 この日は昼前から雨脚が強くなるという予報。試合開始は前日と同じく午前一〇時。会場は変わり、利堂総合運動場。出発時間には少し余裕がある。


 

 「歩いてこようかな」



 陽太は私服に着替え、傘立てから傘を取り出し、玄関のドアを開けた。外は少し肌寒く、冷気が陽太の全身を包む。



 歩いていれば温かくなるだろう。


 陽太は傘を開き、歩き出した。



 雨の中での試合。陽太は中学校時代まで何度も経験している。


 ぬかるんだ土のグラウンドでの試合、人工芝に水たまりができるほどのピッチでの試合。それらは陽太にとって大きな経験となった。


 

 「その場合のボールの奪い方と送り方を勉強できたからな」



 これも大きな武器となるだろう。



 しばらく歩くと、見覚えのある後姿が陽太の目に飛び込んだ。その人物は黒のジャージを着用し、ジョギングをしていた。


 その後姿は道をまっすぐ進む。そして、十字路を右へと曲がった。


 陽太は立ち止まり、何かを確信した表情を浮かべる。



 きっと、そういうことなのだろう。




 不意に口元を緩めた陽太は小さく頷き、歩き出す。


 同時に雨粒が大きくなった。



 六時一八分に自宅へと戻った陽太。畳んだ傘を傘立てに置き、靴を脱ぐ。廊下を歩くと、食欲をそそる音が耳に届く。リビングのドアを開けると同時に食欲をそそる匂いが。


 

 「歩いてきたの?」



 ドアが開く音で希は振り返り、尋ねる。



 「うん。早く目が覚めちゃって。それに、今日は少し時間に余裕があるし」


 「今日はどこで試合?」


 「利堂総合運動場で一〇時から。相手は台府中央だよ」



 すると、希の手が止まる。そして、無意識にキッチンの換気扇を見つめる。



 「台府中央って敦君が通ってる高校だよね」


 「うん。でも、ベンチに入ってるのかは分からない。敦と対戦したいけど、今は対戦したくない。楽しみは先にとっておきたいから」



 陽太の言葉に希は笑みを浮かべる。



 楽しみは先にとっておきたい。



 敦も同じ気持ちだ。



 

 陽太は椅子に腰掛け、テレビの画面を見つめる。陽太の耳にはアナウンサーのやさしい声が。


 同時に室内が暖まる。



 数分後、希は朝食をテーブルへ並べる。この日はツナパスタと焼きおにぎり。


 陽太は手を合わせ、フォークを持った。



 美味しい!



 陽太の体と心が温まった。




 「ごちそうさま!」



 食事を終えた陽太は食器を流しへ。希は食器を洗う。


 それから間もなくして、リビングのドアノブが回る。陽太と希はドアを見る。


 ドアが開くと、眠たそうに目を擦る陽菜の姿が。



 「あら、早いね。ご飯まだ出来てないの。もうちょっと待ってね」


 「うん…」



 陽菜は眠たそうな声でそう言うと、そのまま椅子へ腰掛け、大きな欠伸を一つ。再び目を擦り、陽太を見つめる。



 「何か心配事か?」



 陽太の目に映る陽菜の表情はそのように見えた。



 「ううん。まだ眠いだけ。お兄ちゃんの学校が勝てるようにお祈りしてるね!」



 笑顔でそう話す陽菜。彼女の言葉に陽太と希が微笑んだ。



 「ありがとう、陽菜!」



 

 七時一一分。陽太は玄関のドアを開けた。ドアが閉まる音を聞き、健司は朝刊を畳む。



 「台府中央は攻守のバランスが良い。そして、ミスを見逃さない。攻撃ではボールを持った時の初動がカギになるな」



 健司はそう言い、湯呑を傾ける。


 

 台府中央高校は高校総体県大会上位常連。この年の高校総体県大会では準決勝の吉田体育大学附属高校との試合で延長戦にまで及ぶ激闘を演じた。惜しくも二対一で敗れてしまったが、台府中央高校の強さはホンモノだった。



 湯呑を置く健司。そして、希があることを尋ねる。



 すると。

 


 「知識が豊富な選手がピッチにいると有利だ」



 

 「終点の利堂に到着です」



 陽太は利堂駅の改札口を抜け、折り畳み傘を開き、利堂総合運動場へと歩く。歩道には小さい水たまりができていた。



 八時一三分に到着した陽太。すると、目の前で笑顔で陽太に手を振る一人の少年の姿が。陽太は笑顔で駆け寄る。



 「公太!」


 「おはよう。やっぱり、陽太がいると緊張がほぐれるな」


 「何だよ、それ!」



 陽太は照れ笑いをする。しかし、公太の話していたことは本当だった。



 二人は笑顔で言葉を交わす。その姿をある人物が遠くから眺めていた。



 今回はピッチで対戦できないけど、楽しみはまだとっておく。絶対に負けないからな!



 「どうしたんだよ?」



 一緒にいた人物に声を掛けられると、笑顔で「何でもないよ」と返した。そして、サッカーの話題で盛り上がっていた。



 

 八時三〇分過ぎ。山取東高校のベンチ入りメンバーはロッカールームへと入る。練習着に着替え、ピッチに出、練習を開始した。


 芝の感触を確かめる陽太。



 動きやすい…!



 管理会社の手入れがあってこそ。サッカーができるのはプレーできる環境を整備してくれる人がいてこそ。陽太は改めて実感した。



 ありがとうございます。



 陽太が右脚を振り抜くと、きれいにゴールネットへと吸い込まれた。



 その姿をスタンドから眺める敦は何かを確信した。



 きっとそうなる、と。


 

 何かを心待ちにするように練習する陽太を見つめた後、台府中央高校の練習風景を眺める。



 勝ちましょう。




 九時四五分。スターティングメンバーとリザーブメンバーが発表された。敦は電光掲示板を見つめる。



 山取東高校は一回戦と同じスターティングメンバーで臨む。



 どこかほっとしながらも残念そうな表情の敦。



 追い越されたくはないが先発で見てみたかった。


 このような気持ちだった。



 九時五五分。拍手の中、両校のスターティングメンバーがピッチヘと姿を現す。選手は握手を交わし、主審のコイントスでエンドが決定。


 両キャプテンが握手を交わし、ピッチヘと散る。



 同時に雨脚が強くなり始めた。


 その雨音を打ち消すかのようにホイッスルが鳴り響く。



 台府中央高校のキックオフで前半が始まった。台府中央高校は細かくボールを回す。



 絶対勝つ!



 陽太と敦は同時に拳を握り締め、選手を鼓舞していた。

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