第五六節 試合への「飢え」が呼び起こしたもの

 後半四分。幸秀がキャッチしたボールを転がす。


 ボールは樹と交代で入った陽太の足元へ。ボールを受けた陽太は動じることなく周囲を見渡しながらドリブルで進む。


 稲松商業高校のフィールドプレーヤーは陽太の動きを注意深く見る。


 

 五メートル程進み、止まる。


 すると次の瞬間、陽太は相手陣地深くにロングパスを出す。それを見て、山取東高校の前線の選手が一斉に走る。彼らを追いかけるように稲松商業高校のディフェンス陣も走る。


 ボールはゴールエリア手前へ。そのボールに触れたのは孝彦。


 胸で落とし、俊哉へ。俊哉はドリブルでペナルティーエリア内へ。二人かわし、右脚を振り抜いた。


 ボールはゴール左上へ。GKが跳び、両腕を伸ばす。


 ボールは右手に当たり、ゴールポストを叩く。


 ボールはゴール手前へ。


 そのボールに亮太が反応。そして、押し込む。


 しかし、GKのセーブに遭う。ボールは転がり、大きくクリアされる。


 山取東高校のスローインとなった。



 悔しがる亮太。



 「次だ」



 公彦が亮太の背中に手を置く。


 亮太は頷き、すぐ攻撃に参加。



 幸俊がスローインを出し、細かくパスで繋ぎ、ゴールへと迫る。


 しかし、強固なディフェンスに阻まれ、ボールを奪われてしまった。



 一〇番の選手が右サイドを駆け上がる。亮太が抜かれないようにマークにつく。


 一対一の状況。互いが次の動きを窺う。



 その時だ。



 一〇番の選手が一瞬だけ右へ視線を逸らす。そして、右脚を動かす。


 亮太は同じ方向へ視線を向けようとした。


 それを見て、左へ抜けた。



 しまった。



 亮太は一瞬遅れ、右へ動く。しかし、抜かれてしまう。



 その時。



 えっ…。



 一〇番の選手は何が起こったのか分からないような表情になった。そして、一つ息をつく間にボールを足元から奪われてしまった。



 えっ…。



 戸惑いを見せる一〇番の選手は数秒秒間、その場から足を動かすことができなかった。



 「試合への『飢え』が何かを呼び起こしたか」



 スタンドで試合を観戦している一人の男性が呟く。



 「一九番!」



 八番の選手が大きな声で指示を出す。


 赤いユニフォームを身に纏った「一九番」は圧倒するような雰囲気でドリブルで突き進む。


 彼に三人のディフェンスがつく。



 突破か、パスか。



 足元でボールを転がしながら様子を窺う。右へ左へと揺さぶる。三人は彼を注視する。


 次の瞬間。


 

 山取東高校の「一九番」は右サイドへ切れる。それを見て、稲松商業高校の一一番はボールを奪いに行く。



 「一九番」はそれを見て、一一番に向かうようにドリブルで突き進む。


 一一番の選手は足を出す。



 それが「一九番」の狙いだった。



 ボールは一一番の選手の股下を通過。振り向く背番号一一番。


 「一九番」は右サイドから中央へ。



 稲松商業高校は八番の選手がマークにつく。


 抜かせないぞ。


 

 鬼気迫る表情で「一九番」を注視する。



 「一九番」は周囲を見渡す。今度は誰かを求めるような表情で。



 すると。



 「へい!」



 手を挙げながら幸俊が呼ぶ。


 「一九番」は幸俊にスルーパスを出す。まだ精度に欠けるが、幸俊が上手く受ける。



 ボールを受け、右サイドからドリブルでペナルティーエリアへ侵入。


 一人抜き、やわらかいボールを上げた。


 ボールはゴール左手前へ。


 反応したのは孝彦。頭で合わせたボールはゴール左上隅へ。


 GKが跳び、両腕を伸ばす。


 ボールは枠を見事に捉えたが、GKが右手で弾く。そして、ゴールエリア外へ。


 そのボールに反応したのは俊哉。足元でボールをしっかり保持し、ディフェンスを背負う。


 そして。



 左サイドの亮太がサポートへ。スペースを上手く見つけた俊哉はスルーパスを出す。


 ボールは繋がり、亮太はそのままシュートを放った。


 GKが跳び、腕を伸ばしたが、それと同時にゴールネットが揺れた。



 後半八分だった。



 山取東高校のスタンドが沸いた。亮太の元へ俊哉達が集まる。


 ハイタッチを交わす亮太。「一九番」が駆け寄ると、亮太は笑顔でこう声を掛けた。



 「良いもの持ってるじゃんか!今まで隠してたのか?」



 冗談を言うように笑顔で尋ねる亮太。



 「いや…。もう、夢中で…」



 こう答えると、亮太は笑顔で彼の左腕に手を置く。そして、一言、二言、言葉を掛け、ポジションへ戻った。



 スタンドで応援している和正は陽太を見つめながら小学校時代を思い出していた。



 「無意識だったんだろうな。この前のノールックとは正反対に」



 和正の言葉に隣で応援している猛が彼を見る。




 「誰よりも試合に飢えていたからな、陽太。その『飢え』が何かを呼び起こしたのかもな。無意識のうちに」



 ベンチで戦況を見つめる将が言うと、大輔と公太、卓人が彼を見る。



 ポジションへ戻る陽太の表情は四人がいつも見ている彼の表情だった。



 

 試合は後半二一分。


 稲松商業高校の猛攻を凌ぎ、幸秀が陽太へパスを出す。ボールを受けた陽太はプレッシャーをかわし、ドリブルで突き進む。


 これも無意識だった。



 そして、亮太へショートパスを出す。亮太は左サイドを駆け上がり、敵陣深くからクロスを上げた。


 ボールはペナルティーエリア中央へ。そのボールに後半一八分から幸俊と交代で出場している大輔が右足で上手く合わせた。


 ボールはきれいにゴール右上隅に吸い込まれ、ゴールネットが揺れた。


 大輔の元へ山取東高校フィールドプレーヤーが集まる。笑顔でハイタッチを交わす大輔。


 

 最後に大輔に歩み寄ったのは陽太。



 「凄いドリブル突破だったな」



 笑顔の大輔に陽太はこう返す。



 「ほんと?よく覚えてなかった。無意識に体が動いてたから」


 「覚えてないのかよ!でも、ほんとに凄かったぞ。絶対勝つぞ!」


 「うん!」



 笑顔で頷く陽太。そして、ポジションへと戻る。



 ポジションに立った大輔は陽太を見つめながら将の言葉を思い出していた。



 『飢え』が呼び起こしたものが更に大きくなったら誰も手が付けられなくなるぞ。が最大になった時。それはつまり、全国に行ける時だ。インターハイも国立も夢じゃないぞ!

 


 後半は三五分を過ぎた。追加時間は三分。稲松商業高校は素早くパスを繋ぐ。山取東高校陣地内へ侵入すると、パスを受けた一〇番の選手がゴール中央へクロスを上げる。


 落下地点に六番の選手。上手く受け、足元へ。


 シュートを放とうとした次の瞬間、ボールはペナルティーエリア外へ転がる。そして、後半三〇分から俊哉と交代で出場している卓人が拾い、そのままドリブルでボールを運ぶ。



 卓人を追いかけるように陽太が走る。次々と稲松商業高校の選手を追い抜く。



 卓人はペナルティーエリア正面からシュートを放つが、GKに阻まれ、稲松商業高校のカウンター。


 しかし、山取東高校のある選手によって攻撃は阻まれ、ホイッスルが鳴った。




 二対一。


 山取東高校は一回戦を突破した。



 スタンドへ一礼した後、両校のイレブンは握手を交わし、ベンチへ戻る。大石は選手を労う。


 そして、陽太と労いの握手を交わす。陽太はお辞儀をしながら応える。


 選手はロッカールームへ。


 大石は陽太の後姿を見つめる。



 あいつは間違いなく大器になる。より上を狙える程の。高校サッカー界では無名の公立高校に凄い生徒が入ってきたもんだ。



 しばらくして、大石は歩き出した。



 ロッカールームへ向かう大石の表情には無意識に笑みがこぼれていた。

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