第五二節 緊張<楽しみ

 一〇月一三日、朝五時五一分。少し肌寒い部屋の空気で陽太は目を覚ました。



 「寒いな…」


 一瞬だけ起きることを躊躇ったが、すぐに上体を起こした。



 陽太の目に映ったものは山取東高校男子サッカー部のジャージ。ユニフォームは赤地だが、ジャージは黒地。


 背中の「YAMATORI EAST」の白文字が陽太の目に映る。



 「明日か…」



 翌日から冬の選手権県二次予選が開幕する。一次予選でシード校の三分の一以上が一次予選で姿を消した。


 山取東高校は一回戦で稲松商業高校と対戦する。どのような試合になるのだろうか、と陽太は想像を巡らせる。



 「分からないな…」



 考えても仕方ないと気持ちを切り替え、少し早いが制服に着替えた。



 時刻は六時四分。


 部屋を出て、階段を下りる陽太。すると、リビングの方からコンロの火を点ける音が聞こえる。


 希は既に朝食作りを始めていた。僅かにできたドアの隙間から味噌汁の匂いが陽太の元まで漂う。陽太はその匂いに誘われるようにリビングへと入った。



 「おはよう。早いね!」


 

 希はコンロの火を消し、陽太を見る。



 「緊張なのか分からないけど、早く目が覚めちゃってさ」


  

 希は陽太を見つめる。そして、何かを感じた。



 「緊張よりも楽しみが勝ってる感じがするよ。小学校の頃からそうだったじゃない!」



 楽しみ。


 確かに、陽太の心の中には緊張とともにワクワク感が伴っていた。技術では追いつけなかったが、誰よりも試合の日を楽しみにしていた。


 それは高校生になっても変わっていなかった。


 和正と希には僅かな見方の違いがあるのかもしれない。



 「『緊張を楽しめるところも陽太の良さ』ってお父さんが言ってたよ」


 

 笑顔でそう話す希。


 これまで気付かなかった自身の一面に気付いた陽太。


 それは、和正達が陽太に対して安心感を抱いている理由の一つでもあった。



 理由は分からないが、照れた表情を浮かべる陽太。ほんの僅かだが、自信が出てきたようだった。



 ダイニングの椅子の言腰掛け、テレビを点ける陽太。画面が映ると、丁度天気予報が流れていた。



 「明日は曇りか」


 

 声は少し曇っているが表情はどこか晴れやかだった。



 しばらくし、希がテーブルの上へ朝食を並べる。テレビを観ている陽太の耳にはスポーツニュースを伝えるアナウンサーの声とテーブルの上に皿を置く音が届く。


 それからすぐに、テーブルへ体を向けた陽太は手を合わせ、箸を持った。


 

 味噌汁を啜る陽太。同時に陽太の体を温める。



 もし、出番が来たら。


 ふと、そのようなことを考えながら目玉焼きを口へ運んだ。



 

 「ごちそうさま」



 食事を終えた陽太は食器を流しへ運ぶ。それと同時に健司と陽菜がリビングのドアをくぐる。そして、椅子へと腰掛けた。


 二人の姿を見て、希は朝食をテーブルへと運び、並べる。



 「陽菜、早いね」


 「何か目が覚めちゃった…」


 そう言いながら袖で目元を拭う陽菜。



 陽太は食器を洗う。その後姿を陽菜が箸を持ちながら見つめる。



 お兄ちゃん、出るの?


 そう尋ねるような眼差しだった。


 

 

 「行ってきます」


 陽太は玄関のドアを開け、学校へ。


 陽菜は健司と言葉を交わす。



 「準備が終わったわけじゃない。今は持ち物を確認しているところなんだ」


 「持ち物?」


 「全国に行くために必要な物をね」



 健司のやさしい表情を見つめながら陽菜は箸を置く。


 全国に行くために何が必要なのか。それを確認している最中。健司はそう話す。



 グラスの水を飲み干し、テーブルへ置く陽菜。そして、天井を見つめる。

 

 同時にテレビではプロサッカー選手のインタビューが流れていた。そのインタビューの中に答えが隠されていた。


 陽菜にはその声が聞こえなかった。しかし、いずれ分かる。それはまだ先のこと。



 時計を見る陽菜。



 「先生に怒られちゃう!」



 そう言うと、跳び起きるように椅子から立ち、ランドセルを持ち、玄関のドアを開けた。


 希は「まったくもう…」と言いながらやさしく微笑んでいた。



 「忘れ物してないかな?」



 希の言葉が届いたかのように陽菜はランドセルの中を確認する。



 「大丈夫!」



 そしてランドセルを背負った。





 「陽太」



 陽太が教室へ入ると、昭仁が声を掛ける。



 「ワクワクしてるだろ?」


 「言われてみればそうかも」


 「何だそりゃ!」



 昭仁は笑う。


 

 笑顔を交えながら言葉を交わす二人。昭仁はメンバーに入ることができなかったが、前を見ていた。



 「今回は叶わなかったけど、新人戦は絶対ベンチに入りたい。そして、いずれは不動のGKになる!」



 昭仁は目を輝かせる。



 「でも、今は二次予選で陽太達を後押しすること。それだけ!」



 陽太は笑みを浮かべる。


 昭仁の言葉は陽太の心ど真ん中に届いた。



 「陽太が出場したらスタンドはお祭り騒ぎだな」


 「大袈裟だよ。それはそれで嬉しいけどさ」


 「嬉しいんじゃねえか!」



 二人の楽し気な会話は廊下で言葉を交わす大輔と将の耳にも届いていた。


 

 「練習初日の陽太のプレーを見た時、DMFを諦めようと思った。将司と健二郎のプレーを見て更に。実際、諦めて正解だったかもな」


 「でも、戦術や状況によってはDMFとして陽太達と組むこともあるだろ」


 「確かにな。将司、健二郎とは何度も組んでるけど、陽太とは組んでないな。実際、陽太と組んだらどうなるのかな」



 大輔は空を見つめながら考える。


 その会話が耳に入った将司と健二郎は同時に心の中でこう答えた。



 ワクワクするよ、その組み合わせ!



 それは、陽太と大輔以外の山取東高校男子サッカー部員、女子サッカー部員全員の総意であった。



 でも、負けないぞ!


 そう意気込んだ将司と健二郎。



 大輔と将は再び陽太を見る。


 二人の目に映るのは翌日の一回戦を心待ちにする笑顔の陽太だった。

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