第五三節 ピンチの時こそ必要な男

 「一回戦のスターティングメンバーを発表するぞ」



 練習終了後、大石は一枚の用紙を持ちながらメンバーを発表した。


 GKは秀幸が呼ばれた。キャッチングは勿論、足元の技術にも長けており、大石はビルドアップにも期待している。


 DFはSBに三年生の大槻健吾おおつきけんご井上文也いのうえふみやの名が。大輔を上回る運動量を誇り、サイドからの仕掛けにも長けている。


 CBはキャプテンの公彦と広和、三年生の西正英にしまさひでが。広和と正英は高さに加えて対人の強さを誇る。公太の目標とする選手二人でもある。


 MFはDMFに樹、RSHに幸俊、LSHに三年生の高林亮太たかばやしりょうた、OMFに同じく三年生の川野孝彦かわのたかひこという布陣。亮太と孝彦はドリブル突破と精度の高いパスが武器。そして、得点も奪える。貴重な攻撃の要だ。


 FWはワントップで俊哉。


 この一一人がスターティングメンバに名を連ねた。リザーブメンバーには陽太達一年生と決定力の高い三年生のOMF、岡島淳吾おかじまじゅんご、相手との一対一に強い二年生のFW、城石道大しろいしみちひろ。そして、徹と佳宏が入った。


 徹は俊哉と同じく、ドリブルでシュートまで持っていくことができる。


 佳宏はキャッチングに加え、果敢にボールを止めに行くセービングが武器。一歩間違えればファウルになってしまうが、ファウルを取られないセービングで数多くのピンチを救ってきた。


 佳宏はまだ二年生。昭仁達は佳宏の壁を越えなければならない。



 「このメンバーでいく。今日は明日に備えてこれで終了だ。ゆっくり休んで明日に備えろ。解散!」


 「ありがとうございました!」



 時刻は五時四二分。薄暗くなったサッカー場を出て体育館へ向かう男子サッカー部員。


 サッカー場を出る彼らの後姿を雅彦達野球部員が見つめる。


 

 「明日、二次予選だっけか」


  辰己の言葉に雅彦が頷く。



 「勝ち進めよ、陽太…!」


 エールを送る雅彦。



 二人の目に映ったのは薄暗い空の下を歩く男子サッカー部員の後姿。そして、その後姿は夕闇の向こうへと消えていった。



 

 「お疲れー」



 男子サッカー部員が次々と更衣室を出る。陽太はその声を聞きながら練習着を脱ぎ、汗を拭う。


 

 「稲商か…。堅守速攻とは聞いてるけど、具体的にどんなサッカーをするんだろ」


 学校名は認知しているが、パスで繋ぐのか、ドリブルを仕掛けるのか。そこまでは認知していない。


 しかし、陽太にとっては相手の戦術はあまり関係なかった。



 「まあ、俺達のサッカーをするだけだもんな」


 それこそが勝利のための戦術なのだから。


 

 陽太は制服に着替え、体育館を出た。外は少し肌寒い空気に包まれていた。



 

 「ただいま」



 六時三七分に玄関のドアを開けた陽太。その音を聞き、陽菜がリビングのドアを開け、陽太の元へ駆け寄る。


 笑顔で陽太を見つめる陽菜。


 陽太は笑顔の陽菜の頭に手を置き「ただいま」とやさしく声を掛け、階段を上った。


 陽菜の目に映った陽太の背中に「緊張」の二文字はなかった。




 リビングのドアを開け、椅子へ腰掛けた陽太。テーブルの上には陽菜と希の夕食が並ぶ。健司はまだ帰宅していない。


 希は陽太の夕食を準備する。


 椅子に腰掛け、陽菜と言葉を交わす陽太。リラックスした陽太の表情が陽菜の目に映る。



 しばらくして、希は陽太の分の夕食をテーブルの上へ並べる。ご飯茶碗を置くと同時に陽太の表情を見る。リラックスしながら楽しそうな表情を浮かべる陽太の表情が彼女の目に映る。


 

 希は陽太の表情を見て、昔を思い出していた。



 しばらくして、二人の楽し気な会話を耳に入れながらキッチンへと戻る。その表情には無意識に笑みがこぼれる。



 

 「ごちそうさま」



 食事を終え、流しへ食器を運ぶ陽太。そして、キッチンから出たと同時に健司がリビングのドアを開けた。



 「おかえり。すぐ用意するね」


 「おう」



 希と言葉を交わし、ダイニングの椅子へ腰掛ける健司。彼の目の前には美味しそうに味噌汁を啜る陽菜の姿。健司はやさしい表情で陽菜を見つめながら、陽太に尋ねる。



 「稲商か」


 「うん。でも、向こうの具体的な戦術は分からないから。自分達のサッカーをするだけだよ」


 

 健司はその言葉に頷く。



 「それが一番の戦術だからな。出番が来てもいいように、しっかり準備しておけよ?」


 「勿論!」



 力強く頷く陽太。


 健司も頷き、この日の朝刊を両手で持ち、広げる。偶然にもスポーツ面を開いていた。



 それからまもなくして、リビングのドアが閉まる。その音を聞き、陽菜が健司に尋ねる。



 「お兄ちゃん、出るかな…」



 その言葉に健司は紙面を捲ろうとした手を止めた。


 リビングのドアを見つめていると、健司の頭の中で映像が流れた。ある人物がピッチに立つ映像が。


 しばらくして、紙面へ視線を戻す健司。


 陽菜の目にはテレビ欄と一面が映る。


 

 健司が朝刊を下ろす。そして、やさしくこう答えた。



 「ピンチの時にお兄ちゃんは出てくるかもしれないな。チームを助けるために」



 陽菜は身を乗り出すように健司の話に耳を傾ける。



 「そして、二年後。お兄ちゃんはより上の舞台から注目を浴びるぞ。そして、卒業したら…」


 その先を話さずとも、陽菜には分かっていた。



 「皆に自慢出来ちゃうなあ」



 卒業後の陽太の姿を想像し、目を輝かせる陽菜。


 陽菜を見つめながら健司は二階にいる陽太に心の中でこう言葉を掛ける。



 チームがピンチの時こそ、陽太が必要だ。大石先生も森君も同じ意見だ。一年生だからって遠慮することはない。出場したら自分の持っているものを全て出せ。それが勝利に繋がる。そして、その中で全国に行くために必要なものが見つかる。しっかり、それを持って帰るんだぞ?


 

 言葉を掛け終わったと同時に希が食事を並べる。




 その頃、陽太は翌日の持ち物を確認していた。


 

 「ユニフォームとタオルとスパイクと…」



 全て揃っている。陽太はバッグの縁を締めた。


 椅子に腰掛け、天井を見つめる陽太。



 俺に何が出来るか分からないけど、自分に出来ることをやるだけ。


 心でそう呟き、拳を握り締めた。



 しばらくして、階段を下りる陽太。すると、リビングのドアの向こうから健司と希の会話が陽太の耳に届く。



 「ピンチの時、陽太が絶対必要だ。俺はそう思ってる」


 「いたら心強そうだもんね!」


 

 立ち止まり、会話に耳を傾ける陽太。


 

 自分に出来ることは何か。



 それは健司の言葉の中に。



 それから間もなくして、リビングのドアが開く。姿を見せたのは笑顔の陽菜。



 「ヒーローになってね、お兄ちゃん!」



 陽菜は廊下を歩き、階段を上る。陽太は陽菜の後姿を見つめながら頷いた。



 「絶対になるからな。それが皆への恩返しだと思ってるから。見ててくれよ、陽菜!」


 

 そう陽菜に誓い、拳を握り締めた。



 多くの応援を背に、陽太は初の公式戦に挑む。



 



 

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