第五一節 夢への更なる一歩
一〇月五日。
「休憩!」
公彦の言葉で男子サッカー部員はテントへ。陽太はベンチに腰掛け、水筒に入ったミネラルウォーターで喉を潤す。
水筒をベンチへ置くと立ち上がり、一度練習場を抜け、野球場の前へ。
ボールを打つ金属音が陽太の耳に届く。
陽太は打撃練習の様子を眺める。
鋭い打球がレフト方向へ。ボールはフェンスを直撃し、跳ね返る。
打者は雅彦だった。
陽太は夢中になって打撃練習を眺める。
しばらくして、雅彦がバッティングケージを出る。すると、陽太の姿に気付いたのか、彼へ顔を向ける。同時に微笑みながら手を振る。
陽太は応えるようにやさしい表情で手を振る。
その様子を練習場へ戻る途中の将が見つめる。
中学校時代の陽太と雅彦を知る将。二人の心の会話が耳に届いたのか、無意識に口元が緩む。
「そうだよな…!」
そう呟いた将は練習場へと入った。
「二次予選はメンバーを入れ替えようかと思ってる」
練習終了後、大石は森にそう話す。
照明に照らされる練習場から輝久と公太が出ると、大石が続ける。
「とはいっても、先発は二、三年生主体だ。ベンチに一年生が何人か入るかもしれない。メンバーはまだ決まっていない。どれだけアピールできるかだ」
森は唸るように息をつく。
「森君が話していた子も入る可能性がある。だが『絶対』ではない。競争に打ち勝ってその座を掴んでほしい」
全員平等。
チャンスは全員に転がっているのだ。
そのチャンスを掴むのは誰か。それは翌週に分かる。
二人が練習場を出たと同時に優斗と大二郎が体育館を出た。
翌日以降も厳しい練習に取り組む山取東高校男子サッカー部。
皆、鬼気迫るプレーでアピールする。その雰囲気は大石にも伝わっていた。
「何事も手を抜くな。そういう奴はあっという間に抜かれる」
大石は部員に常にこう話していた。彼らの動きはこの言葉が染みついているようだった。
陽太はミニゲームでボールを奪い、素早くスルーパスを出した。精度には欠けるが、見事に得点に繋がった。
大石は表情を変えず、練習を見つめる。
チーム内競争は一段と激しさを増した。
翌日の練習終了後。大石の元に男子サッカー部員が集まる。大石は右手に一枚の用紙を持っていた。
「二次予選のメンバーを発表するぞ」
この言葉で部員全員に緊張が走った。
「まず、GK」
名前が呼ばれ、部員が「はい」と答える。
「飯塚…、桑原」
佳宏と三年生の
緊張がより高まる。
「DF」
陽太は和正を見る。
和正は呼ばれるだろう。
一年生部員全員がそう思った。
公彦を筆頭に、三年生の名前が呼ばれる。
そして、五人目。
「板垣」
その瞬間、一年生部員が公太を見る。そして、拍手が起こる。公太は何が起こったのか分からないような表情を見せる。
数秒遅れて慌てるように「はい」と答える公太の鼓動は高鳴っていた。
「上原」
DF最後の一人に三年生の
和正の名前は呼ばれなかった。驚いた表情を浮かべる一年生部員。
和正は表情を変えることなく、メンバー発表に耳を傾ける。
「MF」
陽太は平常心を装うが、緊張をごまかすことはできなかった。
「森野…、橋本…」
一次予選のメンバーにも入った二人の名前が呼ばれる。なかなか一年生の名前は呼ばれない。
陽太達の鼓動がさらに高鳴る。
六人目。
「進藤」
その瞬間、拍手とともに将へと視線が集まる。公太と同じような反応を見せる将。隣に立つ陽太が笑顔で彼の背中に手を置いた。
七人目。
「松葉」
再び拍手が起きる。名前を呼ばれた大輔は「はい」と答えた後、お辞儀をした。その姿を見た猛は拍手をしながら何かを思い出すようなやさしい表情を浮かべた。
そして、八人目。その人物の名前が呼ばれた瞬間、一年生部員から更に大きな拍手が起こる。
「仙田」
拍手とともに歓声が沸き起こる。その様子は練習場にいる雅彦と瑞穂、舞子の目にも映っていた。
三人は拍手をしながら笑顔で陽太を見つめる。
名前を呼ばれた陽太。
信じられないことを目撃したような表情を浮かべる。今度は将が陽太の背中に笑顔で手を置く。
少しの間の後に「はい」と応えたが陽太の声は拍手と歓声でかき消された。陽太は大石から見える位置に立ち、お辞儀で応えた。その姿を見て大石は心の中で陽太にエールを送った。
お辞儀をした後、陽太は無意識に暗くなった空を見つめていた。
鼓動は更に高鳴っていた。
「FW」
俊哉と徹が順に呼ばれ、三人目に二年生の
そして、最後の一人。
「浅田」
卓人に大きな拍手が送られた。「はい」と応え、お辞儀をする卓人の表情は緊張から解放されたようだった。
「以上だ。二次予選はこのメンバーでいく。それじゃ、今日はこれで終了だ。解散!」
「ありがとうございました!」
挨拶を終え、ベンチへと戻る一年生部員。
「俺の分まで頑張ってくれよ、公太!」
和正が笑顔で公太に声を掛ける。
「ありがとう!でも、まさか俺が選ばれるとは思ってなくて…」
自身が選ばれた理由は何なのか。それを自身へと問う公太。
しかし、分からなかった。
「一年生を五人入れましたね」
「まあ、ベンチスタートになるがな。それでも、競争に打ち勝った証拠だ。出場したら全力でぶつかっていってほしい」
大石はそう願いを込めた。
ところで。
「そういえば、和正君が入りませんでしたが」
森の問いに大石はこう答える。
「まあ、入れたかったんだがな。だが、ミニゲームで板垣を島川と組ませてみたら思った以上にはまってくれた。そして、連携が思ったよりも早く深まった。西に関してはどうしても外せなかった。島川との相性は勿論だが、カバー力があるからな。板垣と西がいるから今野は少し休ませようかと思ってな」
森が「なるほど」と言うように空を見つめながら頷く。
「今野と板垣を組ませるのも面白そうだな。板垣には高さに加えて、対人の強さとビルドアップの上手さがあるから」
共感するように頷く森。
そして。
「一番楽しみなのはあいつだ。公式戦でどれだけ自身の力を発揮できるか楽しみだ」
大石は心を躍らせていた。
「二年後、絶対注目選手になる。あいつには誰にも負けないものがあるからな」
大石の言葉に森は笑顔で頷く。
二人が練習場を出ると、体育館から出る陽太の姿が目に映った。
「そうか…!」
健司は自宅の廊下で携帯電話を握りながら笑みを浮かべる。
嬉しそうな声でとある人物と通話する。
希と陽菜の耳にも健司の声が届く。
しばらくして通話を終え、リビングのドアを開けた健司。それと同時に希が歩み寄る。
「ほんと!?」
健司の言葉で希の表情に笑顔がこぼれる。そして、色鉛筆を持つ陽菜を見つめる。
「どうしたの?お母さん」
陽菜の問いに希は「何でもないよ」と笑顔で答え、キッチンへ戻る。
陽菜は希の後姿をしばらく見つめ、色鉛筆で何かを描く。
健司は携帯電話の画面を見つめながら、陽太に心の中で言葉を掛ける。
夢へ一歩近づいた証拠だ。だが、夢へは険しい道が待っている。その道をどう歩むかは陽太次第だ。自分の力で道を更に切り拓いていけ。陽太ならできるはずだ。これまで多くの困難を乗り越えてきたんだから。
陽菜の正面に腰掛ける健司。同時にやさしい表情を浮かべる。
彼の目に映ったのは陽菜が白い用紙に描いた赤いユニフォームの陽太の姿だった。
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