第三三節 陽菜が感じた陽太の凄さ

 六月四日。



 「ただいま」



 陽太が七時前に玄関のドアを開けると、陽菜がリビングのドアを開け、出迎える。笑顔を浮かべる陽菜の左手には練習着。


 陽太が小学校時代に着用していたものと似たデザインの練習着だった。



 「お父さんに買ってもらったの!お兄ちゃんみたいな凄い選手になりたいから」



 笑顔でそう話す陽菜。


 陽菜の言葉を聞き、彼女が持つ練習着を見つめる陽太。



 陽菜は陽太が実際に試合に出場している姿を見たことがない。


 しかし、自宅の庭でリフティングしている姿は何度も見ている陽菜。たったそれだけで「凄い選手」という認識を持てるのか。


 陽太はそう思った。



 だがそれは、お互いが独自の視点を持っていたからだ。



 卓越したテクニックを持つ選手、縦横無尽にピッチを走り回るほどの豊富な運動量を持つ選手。それらは陽太が思う「凄い選手」だ。


 しかし、陽菜の思う「凄い選手」は違う。それは目に見えるようで見えにくいもの。陽太自身にはまだ見えないが、周囲には既に見えているもの。陽菜はそれを陽太から感じ取っていた。


 その正体は陽太自身には分からない。


 当たり前だが、陽太にしてみれば、当たり前ではない。


 陽太はその正体を探しているところ。その正体を知った時、陽太は一つ成長する。


 つまり、ホンモノに近付くことが出来るのだ。



 陽菜が陽太から感じ取ったものは健司と希、そして、山取東高校男子サッカー部関係者と同じもの。


 いや、それ以外にもあった。


 

 和正達が持っていないもの。


 陽太しか持っていないもの。


 それがチームに貢献出来るもの。



 「お兄ちゃん、サッカー続けてね!大人になっても」


 満面の笑みを浮かべ、リビングへ戻る陽菜。



 「『大人になっても』か…」


 妹の背中を見つめる兄はそう言葉を漏らす。


 陽菜がリビングのドアを閉めると同時に、陽太は階段を上った。


 


 バッグを寝室へ置き、一階へ下りてダイニングの椅子へ腰掛ける。そして、手を合わせ、味噌汁の器を持つ。同時に、陽太の背後から陽菜と健司の会話が。



 「コーチに褒められちゃった」


 「練習の成果だな。この調子で頑張ればもっと上手くなるぞ」


 「ほんと!?大人になってもサッカー出来るかな」


 「出来るさ」


 

 そう話した健司は一瞬だけ陽太を視線を向ける。



 陽太は味噌汁の器を置き、希と言葉を交わす。



 「陽菜に負けないように頑張らないとね」


 「うん。そして、ベンチに入れるように頑張るよ!」


 

 希の言葉に力強く応える。


 微笑みながらその様子を見つめる希。



 「常に挑戦者の気持ちで」


 希には届かない声量で呟いた陽太はご飯茶碗を持った。



 

 「ごちそうさま」



 食事を終えた陽太は階段を上り、寝室の椅子に腰掛け、スパイクの手入れを始める。その中でふと、陽菜の表情が浮かぶ。


 手入れの手を止める陽太。そして、本棚にあるサッカー雑誌の表紙へ視線を向ける。


 陽太の目に映ったサッカー雑誌には彼の目標となるような選手の写真が掲載されている。



 「俺は大したことない選手だけど、陽菜にはどう見えてるんだろう。どの部分を『凄い』と思ってくれてるのかな…」


 

 サッカーを本格的に始める前は陽太の凄さなど全くと言っていいほど分からなかった陽菜。


 しかし、スクールに通い始め、健司をはじめとしたコーチからの指導、スクールに通う子ども達との練習、そして、ミニゲームの中で陽菜はそれを肌身で実感した。



 

 リビングでは健司と陽菜が言葉を交わす。


 

 「お父さんが言ってたお兄ちゃんみたいなプレー、出来るかな」


 陽菜の問いに、健司は腕を組みながらテレビの画面を見つめる。しばらくして、時計の秒針の音とテレビから流れる音声を打ち消すかのように健司は答える。



 「あれは、お兄ちゃんにしか出来ないだろうな。陽菜には悪いが、どんなに練習しても身に付かない。もちろん、お父さんも、他のコーチも」



 健司の言葉をどこか悔しくも素直に受け止める陽菜。



 「お兄ちゃんだから出来ることなんだ。だけど、陽菜だからこそ出来ることがある。それを伸ばすことでお兄ちゃんと同じくらい凄い選手になれるぞ」


 健司が言うと、陽菜はテレビの画面を見つめる。選手にはそれぞれ武器がある。それを伸ばすことで自身の成長に繋がる。そして、チームに貢献することが出来る。



 しかし、今は。



 「サッカーを楽しんでほしいということが一番の願いだな」


 健司はじっとテレビの画面を見つめる。


 陽菜は「楽しいよ!」と言うように健司の横顔を見つめる。



 しばらくして、陽太がリビングのドアを開ける。そして、ダイニングの椅子に腰掛け、希と言葉を交わす。



 「サッカー楽しい?」


 希の問いに戸惑うことなく陽太は笑顔で答える。


 「楽しいよ!辛いこともあるけど、それを乗り越えれば絶対いいことがあると思ってるから」



 その言葉を聞いた健司は小さく頷く。

 

 陽菜は楽しそうに希と言葉を交わす陽太の後姿を見つめる。



 「やっぱり凄いな…」



 何かを感じ取った陽菜。



 陽菜の言葉は和正をはじめとした山取東高校男子サッカー部関係者の気持ちを代弁しているようだった。

 

 

 

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