第二八節 力強いエール

 翌日の土曜日、午後一時過ぎ。練習を終えた陽太は更衣室内で汗を拭う。練習着は汗を含んで重量が増していた。


 「ぐっしょりだな…」



 着替えを済ませ、更衣室を出た陽太。通学路を歩き、自宅へと向かった。その道中、陽太の頭の中でサッカーボールを蹴る音が再生された。


 少しは上手くなっただろうか、と心の中で問うた。



 この日、陽太は和正と一対一の練習を行なった。その中で、陽太は和正の突破を幾度となく阻止し、ボールを奪った。オフェンス面では、まだまだ和正には及ばないが、六回に一回の頻度で和正のディフェンスを突破できるようになった。


 技術が上達しているということもあるが、一番の理由はそれではない。


 その理由は陽太自身には分からない。



 しばらく歩くと雲の隙間から青空が見え始めた。この日は昼過ぎから晴れの予報。


 わずかに見える青空を眺める陽太。


 そういえば。


 陽太はあることを思い出した。


 「遊びに行くって言ってたな…」


 この日は施設の点検でスクールは休み。健司は点検の立ち会い。希は友人と外出。


 陽菜は遊びに行くと陽太に話していたが「誰と」とは話さなかった。



 自宅に着く頃には誰もいない。



 陽太は自身のバッグへ手を入れ、合鍵を探す。


 「あるな…」


 ほっとした表情を浮かべると同時に自宅が見えてきた。


 すると。



 「いくよー!」


 「うん!」



 仙田家の庭からだ。陽太の耳には女性二人の声が届く。そして、サッカーボールを転がす音が。


 そして、聞き覚えのある声が。



 ひょっとして。


 陽太は小走りで自宅へと向かう。



 ボールを転がす音がより大きく聞こえる。そして、女性二人の声も。


 

 庭へ目を向けると、陽太の帰りを待っていたかのように一人の少女が笑顔で陽太に手を振った。



 「おかえり、お兄ちゃん!」


 陽菜だ。 


 笑顔で陽太へ駆け寄ると、陽太はしゃがみ、受け止めるように陽菜の両肩に手を置く。


 「ただいま。遊びに行くんじゃなかったのか?」


 「うん!結衣お姉さんと。でも、お兄ちゃんがもうすぐ帰ってくると思ったから」


 そう答えた陽菜は結衣を笑顔で見つめる。


 陽太は立ち、結衣を見る。


 結衣は笑顔で陽太へゆっくりと歩み寄る。



 「おかえり。練習は順調?」


 「まあまあってとこかな」


 少し冗談気味に笑いながら答える陽太。結衣は笑顔で小さく頷く。



 「火曜日に約束したの。『遊びに行こうね!』って。今日、私は練習が早く終わってさ。陽菜ちゃんは練習がお休みだそうだから。それでね…」


 陽太はなるほど、というように結衣の言葉に頷く。


 

 陽菜は陽太の右腕を掴む。そして、遊びに行こうと言わんばかりに陽太の腕を引っ張る。



 「ちょっと待っててな」


 やさしくそう言い、陽太はドアを開け、一直線に脱衣所へ向かった。


 洗濯機に練習着を入れ、二階へ上がり、部屋にバッグを置いた。そして、着替えを済ませ、階段を下りた。


 玄関のドアを開けると、庭で待つ陽菜と結衣の姿が陽太の目に映った。


 「お待たせ!じゃあ、行こうか」


 陽太が言うと、陽菜は彼の右腕を掴み、誘導するように歩く。結衣は二人の少し後ろを歩く。


 その表情はどこか幸せそうだった。



 到着した場所は公園。陽菜は一直線にブランコへと走る。陽太と結衣は追いかけるように走る。


 

 陽菜がブランコに乗り、陽太が軽く背中を押す。ブランコは徐々に勢いづき、陽菜は楽しそうにブランコを漕ぐ。



 陽菜から見て右で彼女の様子を見守る陽太と結衣。その姿は公園にいた親子にはどのように映っていただろうか。


 

 ふと、陽太へ視線を向ける結衣。陽太は楽しそうな陽菜の様子を微笑みながら見つめていた。結衣の視線には気付いていない。


 

 ブランコの勢いが落ちてきた。陽太はそれを見て、再び陽菜の背中を軽く押した。


 陽菜の楽しそうな声が陽太と結衣の耳に届く。



 結衣の隣へ戻った陽太。


 再び、陽太へ視線を向ける結衣。

 

 「レギュラーの座を掴んで、全国で活躍して…」


 彼女の頭の中で陽太の姿が映像として流れる。陽太の耳に結衣の言葉は届いていない。

 

 「プロになれたら何年間プロとしてプレーできるんだろ…」


 陽太はそう言うと、陽菜の後ろに立ち、背中を軽く押した。再び、ブランコは勢いを増す。


 結衣はまるで自身の言葉が聞こえていたかのようにそう話した陽太を目で追う。



 移籍市場が活発なプロリーグ。大きな活躍を見せることで、ビッグクラブからオファーが届く可能性が高くなる。国内だけでなく、海外も含めて。


 しかし、活躍できなければ契約満了を告げられる。二〇代前半で引退する選手も少なくない。



 「何言ってんだろ。プロになれるかも分からないのに」


 我に返ったかのように笑いながら話す陽太。そしてもう一度、陽菜の背中を軽く押す。



 「まずは、ベンチに入ることからだよな」


 もう一度押し、結衣の隣へ。



 楽しそうにブランコに揺られる陽菜。陽太はその姿を見つめながら、何かを決心したような表情を浮かべた。結衣の目には陽太の横顔が映る。


 そして、小さく頷いた結衣。



 「お兄ちゃん!」


 楽し気に陽菜と言葉を交わす陽太。その姿は結衣の目にどのように映っただろう。



 「絶対なるからな!」


 陽菜の問い掛けに笑顔で力強くそう答えた陽太。



 二人の姿を見つめる結衣。


 そして、笑顔で小さく頷き、陽太にエールを贈った。声には出さず、心の中で。



 陽太の心を動かすような力強いエールを。

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