第二三節 「陽太がホンモノになるまで」

 月曜日、朝五時五八分。小鳥の囀りとともに陽太は目覚めた。部屋の窓から空を眺めると、厚い雲に覆われていた。


 「天気、大丈夫かな…」


 曇った表情を浮かべる陽太。


 和正を除く一年生はスタンドでの応援。だが、和正への嫉妬というものは全くなかった。陽太を含めて。


 むしろ、活躍してほしいと思うほどだった。


 「出場出来るといいなあ…。和正」



 しばらく空を眺め、陽太は階段を下り、リビングへと入った。キッチンへ目を配ると、希が目玉焼きを焼いていた。


 「おはよう。もうちょっとで出来るからね」


 笑顔で声を掛ける希。



 陽太は「ありがとう」と言い、リビングのソファへ腰掛け、テレビを点けた。


 

 「今日の県内は…」


 この日の天気を伝える天気予報士の声が陽太の耳に届く。この日は昼前から昼過ぎにかけて雨が降るという予報。


 山取東高校の一回戦は一一時キックオフ。試合会場は岩浜いわはま運動公園サッカー場。木々の緑に囲まれた自然を感じられるサッカー場だ。地区大会はこの会場を含めた四会場で開催される。



 天気予報が終了し、スポーツコーナーが始まり、前日の国内プロサッカーリーグのハイライト映像が流れる。陽太は食い入るように映像を観る。


 自分もいつかこのようなプレーが出来るようになりたい。そして、プロの世界に入りたい。この大会は出場出来ないが、次の選手権大会の予選では…。そう心に誓う陽太。



 一〇分程が経ち、希が朝食をテーブルへ並べる。食器を置く音を聞き、陽太はテレビを消し、ダイニングの椅子へ腰掛けた。


 「いたただきます」


 手を合わせ、箸と豚汁のお椀を持つ。


 豚汁を一啜りし、お椀を置くと同時に、リビングのドアが開く。



 「おはよう…」


 陽菜が眠たそうな目を擦りながらリビングへと入った。


 希が陽菜へ歩み寄る。



 「陽菜、早いね。どうしたの」


 「分かんないけど目が覚めちゃった…」


 欠伸をし、再び目を擦る陽菜。そして、陽太を見つめると、何かを思い出したかのような表情を浮かべる。


 「お兄ちゃんは準備…」


 陽菜はそう言葉を発し、陽太の隣へ腰掛け、箸を持つ。


 陽菜を見つめる希。一つ息をつくと、健司がリビングへ。


 「おはよう。ご飯出来てるよ」


 「おう」


 健司は椅子へ腰掛け、箸を持つ。希は陽菜を見つめる。



 「準備…」


 希がこぼした声に健司が気付き、彼女を見る。そして小さく頷き、豚汁のお椀を持つ。


 

 

 金曜日の晩。陽太が夕食を食べていると、健司と陽菜が帰宅。陽菜は健司がリビングのドアを開けると、一直線に陽太の隣へ腰掛ける。



 「練習か?」


 陽太の問いに「うん」と答える陽菜。


 そして、陽太を見つめる。


 「絶対全国に行ってね、お兄ちゃん」


 陽菜はそう言うと、希が並べた夕食を食べ始めた。



 陽菜は陽太がベンチ入りしないことを知っている。陽太がベンチに入るとすれば、怪我などによる登録メンバーの変更があった時だけだ。

 

 陽太は陽菜の言葉に少し間を置き「おう!」と応えた。


 陽菜に真実を伝えたかったが、彼女をがっかりさせると思い、伝えることを躊躇ためらってしまったのだ。


 

 だが、陽菜は真実を知っている。


 陽菜の言葉には隠れたフレーズがあったのだ。



 健司は陽太と陽菜をやさしく見つめる。すると、希が健司へ歩み寄る。


 

 「ねえ、お父さん…」


 健司にあることを尋ねようとした希。すると健司は希へ顔を向ける。希の目に映ったのはやさしい表情の健司。


 「陽太って…」


 健司はその先の言葉を先読みしたかのようにこう言う。

 

 「まだ準備中だ」


 そして健司は椅子へ腰掛け、箸を持つ。希には健司と陽菜の言う「準備」の具体的な内容が分からない。



 「準備って…」


 尋ねようとした希だが、途中で止めた。




 そしてこの日。陽菜の一言で金曜日のことを思い出した希。彼女は陽太がメンバーに選出されたかどうか知らない。


 希の頭の中で「準備」という言葉だけが駆け巡る。


 それからしばらくし、陽太は朝食を終え、食器を流しへ運ぶ。希は陽太を目で追う。しかし、特に何も言葉を発することもなく、陽太がリビングのドアを閉める音を聞く。



 キッチンに立ち、食器を洗う希。しばらくして、陽太が階段を下りる音が。


 そして、リビングのドアが開く。



 「行ってきます!」



 陽太の表情には笑みが。


 数秒後にドアが閉まり、陽太は試合会場へと向かう。希は食器を洗っていると、あるものに目が行く。



 「水筒…!」



 陽太へ水筒を渡しそびれた希。食器洗いを一度止め、急ぎ足で外へ出た。しかし、既に陽太の姿はなかった。


 「もう行っちゃったんだ…」


 肩を落とし、右手で持った水筒を見つめる希。


 俯きながら玄関のドアをくぐり、リビングのドアを開けると、健司と陽菜の会話が希の耳に届く。



 「お兄ちゃんは凄い選手になるぞ!」


 「ほんと!?」


 「おお!」



 二人の楽し気な会話が希の耳に届く。




 「ごちそうさま!」


 

 陽菜は健司の食器を運ぶ。


 「おお、ありがとな。陽菜」


 「うん!」


 珍しい光景に希は驚く。



 「陽菜が食器運びをするなんて…」



 健司は笑みを見せる。



 「きっと楽しみなんだろう。二年後が」


 「ど、どういうこと?」


 

 健司の目には何かを待ち遠しそうに食器を洗う陽菜の後姿が映る。


 しばらくその姿を眺め、視線を希へ移す健司。



 「二年間待とう。陽太がホンモノになるまで。まだ時期じゃない。今は見守っていよう」


 健司の言葉に少し遅れて希は頷く。


 彼の言葉から何かを感じたのだろう。



 健司は立ち上がり、リビングのドアを開ける。ドアの閉まる音を聞き、食器洗いをする陽菜を見つめる希。

 

 

 「陽菜も二年間待っててくれるよね…?」



 陽菜に聞こえない小さな声で尋ねる。いや、尋ねる必要はない。


 陽菜も同じ気持ちなのだから。


 

 微笑みながら頷き、陽菜の元へ歩み寄る。


 「あら、水浸し」


 「あ、ほんとだ。ごめんね、お母さん」


 


 この日、山取東高校は二対〇で一回戦を突破した。



 

 

 

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