第二二節 「お兄ちゃん、出るかな…」

 午後四時三二分。



「よーし。休憩!」


 公彦の声で休憩に入った。


 ベンチに腰掛けた陽太は傾けた水筒をバッグへしまい、隣に腰掛ける和正と言葉を交わす。



 「和正のディフェンス、抜けなかったな」


 「突破されなくてよかった」


 和正は陽太の言葉に応えると、タオルで頬の汗を拭う。


 小学校時代、和正と同じチームでプレーしていた陽太は改めて彼の上手さを実感した。


 「あの頃から上手いよ、和正」


 「そんなことないって」


 謙遜するように応える和正。


 和正の言葉を聞き、視線を足跡がたくさんついた練習場へ移す陽太。



 ベンチに入ることが出来るだろうか。もしそうなった場合、陽菜にどのように説明しようか。


 そのような考えが陽太の頭の中を駆け巡る。



 ふと、大石へ顔を向ける陽太。目に映ったのはボードに挟んだ用紙へ何かを書き込む大石の姿。


 大石は何かを書き終えると、公彦へ声を掛ける。そして、彼の右肩を「ポン」と叩き、森の元へ。


 しばらくし、二人の視線は陽太へ。


 その瞬間、陽太は視線を上空へ。


 

 二〇分後、一対一の練習が開始。陽太は和正とペア。


 オフェンスの陽太は和正の動きを見ながら細かくボールを動かし、揺さぶる。


 そして、和正がボールへ左足を伸ばした瞬間、陽太は左から突破を試みる。


 抜けた。そう思った陽太。


 だが、そこは和正。右足でボールに触り、突破を阻止。



 転々と転がるボールを追う陽太。ボールを拾い、和正へ転がす。ボールを受けた和正はスタート位置にボールをセット。



 「和正には一生勝てないな」


 何かを諦めたように笑いながら陽太は言葉を漏らす。


 すると。


 「俺は負けたよ」


 和正が笑いながら応える。しかし、その表情はどこか悔しそうだった。


 和正が言う「負けた」とは何のことを指しているのか、と陽太は考える。考えていると、陽太の頭の中には和正の華麗なプレーの映像が。



 しばらくして。



 「どうしたんだよ」


 

 和正の声で頭の中の映像の動きが止まった。それからすぐ、陽太は和正に尋ねる。



 「俺が和正にっている部分って?」


 その問いに対しての和正の返答は陽太が気付いていない部分のことだった。和正はそれをあえて遠回しに答えた。


 陽太自身で見つけてもらうために。



 「いずれ、自分でも気付くさ」


 和正はそう言い残し、ボールを蹴り出す。そして、陽太のディフェンスを突破した。


 シュートを決めた和正はどこか渋い表情を浮かべる。



 陽太が和正よりまさっている部分は…。




 六時四〇分過ぎ。部員全員が大石の元へ集まる。大石の右手には一枚の用紙が。


 「地区大会のメンバーを発表する」


 この言葉で陽太の鼓動は高鳴る。


 GKから発表した大石。名前を呼ばれると同時に「はい」という声が陽太の耳に届く。


 その中に一年生の名前と声はなかった。



 続いてDF。陽太は無意識に和正へ視線を向ける。



 島川を筆頭に三年生の名前が呼ばれる。和正は表情を崩さず、大石の声を聞く。


 最後の一人。


 

 「今野」


 和正の名前が呼ばれた。和正が「はい」と返事をした瞬間、一年生全員が「おめでとう!」と言うように和正を見る。


 和正は表情を崩さない。


 ここがゴールではない。今以上に成長したい。


 陽太の目には和正の表情がそのように映った。



 「MF」


 陽太の鼓動が更に高鳴る。



 「森野もりの…」


 緊張の面持ちで発表を聞く陽太。


 そして、最後の一人。


 

 「橋本はしもと


 二年生の橋本樹はしもといつきの名前が呼ばれた。その瞬間、陽太は緊張から解放されたような表情を浮かべる。 


 次の大会では。陽太はそう意気込んだ。



 

 メンバー発表が終了。一年生は和正のみ呼ばれた。その後、大石が翌日の練習開始時刻などを伝え、この日の練習が終了。


 更衣室へ向かう一年生。


 

 「俺達の分まで頑張ってくれよ!」


 和正の右肩に手を置き、笑顔で話す公太。



 「一年の中じゃ圧倒的だからなあ、和正。先発の座も掴めよ!」


 和正の活躍を願う大二郎。



 二人の激励に笑顔で応える和正。


 そして三人は更衣室へと入った。

 

 

 陽太はベンチに腰掛け、三人が更衣室へ入る姿を見届けた。そして、水筒のミネラルウォーターを口へ含む。


 陽太は夕焼け色に染まった練習場を眺める。メンバーには選ばれなかったが、不思議と悔しさを感じなかった。


 選ばれるはずがないと分かっていたからだ。もちろん、和正が選ばれるであろうことも。



 陽太が水筒をバッグへしまうと同時に、やさしい風が彼の頬を撫でる。



 次の瞬間、陽太の心に火がついた。


 そして立ち上がると夕日を眺め、何かを決心するように小さく頷き、更衣室へと向かった。




 「中原と松葉も入れようか考えた。だが、二、三年生が彼らに負けまいとアピールした。その結果だ」


 森と言葉を交わす大石。


  

 しばらくして、陽太が更衣室から出る。その姿を見て、森が大石へあることを尋ねる。


 すると。



 「なかった。だがそれは二年後への期待の裏返しだ。あいつがになった時。それが全国に行ける時だ。今は時期じゃない。じっくり見ていこう」


 森が頷く。

 

 そして、続けるように大石が何かを話そうとしたがめた。





 その日の七時過ぎ。仕事が終了し、車のドアを開けた健司の元に着信が入った。


 健司は一旦ドアを閉め、電話に出た。



 「仙田君」



 森からだった。


 

 森の話に耳を傾ける健司。すると、健司の表情は徐々にやわらかくなった。



 一瞬目を閉じた健司は一呼吸置き、森にこう話す。



 「陽太のこと、よろしくな。三年の最後の大会まで」



 健司の言葉に森は頷き、力強く「うん!」と答える。



 その後しばらく言葉を交わし、通話が終了。



 携帯電話をズボンのポケットへ入れた健司。車のドアを開けると、後部座席に腰掛ける陽菜が尋ねる。



 「お兄ちゃん、出るかな…」



 その問いに健司はやさしい声でこう答える。



 「お兄ちゃんは今、全国大会に行くための準備をしているんだ。今はその準備中。準備が終わったらお兄ちゃんは出る。それまで待とう!」


 健司の言葉に陽菜は笑顔で頷く。



 ドアを閉め、車のエンジンを掛けた健司。右折し、そのまま直進。


 自宅へ向かいながら健司は心の中で陽太に言葉を贈る



 ゆっくりでいい。二年後、お前は間違いなくチームの中心選手になる。お前の成長がチームの命運を握っている。焦るな。じっくり自分と向き合え。今はその時期だ。二年後、夢の舞台に立てるように。陽菜に素晴らしい景色を見せることが出来るように。そして…。



 健司の運転する車は青信号の交差点を通過し、更に進む。



 そして健司は街灯の灯に照らされながら何かを確信するように頷き、もう一つ先の青信号の交差点を直進した。

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