第二〇節 取り除かれた不安

 金曜日の朝六時五二分。カーテンの隙間から差し込む太陽の光で目が覚めた陽太。目を開けると、天井が見えた。一筋の光が天井を照らす。


 上体を起こし、練習着を見つめる陽太。


 「選ばれるかな…」


 そう呟いた陽太は制服に着替え、一階へ下りた。



 ダイニングのドアを開けると、陽菜が陽太の元へ駆け寄った。


 「お兄ちゃん、どうしたの?」


 陽太の表情を見て陽菜が尋ねる。



 「えっ…。俺、どこか変だったか?」


 「元気なさそうだったから心配になっちゃった」


 陽菜の言葉で制服のシャツを見る陽太。


 この日のメンバー発表のことで頭がいっぱいになっていた。そのことが表情に表れてしまった。


 しばらくし、陽太は顔を上げ、やさしい表情を浮かべる。

 

 「大丈夫だよ。ちょっとまだ眠かったのかもな。ごめんな、心配させて」


 陽菜の心配を取り除くようにそう応え、彼女の頭を撫でた陽太はダイニングの椅子へ腰掛ける。それからすぐに、陽菜も。


 陽菜と楽しそうに言葉を交わす陽太。その様子を見ながらキッチンで希と健司が言葉を交わす。


 「選ばれるといいなあ…」


 「どれだけアピール出来たかだな。まずは、ベンチ入りだ。先発の座を掴むのはそれからだ。強豪校に行ったら引退までベンチに入れない子がたくさん出てくる。どんなに上手くてもだ。いかに監督の目に留まるプレーを見せられたかだな」



 健司は冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、グラスへ注いだ。そして、牛乳パックを冷蔵庫へ戻し、扉を閉めた。ダイニングの椅子へ腰掛けると、テーブルの上に置かれた朝刊を広げた。


 

 朝刊越しに陽太と陽菜の楽しげな話し声が健司の耳に届く。健司には陽太の声がどのように聞こえただろうか。


 ふと、朝刊越しに陽太の表情を眺める健司。


 彼の目には笑顔の陽太の姿が映る。不安という文字とは反対の言葉が陽太の表情から見て取れた。



 絶対活躍出来るぞ。今はまだそのための準備期間だ。不安になる必要はない。練習を積み重ねていけ。それが活躍に繋がる。



 心でそう言葉を掛け、紙面へ目を戻した健司。それと同時に希が目玉焼きを盛った皿をテーブルへ置く。


 楽しそうに言葉を交わす陽太と陽菜。その様子を見つめる希。二人の会話を聞いていると、ある言葉が希の脳内で再生された。



 -陽太がチームの中心になる。-


 健司が話していた言葉だ。


 すると希は何かを確信したような表情を見せた。陽太の様子から何かが伝わったのだろう。


 健司は希の様子に気付き、小声で尋ねた。


 「どうした」


 「私、サッカーの経験はないけど、分かるの。陽太がチームの中心になるって。お父さんが言うように。何かは分からないけど、伝わってくるの」


 陽太を見つめながらこう答えた希。健司は希の横顔を見つめる。陽太を笑顔で見つめる希。


 しばらくして、陽太は希の視線に気付いた。


 「あれ、どうしたのお母さん。楽しそうだね」


 笑顔で尋ねる陽太。


 希は陽太、陽菜と笑顔で言葉を交わす。


 希が陽太から感じ取ったもの。その正体は分からない。だが、希には伝わる。それは、サッカー経験がない希だからこそ感じ取ったものなのかもしれない。


 

 味噌汁のお椀を持つ陽太。陽菜は陽太の横顔を見る。しかし、特に何も言うことなく、ご飯茶碗を持った。



 「ごちそうさま!」


 食事を終えた陽太は部屋へ戻り、登校の準備を進めた。



 準備を進めていると、ふと練習着が陽太の目に映った。陽太は練習着をじっと見つめる。だが、不安な気持ちになることはなかった。


 希と陽菜が不安な気持ちを取り除いたのだろう。



 準備を終えた陽太はバッグを持ち、部屋を出る。そして、階段を下り、玄関で靴を履いた。


 「行ってきます!」


 明るい声でそう言い、玄関のドアを開け、学校へと向かった。


 ドアが閉まる音を聞き、希が小さく言った。


 「大丈夫だよね」


 玄関のドアを見つめる希の表情には笑みがあった。そして小さく頷き、キッチンへと向かった。



 学校へ着いた陽太。鞄を席へ置くと、和正が声を掛けた。


 「今日、メンバー発表だな」


 普段と変わらない声。そして、表情。


 だが、陽太は和正を見て、何かを感じた。


 「緊張してるのか?」


 核心を突いた陽太の問いに和正は苦笑いを浮かべる。


 「まあな。選ばれないと思っていてもな。何で分かったんだよ」


 「やたら時計見てるから」


 「見逃さないな。そういう部分」



 和正は緊張すると短時間に何回も時計を見る癖があった。陽太はそれを見逃さなかった。


 和正は陽太を見る。


 「陽太は選ばれると思うんだよ」


 和正の言葉に陽太は笑いながらこう返した。


 「それはないから!和正は選ばれるだろうけど」


 「いやいや!」


 笑いを交えながら会話する二人。



 その頃、職員室では大石が完成したメンバー表を眺めていた。右手に持ったメンバー表を机上へ置き、小さく頷く。


 「このメンバーでいくぞ」


 そう呟き、一時間目の授業へと向かった。


 一年生は何人入っているだろうか。それは、この日の練習後に分かる。



 授業を受ける陽太達。陽太がふと時計へ目をやると、一一時一〇分を過ぎていた。



 メンバー発表まで八時間を切った。



 

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