第一七節 言葉では表現出来ない何か

 「ありがとうございました!」


 練習終了後、大石と森が練習場を眺めながら言葉を交わす。


 「来週、地区大会が始まりますね」


 「現段階で先発確定の子はいない。誰にでもチャンスはある。大会までの練習でどれだけアピール出来るかだな」


 「ベンチに入りそうな一年生は」


 「現段階だと今野、松葉、中原あたりだな。松葉と中原で両サイドを組ませるのも面白そうだ。だが、練習次第では他の子がベンチに入るかもしれないぞ。誰を入れるか迷うな…」


 大石にとっては嬉しい悩みだった。


 空が徐々に暗くなる。それと同時に、更衣室を出る部員の声が二人の耳に届く。


 「和正は先発、あり得るんじゃない?」


 「そんなことないって。何度も突破許したし」


 「でも、一年生の中で一番可能性があるのは和正だよ」


 陽太と和正の会話だった。陽太の言葉を聞き、大石は腕を組む。


 「確かに、一番可能性があるのは今野だ。それは間違いない。他の子にはない上手さがあった。島川がレギュラーを奪われる可能性だってある。『キャプテンだから』そんな言葉は通じない」


 森は小さく頷いた。


 「公彦君がどれだけ引き離せるかですね。改めて」


 「そういうことだ。先発の座は競争で勝ち取れということだ。勿論、ベンチ入りもな。強豪校にスポーツ推薦で入っても、ベンチに入れない子だっている。競争だ」


 しばらくして、部員全員が更衣室を出る。それを見て、大石と森は職員室へ向かう。



 七時三〇分前に陽太は帰宅。


 「おかえり!」


 笑顔で陽太を出迎える陽菜は左手にネットに入ったサッカーボールを持っていた。



 「買ってもらったのか?」


 「うん!お父さんが『お兄ちゃんに負けないように頑張れ』って」


 陽太はやさしい表情を見せる。



 「そうか。応援してるぞ」


 そして、笑顔で陽菜の頭を撫で、二階へ上がった。



 「来週は地区大会…」


 無意識にそう呟いた陽太は寝室にバッグを置き、階段を下りた。



 

 「おかえり」


 ダイニングへ入ると、希が出迎える。健司は椅子に腰掛け、朝刊を両手で広げている。


 陽太が椅子に腰掛けると、健司は朝刊をたたむ。



 「来週は地区大会か」


 「うん。丁度一週間後の月曜日から」


 「県大会に行けるのは五チーム。どこと当たるかだな」


 一ブロック最大八チーム。そのブロックを勝ち上がると、県大会へ出場出来る。



 まずは一勝。陽太が心で呟いた。


 それと同時に陽菜が陽太へ尋ねる。



 「お兄ちゃんは出るの?」


 純粋な眼差しで陽太を見つめる陽菜。


 まずは一勝。


 それが最重要だが、ベンチに入ることも目標の一つだ。だが、現段階ではベンチ入りは厳しい。陽太自身、そう感じていた。


 陽太は陽菜へ視線を移す。陽太をじっと見つめる陽菜。


 陽太が口を開く。すると次の瞬間、希のやさしい声が。



 「陽菜、大丈夫だよ。お兄ちゃんの学校が試合で勝つようにお祈りしなさい」


 その言葉で陽菜は視線を希へ。そして、今度は健司のやさしい声が。


 「陽菜、お母さんの言う通りだ。お兄ちゃんなら心配いらない」


 すると陽菜は頷き、箸を持つ。


 

 しばらくして椅子へ腰掛けた希は陽菜と楽しそうに言葉を交わす陽太を見つめながらこう呟く。


 「出られるといいなあ…」


 箸を持った健司はその言葉を聞き、囁くようにこう話す。


 「森君から聞いたが、先発は厳しいが、ベンチ入りはあるかもしれないという話だ。チャンスはある。陽太がどれだけアピール出来るかだな」


 健司は豚汁の器を持つ。


 陽太を見つめる希は微笑みを浮かべ、小さく頷く。

 

 「ベンチ入り、競争で絶対勝ち取ってね…!」


 そして、そっと祈りを捧げた。



 夕食を済ませた陽太はしばらくダイニングの椅子に腰掛け、陽菜と言葉を交わす。



 「吉田体育大学附属高校?」


 「そう。全国大会で何回も優勝している高校だよ」


 「そんなに強いんだ…」


 「だからこそ勝ちたいんだよ」



 陽太の目は輝く。



 「もし、お兄ちゃんの学校が勝ったら有名になっちゃうね。学校もお兄ちゃん達も」


 陽菜の言葉で陽太は微笑む。


 「有名になれたらいいなあ…。学校も俺達も…」



 吉田体育大学附属高校のインターハイ、冬の選手権での優勝回数は数え切れない。毎年のようにプロ選手を輩出している。卒業後に系列の吉田体育大学へ進学し、プロの世界へ入った選手もいる。


 勝利すれば名が知れ渡るだろう。


 だが、勝利することでプレッシャーがのしかかる可能性がある。


 -あの強豪校を倒したんだから-


 と。


 そのプレッシャーで次の試合で敗退する可能性もある。


 


 「勝ったらプレッシャーがかかる。でも、それは更に上へ行くには避けられないこと。だからこそ」


 陽菜はそう話した陽太を見つめる。


 「毎試合挑戦者の気持ちを持って臨む」


 少しの間の後、陽太が続ける。


 「Come from behind」


 陽菜はこの言葉の意味を知らない。だが、陽太の声を聞き、何かを感じた。言葉では表現出来ない何かを。



 しばらくして、翌日の準備から戻った健司がリビングのドアを開ける。視線の先には微笑みを浮かべる希の姿が。


 陽太へ視線を向けると、健司も彼から言葉では表現出来ない何かを感じた。


 だが、それが陽太の能力だった。希は気付き始めたのだろう。


 陽太の能力に。



 陽太、お前は良いものを持っている。今までの練習で身に付けたその能力でチームを引っ張る存在になれ。健司は心でそう呟き、静かにドアを閉め、浴室へと向かった。


 

 

 

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