第六節 練習試合前日
五月三日。吉田体育大学附属高校との練習試合前日。この日は軽めの練習を行なった。
練習中、陽太は一年生部員の様子を見渡す。皆、翌日の試合を楽しみにしているようでもあり、どこか緊張しているようでもあった。
彼らと同様に陽太も。
「緊張してるのか?」
休憩中に和正が陽太に尋ねる。
「まあ、緊張と楽しみ、半々くらいかな」
「楽しみか…。まあ、俺達の実力を試すいい機会だからな」
和正の言葉に頷く陽太。それからすぐ、大石へ視線を向けると、ベンチに腰掛け、ノートに何かを記す姿が目に映る。大石は時折、部員の姿を見てはノートへ何かを記す。
「先生、明日のスタメン考えているのかも」
「じゃあ、俺は入ってないな」
「おいおい…」
「和正は入ってるでしょ」
「分からないぞ?」
そのような会話をしていると、休憩時間が終了。
「よし、ミニゲームをするぞ」
大石がチームを振り分け、ミニゲームを開始。陽太はOMFとして出場。ところどころ苦戦する場面があったが、総合的には「良い感じ」という自己評価だった。
ミニゲーム後、一年生部員数名が大石に呼ばれ、一人ずつ彼と言葉を交わす。その中に和正の姿もあった。
彼らをしばらく見つめ、陽太は更衣室へと向かった。
七時過ぎに陽太が自宅の玄関のドアを開けると、陽菜が出迎える。
「おかえり!」
満面の笑みを浮かべる陽菜の頭を撫で、階段を上り、寝室へバッグを置く陽太。普段であれば、すぐにダイニングへ向かうが、陽太は椅子へ腰掛ける。そして「ふう…」と息を吐き、目を閉じる。
どのような選手が在籍しているのだろうか。自身はメンバーに入るだろうか。
楽しみと不安が陽太の心で交錯する。
目を開けると天井が視線の先に映る。陽太は天井を見つめ、ゆっくりと息を吐く。
しばらく椅子に腰掛けていると、陽太の寝室のドアをノックする音が。そして、ドアの向こうから声が。
「お兄ちゃん、ご飯だよ」
陽菜だ。
彼女の声で陽太は椅子から立ち上がり、ドア前へ。そして、ドアをゆっくり開ける。
「呼びに来てくれたのか?ありがとう」
陽太は笑顔で陽菜の頭を撫でると、彼女と一緒に階段を下りる。
リビングのドアを開けると、肉じゃがの美味しそうな匂いが室内を包む。ダイニングテーブルへ目を向けると、健司の姿はない。
「お父さんは?」
椅子へ腰掛けた陽太が希に尋ねる。
「スクールの練習で遅くなるって」
希はそう答えると、ご飯茶碗を置き、椅子へ腰掛ける。
「食べようか。いただきます」
夕食を食べ始めた陽太達。しばらくして、陽菜が陽太に尋ねる。
「お兄ちゃん、どうやったらサッカー上手くなる?」
陽菜はこの月から健司がコーチを務めるスクールへ通い始めた。その上での質門だった。
陽太は「うーん」と言葉を繋ぎながら考え、こう答える。
「基本をしっかり身に付けること」
「基本?」
「基本が大事だからな。何事も」
そう応え、肉じゃがを口にした陽太。
陽菜が頷くと、陽太はグラスを傾け、喉を潤す。そしてグラスを置いた陽太はこう続ける。
「あとは、上手い人の動きを観ることかな。そこから技術を身に付けることも出来るし。上手い人、いっぱいいるだろ?」
「うん。でも誰のプレーを観ればいいのかな?」
「自分が理想としているプレーに近い人の動きを観てみなよ。基本を身に付けながら」
そう答え、ご飯茶碗を持つ陽太。
少しの間の後、陽菜は「ありがとう!」とお礼を伝え、味噌汁を啜る。
陽菜が理想としているプレーはどのようなものだろうか。少しだけ気になった陽太だった。
八時過ぎ、玄関のドアが開く。
「おかえりなさい」
健司が帰宅。
「陽太は?」
「部屋にいるよ」
「そうか」
このような会話が寝室へ入ろうとした陽太の耳に届く。
陽太にとっては何気ない会話に聞こえるが、二人には特別な意味があった。
陽太は特に気にすることもなく寝室へと入り、スパイクの手入れを始める。
試合に出場出来るだろうか。出場しても、活躍出来るだろうか。陽太はスパイクの手入れをしながら不安に押し潰されそうになっていた。
その時、陽太の携帯電話に一通のメールが入った。陽太はメール画面を開く。
そこには。
「結衣」
メールを開封すると、一言だけ。
-絶対大丈夫!-
こう記載されていた。
陽太は画面をじっと見つめる。そして、文面から何かを感じ取ったかのように、携帯電話を持ったまま庭を出る。すると、稲葉家の庭から一人の少女が姿を現す。彼女は陽太の姿に気付くと、笑顔で手を振る。
「陽太!」
結衣だった。
互いに歩み寄る二人。
「ありがとう。結衣…!」
陽太がお礼を伝えると、結衣は微笑む。そして、やさしくもどこか力強い表情を浮かべ、結衣は陽太にこう言葉を贈る。
「全力でぶつかっていけ!」
その言葉に陽太は力強く頷く。
健司と希の視線を背に受けながら。
「活躍出来るよね?お父さん」
希が尋ねると、少し間を置き健司は。
「やってくれるさ」
そう答える。
二人の目から見た陽太の背中には「緊張」という文字はなかった。
もしかしたら、結衣が陽太の心の内にあった緊張をほぐしたのかもしれない。
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