第五節 屋内サッカー練習場

 四月三〇日。この日、練習が休みの陽太は七時三〇分前に目を覚ました。



 「そろそろ起きるか…」


 重い体を起こし、着替えを済ませた。そして階段を下り、ダイニングの椅子へ腰掛ける。それを見て、希が食事をテーブルの上へ並べる。


 鮭の塩焼きに味噌汁、サラダ、そして白米のご飯。



 手を合わせ、箸を持った陽太。目の前にはキッチンで食器洗いをしている希の後姿が映る。健司と陽菜の姿はない。



 「お父さんと陽菜は?」


 「公園に行ったよ」


 「こんな早い時間に…」


 「陽菜、早く目が覚めちゃって退屈してたみたい。それで、お父さんに『遊ぼう』って」


 希は微笑んだ。


 陽菜は陽太が庭でリフティングやドリブルをしている姿を見て、サッカーに興味を持ち始めた。


 陽菜が本格的にサッカーを始める日はそう遠くはない。陽太はそう思った。


 

 朝食を済ませ、陽太は寝室へ戻った。ふと室内を見渡すと、ボロボロになったスパイクが目に映った。中学校時代に使用していたスパイクだ。陽太は無意識に手に取り、中学校時代を思い出す。



 「辛いこともあった。全然活躍出来なかったけど、楽しかった。だからこそ練習を続けることが出来た。感謝だよ」


 苦楽を共にしたスパイク。処分しようと思ったが、なかなか捨てられないでいた。


 スパイクを眺める陽太。



 「俺ってプロになれるのかな…」


 不安そうな表情を浮かべていると風が吹き、窓をやさしく叩く。まるで、風が何かを伝えるかのように。


 スパイクを置き、陽太はボールを持って庭へ出た。そして青空の下、リフティングでボールの音を楽しむ。


 それからしばらくして、陽太はボールを右足で収める。



 「あいつは今日、部活なのかな…」


 ふと、脳裏に浮かんだ人物。あの人が今どうしているのか気になった陽太。しばらくボールを見つめていると、やさしい風が陽太の髪を撫でる。



 「まあ、いっか…」


 そう呟くと、陽太は再びボールの音を楽しむ。


 

 およそ一〇分後、陽太はボールを両手で持った。


 今日は何をしようか、と考えながら空を見つめると、雲から太陽が顔を出した。


 気持ちの良い天気だ。家にいるというのも勿体無い。そう思い、陽太は寝室へ戻り、バッグに財布などを入れ、南山取みなみやまとり駅へ向かった。



 九時半前に南山取駅に到着した陽太。だが、行き先を決めていない。どこへ行こうかと構内の路線図を眺めていると、ある人物から陽太の携帯電話に着信が入った。応答した陽太はその人物の話に興味深く耳を傾ける。



 しばらくして通話が終了し、陽太は携帯電話をズボンのポケットへ入れた。


 

 「そんな所があったのか…!」



 通話の中で、陽太はとある施設の存在を耳にした。それは、スポーツ施設だった。



 「行きたい…!」


 

 そう呟いた陽太は一旦自宅へ戻り、着替えなどをバッグへ入れ、再び南山取駅へと向かった。



 南山取駅の改札機を抜けると、十数人がホームで列車を待っていた。陽太は三両目の列に並び、ホームを見渡す。


 すると、二両目の列に見覚えのある女性の後姿が見えた。



 「今日は練習か…」



 彼女に声を掛けようと思った陽太だが、あえて声を掛けなかった。



 四分後、列車が到着。列車へ乗り込み、吊革に掴まる陽太。そして、窓に映る景色を眺めながら台府だいふ駅まで揺られた。


 列車内には背中部分に学校名が記されたジャージを着用した学生の姿が陽太の目に映る。その中でもひと際目立つ文字に陽太の目が留まった。



 『吉田体育大学附属高校蹴球部』



 陽太の目に映った文字だ。六人の部員の姿。



 「吉体大附属…」



 陽太が言葉を漏らすと、列車は減速を始めた。




 「吉田体育大学前に到着です」



 列車が停車すると、六人はホームへ降りた。

 

 吉田体育大学附属高校は吉田体育大学のキャンパスから二百メートルほど離れた場所に校舎が建っている。



 六人が改札口を抜け、姿が見えなくなると同時に、列車は発車した。




 「台府、台府。終点です」


 台府駅に到着し、陽太はホームへ降りる。そして、改札機に切符を通し、西口へと出た。


 そこからしばらく歩くと、スポーツ施設のような建物が陽太の目に映る。


 陽太が通話相手から教えてもらったスポーツ施設だ。


 陽太は自動ドアをくぐる。


 中へ入ると、きれいな人工芝のピッチが陽太の目の前に広がる。そのピッチの真ん中に一人の少年が立っていた。

 

 陽太の姿に気付くと、少年は笑顔で手を振った。



 「陽太!」



 声を掛けたのは陽太の中学校時代からの友人、佐川敦さがわあつし。ポジションはSHサイドハーフ。高校は台府中央だいふちゅうおう高校へ進学し、男子サッカー部に所属している。



 この屋内サッカー練習場は敦の父が勤める会社が管理している。基本的に一般開放していないが、敦の父、雄二郎ゆうじろうが開放した。



 陽太のために。



 「お父さんにお礼言わないとな…」


 「あはは!お礼なら俺から伝えておくよ。じゃ、練習しようぜ!」


 その言葉からすぐに、敦はボールを蹴り出した。


 

 正午近くまで一対一などで汗を流した二人。陽太はなかなか敦のディフェンスを抜くことが出来なかった。



 「やっぱり上手いな」


 敦は陽太のある弱点を見抜いていた。



 「ほんのちょっとしたことなんだけどな。俺はそこを見逃さないから」


 「勉強家だしな」


 「そんなことないって。俺も弱点を見抜かれないようにしないとな」


 

 気を引き締めるように敦は応えた。



 

 一時過ぎ、陽太と敦は言葉を交わしながらしながら台府駅へと向かう。



 「敦とは違う地区か」


 「そ。だからぶつかるのは県大会から。まずは、地区大会を突破しないと!」


 「俺達、県大会に行けるか不安で…」


 「陽太がいれば地区大会突破出来るでしょ!」


 「そんなことないって…」


 「いや、俺は本当にそう思って言ってる!」



 敦の言葉には力強さがあった。



 「試合で陽太と対戦するの怖いな」


 「おいおい…」


 

 言葉を交わす陽太と敦の姿は公園内にいる二人の男性と一人の少女の目にも映っていた。

 


 

 「粗削りですけど、化けたら凄い選手になりますね、陽太君。良いものを持っている子ですから」


 「敦君、更に上手くなったな。レギュラー候補だろう。雄二郎さん、練習場所を提供して下さってありがとうございます」


 「とんでもないです。陽太君に喜んでもらえて嬉しいです」


 「お父さん。私もサッカー始めたい」



 陽菜を間に挟み、雄二郎と健司は台府駅へ向かう陽太と敦の背中を見届けた。

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